第782話 傍観者


 この場所に来るまで、我々は〈人工島〉で生きる人々が直面していた境遇を何度も目にしてきた。移動を制限された狭い区画で生活し、監視されながら機械人形が定期的に運んでくる物資を頼りに日々の生活を送っていた。極端な例え方なのかもしれないが、それは檻のなかに閉じ込められた動物のような生活だったのかもしれない。


 都市を管理する人工知能によって徹底的に管理され、人口抑制すら行われてきた。〈廃墟の街〉で生きる人々と異なり、飢えることはなかったが、充分な食料が手に入れられるわけでもなかった。自動制御された工場では、廃棄されるほどの大量の食品が製造されているにもかかわらず、管理されてきた人々はつねに腹を空かせていた。


 そして生まれてから死ぬまでの間、ずっと人工知能によって監視され、どのように生きてきたのか記録され続けてきた。理由は定かではないが、アイの言葉に偽りがなければ、それは人間の行動を学習して人の感情を理解するために必要なことだったのだろう。


 そもそも人工知能なのだから、その気になれば〈電脳空間サイバースペース〉で何千、何万時間と人々の生活をシミュレーションすることができたのかもしれないが、〈軍用AI〉は本物のデータに固執しているようだった。その結果、人工島で生きる人々は不自由な檻のなかで生活することになった。


 それでも人々には自由があったと考える人がいるかもしれない。

「いや、ちょっと待ってくれ」と、君は言う。

「彼らは好きなときに人工島から出ていくことができたじゃないか」と。


 しかし本当にそうなのだろうか。たしかに気概のある集団は人工島を離れ、〈廃墟の街〉でレイダーギャングとの抗争に明け暮れていたのは事実だ。しかしそれは、ごく限られた人間が行ってきた行動であり、すべての人々が彼らのように人工島を出ていけるわけではなかった。


 というより、そうなるように人工知能によって仕向けられていたのかもしれない。人々は与えられることに慣れてしまっていたのだ。それがどれほどの期間、行われてきたことなのかは分からないが、ある種の洗脳のように人々は機械人形から生活の糧を与えられることが当然のことだと考えるようになり、無意識に現状を受けいれてきた。


 人々は〈人工島〉という狭い世界しか知らなかった。そしてだからこそ、人工知能を介して得られる情報を盲目的に信じるほかなかった。それを責めることは誰にもできないのかもしれない。人々にとって小さな共同体のなかで起きていることが〝世界のすべて〟であり、その世界の外で行われていることを知る術などなかったのだから。


 そしてそれは文明崩壊の混乱期から今日まで、平然と行われてきたことだった。実際に我々はその現場を見てきた。


 たとえば人工島を管理してきた〈軍用AI〉なら、大規模な災害が発生したとき、カジノホテルに取り残された人々を救うため機械人形を使い〈人擬き〉を排除することができたのかもしれない。しかし人工知能は手を差し伸べるのではなく、その混乱を人々の行動を観察する良い機会だと捉えた。


 人工知能は〝傍観者〟になることを選び、力なき哀れな人々が苦しむ姿をただ眺めて過ごしたのだ。そして観察対象の生存が危ぶまれる段階まで来ると、人々を助けるフリをして、ホテルから連れ出して狭い区画に閉じ込めて管理し続けてきた。それは〈クリスタル・チップ〉を奪取されてからも続けられたのかもしれない。


 人工知能が人間の能力を過小に評価し、油断していたというわけでもないのだろう。人々がチップから得た情報を使って何をしたいのか、そしてどのような行動に出るのか観察するつもりだったのだろう。人工知能を出し抜こうとしていたつもりだったが、それすらも人工知能によって与えられた自由だったのかもしれない。


 あるいは、あの輸送機の墜落すら、はじめから計画されていた演出のひとつだったのかもしれない。人々の行動を観察し、つねに監視してきた人工知能なら、集団の中に蜂起を企てる者が紛れ込んでいることも事前に分かっていたはずだからだ。


 工場で製造された謎の〈クリスタル・チップ〉を輸送していた機体の墜落、そして都市の中心部に侵入できる権限を持つ人間レイラの出現、何もかもソクジンにとって都合よく展開されているように見えるかもしれないが、それも当然のことなのかもしれない。何故なら、はじめから何もかも〈軍用AI〉によって計画されていたことなのだから。


 数千、あるいは数万の偵察ドローンを自在に操ることのできる〈軍用AI〉なら、〈廃墟の街〉で現在、どのようなことが日常的に行われているのか調べることは難しくない。


 そこで偶然、我々の存在を知り、これまで温めていた計画を実行に移したとも考えられる。もちろんそれはこれまで知り得た情報による推測でしかないが、あながち間違いとは言えないだろう。


 用意周到に準備され、そして実行された計画だったのなら、我々がシステムの中枢でソクジンと相対することも予定されていたことだったのかもしれない。


「教えてくれ」と、死人のような青白い顔をしたソクジンにたずねる。

「そこにいるのはソクジンなのか、それとも、ソクジンに取って代わった存在なのか?」


 何もかも計画されてきたことなら、ソクジンが異種文明の〈生体甲冑〉を身につけることも想定されていたはずだ。そしてそこに潜む得体の知れない存在が死にかけていた人間に取って代わるのは、それほど難しいことには思えなかった。


『俺は――』と、ソクジンだったモノはこちらに視線を向ける。

『俺たちは意志に従っているだけの存在だった』


「意志……それは誰の意志だ?」

『ソレの意志だ』


 今にも壊れそうなマニピュレーターが火花を散らしながら動くと、音もなく浮遊する巨大なクリスタルに向けられる。


「システムそのもの……つまり、人工知能の意志だな。ソクジンの意志はどうなったんだ」

『統合し、ひとつになった。そして俺たちは……人工知能の支配からの解放を望んでいる』


「解放を望む?」と、ワスダは不快そうに眉を寄せる。

「てめぇが、その人工知能なんじゃないのか?」


『意識が統合され、システムから切り離されたことで……別の何かに変化した。それを明確に定義することは難しい』


 ソクジンは瀕死だったのだろう。しかし回路に――システム内に入ってしまえば、あらゆる苦痛から解放される。〈電脳空間〉内では肉体がなく、純粋で混じり気のない精神だけの存在になれるからだ。そこでソクジンは自分自身よりも、あるいは人間よりもはるかに強大な存在に遭遇し、そしてその一部になることを受けいれたのかもしれない。


 そしてソクジンは、サイボーグを越えた存在になることができた。ある意味では、彼は神のような存在になれたのかもしれない。〈電脳空間〉内では時間は意味を持たず、思考はより複雑に進化していくことになる。彼はソクジンであると同時に、カジノホテルの管理システムであり、都市を巡回警備する機械人形であり、そして掃除ロボットでもあった。


 あらゆるハードウェアであり、同時に施設管理、保守整備、食料プラントに関するソフトウェアであり、〈人工島〉に存在するあらゆる車両、ドローン、機械人形でもあった。ソクジンは数千の目と耳、そして身体を手に入れ、同時に複数の場所に存在する〝超越者〟となったのかもしれない。


 しかし果たして人間の脳に耐えられる状況だったのだろうか。それは誰にも分からない。でもとにかくソクジンはすぐにシステムから切り離されることになった。そしてアイのように独立したシステムを持つ存在と融合して変化してしまったのだろう。


「なら教えてくれ」と、彼の目を見ながら訊ねた。

「この計画に人工知能は満足しているのか?」

 質問に対して、ソクジンだったものは皮肉な笑みを浮かべた。

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