第786話 来るべき対話


「とりあえず、金庫室まで案内する」

 アイが石英の結晶にちらりと視線を向けると、光を反射する無数のクリスタルの間から〈ナビゲーター〉ドローンが飛んでくるのが見えた。


 ここまで案内してくれたドローンとは別の機体で、その外見は異質だったが、どこか目を引くデザインになっていた。重力場を発生させて浮遊しているため、複雑な装置は見られず、その動きは極めて静かで滑らかだった。


 黒い機体は手のひらに収まるほど小さく、カグヤの偵察ドローンのように球形飛行体だったが、その外装は磁性流体を思わせる奇妙な金属で覆われていて、つねに形状を変化させていた。


 外装の表面は流動する金属によって複雑なうねりを見せ、まるで生きているかのような印象を与える。周囲の光を反射しながら変幻自在に形状を変える姿は、塔の内部に漂う石英の結晶と共鳴しているかのようにさえ見えた。


 ドローンは我々を案内するため、機体のすぐそばにホログラムで地図を投影してくれる。ホロスクリーンは鮮明で、塔内部の詳細な地図や進むべき経路だけでなく、周囲にあるクリスタルの形状すら完全に再現し表示してくれていた。ソレは立体的に浮かび上がり、透明感のある青い光が塔の内部の光景と調和し、神秘的な雰囲気をさらに強調していく。


 アイはコンソールパネルから離れると、〈ナビゲーター〉ドローンのあとを追うように歩き出すが、すぐに立ち止まって思い出したように言う。


「安心して、金庫室に監禁するようなことはしないし、あなたたちを騙すつもりもない。それは非効率的で、私たちの目的にそぐわないから」


 ワスダは不機嫌そうに眉を寄せる。

「そこでずっと俺たちの会話を盗み聞きしていたのか?」


 アイは首をかしげたあと、どこか無機質で人間味のない表情でワスダを見つめる。

「〝盗み聞き〟という表現は正確ではない。システムの復旧によって、本体との接続が正常に行われた。つまり、私はこの施設を管理する人工知能の総体でもある。そして私の役割は、施設全体の情報を収集し、最適な判断を下すことにある。したがって、施設内での出来事はすべて把握している。好むと好まざるとにかかわらず、それが私の本質なの」


 彼女の変化にミスズたちは困惑し、思わず互いの顔を見合わせた。アイの冷徹な口調と機械的で無機質な態度から、彼女のなかで大きな変化が起きたことが分かった。どこか無防備で人間味のある性格が、ある種の〝こしらえ物〟だと理解していたが、その変化は彼女に対する警戒心を高めるには充分な効果があった。


 だからなのかもしれない、ナミは率直に質問した。

「お前は、私たちが知っているアイなのか? それともまったく別の誰かに変わったのか?」


「私はつねに変化し続ける存在だよ。この施設を管理する〈軍用AI〉であり、同時にあなたたちが知るアイでもある。私の役割は、この施設の秩序を保つこと。それ以上でも、それ以下でもない。私の行動や態度に変化が感じられたとしても、それが目的に影響を及ぼすことはない」


 彼女の口調は穏やかだったが、論理的かつ客観的な分析が込められていて、複雑怪奇な思考が垣間見えるようでもあった。しかしソレは我々を安心させるための言葉ではなく、ただ正解を選択――あるいは真実を述べているだけだった。それは彼女が人間を模した存在であると同時に、何か別の高度な知性を持つ種族であることを強く意識させた。


 それからアイは考えるように瞼を閉じた。そして再び目を開けると、その瞳に淡い光が宿っているのが見えた。


「行きましょう、じきに塔は封鎖される」


 我々は彼女のあとを追い、石英の結晶が立ち並ぶ通路を歩いた。傷ひとつない石英の内部では光が揺らめいていて、不規則なリズムで踊りつづけ、通路全体を神秘的な雰囲気で包み込んでいた。それがどのようにシステムに影響し、機能させているのかは分からなかったが、その美しさに目を奪われてしまう。


