第788話 金塊の行方


 文字通り山と積まれた金塊を運び出すのが困難な作業になることは、誰の目から見ても明らかだった。鈍い輝きを放つ金のインゴットは、その量と質量において圧倒的であり、ひとつひとつ手で運び出すのは到底現実的ではなかった。けれど、その問題を解決する手段がひとつだけあった。


 右腕に装着した〝リング〟に視線を落とす。我々は現在、廃墟の街から隔絶された〈人工島〉の地下施設にいるが、混沌の遺物ならシステムに妨害することなく利用できる。


 その腕輪には〈転移門〉を発生させる機能が備わっていて、空間を越えて物体を――自分自身を含めて――移動させることができた。拡張現実で投影されるインターフェースに表示されていた〈空間転移〉の項目を選択したあと、深呼吸して静かに息を整えた。そして何もない空間に向けて腕を差し出すと、腕輪が光を放ち始めるのが見えた。


 腕輪の表面に奇妙な模様が浮かび上がると、つぎの瞬間には膨張するように広がり、腕から離れると目の前の空間で浮かんだまま静止する。そして空間に亀裂が生じるようにして、楕円形の〝門〟がゆっくりと形成されていくのが見えた。


 次元の歪みによって遠く離れた場所に〈転移門〉が開かれる様子は、まるで魔法のようだった。細い板硝子状の透明な膜が形成され、それが徐々に広がっていく。横から見ると髪の毛一本ほどの隙間もないように見えるが、たしかにそこには砂漠地帯にある拠点の景色が映し出されていた。


 あらかじめ墜落した戦闘艦の近くに〈空間転移〉を可能にする装置を設置していたのだ。

空間の歪みから未知のエネルギーが霧状に放出され波打つ光景を眺めている間に、〈転移門〉は完全な形で固定され砂漠地帯の拠点につながる通路が確立される。


 だが、まだ作業を開始することはできない。まずは〈転移門〉が正常に機能しているか確認する必要があった。


 腕輪が生み出した楕円形の〈転移門〉は、不可思議なエネルギー放ちながら静かに揺らめいていて、空間を渡る通路としての機能が備わっているように見えた。しかし混沌に由来する〝危険な遺物〟であることに変わりないので、警戒するに越したことはないだろう。


「なにそれ……」

 ひどく困惑するアイの声が聞こえた。


 突如〈空間転移〉を可能にする〈転移門〉が出現すると、人工島を管理する〈軍用AI〉と接続されていたアイは驚きの表情を見せた。その冷静で無機質な顔が、一瞬にして感情を宿す生身の女性の表情に変わる。瞳は微かに揺れ、唇がわずかに開いているのが見えた。彼女は明らかに動揺していた。


 独自のネットワークに接続され、実質的に〈軍用AI〉と意識を共有するアイは、これまで人工島のすべての施設や装置につながり、そのすべてを管理するだけの権限を持っていた。〈セキュリティシステム〉や〈エネルギー管理〉、〈環境制御〉に〈データ管理〉などの機能中枢も思いのままだった。彼女の知識と管理能力はこの島全体に及んでいたのだ。


 しかしそれでも〈空間転移〉に関する技術ついては、彼女は何も知らなかった。宇宙軍の技術は彼女の管轄外であり、その情報にアクセスすることは許されていなかったのだろう。アイの困惑は明らかだった。彼女の精巧な顔に浮かんだ戸惑いは、人間を演じていたときよりもリアルで迫真に迫るモノだった。


 アイは〈転移門〉を見つめ、その異様な光景に目を奪われていた。まるで奇跡を見ているかのように視線を逸らすことができなかった。それからしばらくして、冷静になった彼女はこちらに目を向けた。


 その瞳には混乱と疑問が浮かんでいた。このような非現実的な技術が存在し、それを意のままに操ることができる、という現実がアイには理解できなかったのかもしれない。〈空間転移〉は宇宙軍の機密であり、その存在を知る者は限られていた。


 彼女の〈データベース〉でも、異星生物や宇宙軍に関する簡単な情報は見つけられたのかもしれないが、その技術に関する情報は存在しなかった。それは細心の注意を払い秘匿されていた。


 アイの眉が微かに寄り、無感情だった声に不安の色が滲む。彼女は再び〈転移門〉を見つめ、複数のドローンを使って解析しようと試みた。しかし無限に広がる〈データベース〉の中に、その技術に関する手掛かりすら存在しないように、たしかな情報は何も得られないだろう。


 困惑するアイは、再び私に視線を戻した。その表情には疑念と驚き、そしてわずかな焦燥が交錯していた。彼女は何をすべきか、どう対応すべきかを考え、次の行動アクションを模索しているように見えた。


 その〈転移門〉の前に立つと、私は「大丈夫だ」と自分に言い聞かせる。これまで何度も〈転移門〉を利用してきたし、遺物は〝ヤト〟の支配下にある。


 事前に手渡されていた金塊を見つめたあと、覚悟を決めて〈転移門〉の向こう側に一歩踏み出した。空間の歪みを通過する瞬間、薄い膜を突き破るような感覚に包み込まれる。次の瞬間、砂漠地帯の拠点に立っていた。


 手には重厚な金塊がしっかりと握られていて、その確かな重量感が現実にいることを実感させた。振り返って〈転移門〉の姿を確かめる。ソレは依然としてそこに存在し、湾曲した鏡のように歪んだ景色を映し出していた。


 その〈転移門〉の出口として機能しているのは、旧文明の合金で製造された無骨なアーチ形の装置だった。典型的な門の形をしていて、その存在感は圧倒的だった。急造されたと思われる装置の所々に、ダクトテープでケーブルの束が固定されていて、手作り感が漂っていたが、その機能に疑いの余地はないだろう。


 大掛かりな装置には太いケーブルで無数のバッテリーがつなげられていた。それは〈小型核融合電池〉で、特殊な空間を維持するためのエネルギー源になっている。つながれたバッテリーは非常に強力で、通常の電池では到底賄えないほどの膨大なエネルギーを供給していた。


 無骨な見た目とは裏腹に、装置は精密に設計され、機能性を重視して構築されていた。アーチの内部では微かな光が揺らめいていて、その向こう側に金庫室の光景が見えていた。装置が正常に稼働している証拠であり、それを見て安心感を覚えた。これで、金塊を運び出すための準備は整った。


 安全が確認できると、拠点に配備されていた作業用ドロイドを〈転移門〉のそばに待機させ、私は再び〈転移門〉を使い金庫室に戻った。その光景を見てさらに戸惑っていたアイに頼み、ホバー機能が備わる専用の台車を借りる。重い金塊を載せることになったが、台車は地面から微かに浮かんだ状態で滑らかに動いてくれた。


 それからは、ミスズたちと協力しながら金塊を台車に乗せていく。重厚なインゴットが次々と台車に積まれていく様子は、達成感と共に奇妙な満足感をもたらしてくれた。電子貨幣クレジットと異なり、目に見える形の報酬だからなのかもしれない。金塊を運搬する準備が整うと、今度は台車を押しながら〈転移門〉を越える。


 砂漠地帯の拠点に到着すると、待機していた作業用ドロイドに台車を任せる。黄色と黒の縞模様が特徴的な機械人形は、古き良きSF映画に登場しそうなレトロなデザインで、どこか愛嬌のある姿をしている。


 かれらは頭部と一体化した四角い胴体を持ち、足は太く短かった。対照的に蛇腹形状のホースで保護された腕は長く、作業用の装備が取り付けられていて、まるで生きているかのように複雑な動きを可能にしていた。


 機械人形の胴体には無数のセンサーや計器が取り付けられていて、剥げた塗装は年代を感じさせるものだったが、メンテナンスが行き届いているので問題なく機能してくれていた。旧式の機械人形であるにもかかわらず、単純作業を完璧にこなす頼もしい仲間だった。


 その作業用ドロイドは、ビープ音を鳴らしながら作業を開始する。動きは滑らかで無駄がなかった。長い腕の先に取り付けられた作業用のツールで金塊をひとつずつ丁寧に掴み取り、倉庫内の所定の位置に積み込んでいく。その動作は効率的で正確だった。


 台車を使い金塊を運び込むたびに、ドロイドは素早く金塊を回収してくれた。誰に指示されることもなく金塊を運び出す手伝いをしてくれるその姿は、どこかホッとさせるものがあった。

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