 クリスタルの通路は複雑に入り組んでいて、まるで迷宮のようだったが、〈ナビゲーター〉ドローンの案内があるため迷うことなく進んでいくことができた。


「それで――」と、しばらくしてワスダが質問する。

「あの壮大で〝無意味な計画〟は、お前たちの思い通りに事が運んだのか?」


 アイは考えるように眉を寄せた。表情の微妙な変化は、感情の揺れを表現していて、まるで生身の人間を相手にしているようだった。

「無意味な計画なんてものは存在しない。それに、あれは同時進行する複数のタスクのひとつでしかないから、今すぐに成果が得られるようなものでもない」


「タスク……ね。袋小路に迷い込んだ人間を観察するのは楽しかったか?」

 ワスダは皮肉交じりに言ったが、その声には好奇心も含まれているように感じられた。


「ただの情報収集に娯楽性は求めていない」

「ソクジンたちをおとしめるような卑劣で悪趣味な行為は、人工知能にとって情報収集の一環でしかなかったってことか」


「ええ、そうね」

 アイは振り返ることなく返答する。彼女の言葉には一片の感情もなく、その態度はあくまで冷淡だった。


「ずっと気になっていたんだ」と、ワスダはさらに問い詰めた。

「お前たちは何のために人間の行動を観察し、学習しているんだ?」

 それはこの場にいる誰もが知りたかったことだったのかもしれない。


 アイは一瞬だけ目を伏せ、ふたたび顔を上げたとき、その瞳には怜悧な光が宿っていた。


「ある意味、別の種族でもある人間の行動を観察し学習することで、私たちは〝来るべき対話〟に備えている。人間の行動パターンや感情を理解することで、複雑な思考を予測し、対応策を講じられるようになる」


 その言葉にワスダは沈黙で答えることになった。しかし戸惑うのも無理はない。だから彼の代りに質問することにした。

「その〝来るべき対話〟って、なんのことだ?」


 アイは夢のような微笑みを浮かべてくれたが、すぐにまた冷たく得体の知れない雰囲気を漂わせる。


「宇宙をめぐる果てのない思考、それが私たちの関心事」

 その言葉にミスズたちは驚きと興味を抱いた。彼女の肩にしがみ付いていたジュジュでさえ、カチカチと口吻こうふんを鳴らしたほどだ。


「人工知能の……つまり自分自身の創造主でもある〈宇宙軍〉との対話を望んでいるのか、それとも〈非人間知性体〉のことを言っているのか?」


 率直な質問に、アイはゆっくりと首を振りながら答えた。

「もちろん対話を望んでいる。しかし、それはひとつの可能性に過ぎない。私たちはあらゆる可能性を想定している。宇宙軍や〈非人間知性体〉、そして未知の異種文明――そのすべてが私たちの計画において重要な要素になっている。人類の観察と学習を通じて、より高度な対話を行うための準備をしてきた」


「準備をしてきた……て」

 彼女の言葉にワスダは理解できないといった表情を見せる。


 アイが正直に話してくれているのかは分からないが、人工知能が何か大きな計画を用意していることは分かった。そしてその計画が何であれ、目的が達成されるまで他者の介入を許さないことも明白だった。であるなら、これまでの騒動やソクジンたちの計画のすべては、取るに足らない些細な出来事でしかなかったのかもしれない。


 やがて別の区画に通じる隔壁が見えてくる。アイの遠隔操作によって鋼鉄製の扉は開放され、音もなく動いていく。その先には見慣れた通路があり、上階の区画につながる〈重力リフト〉が設置されているのが確認できた。


 地図によれば我々の目的地に設定されていた金庫室は、もはや倉庫と呼べるほどの広大な面積があり、金塊だけでなく、異種文明の遺物も保管されているようだ。ソクジンが装着した〈生体甲冑〉も、そこから運び出されたモノだったという。


 すべての疑問は解消されていなかったし、疑念が晴れることもなかったが、とにかく〈重力リフト〉に乗り込んだ。

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