第780話 残骸


 かつての威圧的な姿からは程遠く、重装甲戦闘服の損傷はひどく、まるで戦場の敗残兵を見ているようだった。武器が装着されていた多関節アームは折れ曲がり、一部の装甲は欠け、他の部分は内部機構が露出していた。


 構造体の瓦礫がれきに圧し潰されたのか、脚部の関節からはバチバチと電光が走り、不快なオゾン臭が大気中に広がる。いつ爆発してもおかしくないような状態だった。しかし絶妙なバランスで各電子部品が制御されているのか、未知の動力装置は昆虫の羽音のような唸りを上げながら動き続けていた。


 その機体は死に瀕した動物のように震え、一見すればもう動かないのではないかと思われるほどのダメージを負っていた。しかし我々を追ってくるほどには動くことができ、機械であるにもかかわらず、執念深さにも似た不気味な感情を宿しているようにさえ思えた。


 ヤトの戦士たちは敵の出現に驚きながらも、即座に反応し、訓練された動作でライフルを構える。その場には厳かな緊張感を含む静寂が広がり、周囲の空気が凍りつくかのように冷たくなっていく。


 そしていつ戦いが始まってもおかしくない状況に不安がよぎる。我々は貴重な記憶媒体でもあるクリスタルに囲まれていたが、たとえ施設に被害が及んだとしても、戦うことなく死ぬという選択肢はなかった。


 中破した〈生体甲冑〉は、息を引き取る寸前の生物のように、ギクシャクと動きながらも一歩ずつ歩いてくる。その歩みは遅く、しかし周囲のクリスタルを揺らすほど不気味なモノだった。壊れかけた関節から火花が飛び散り、モーターから悲しげな音が響くなか、ライフルの照準が装甲服を捉えトリガーを引く準備が整う。


 しかしすぐに射撃は行われない。ヤトの戦士たちは冷静に状況を見定めながら、ミスズからの指示があるまで待機していた。戦士たちの心臓の鼓動が聞こえてくるような静寂のなか、時間だけがゆっくりと流れていく。


 やがて〈生体甲冑〉の胸部から蒸気が吹き出すのが見えた。それは内部に溜まった圧力を解放するかのようだった。そして硬質な装甲が勢いよくはじけ飛んでいく。金属がこすれる鈍い音が石英ガラスを震わせ、鈴のような音色が響き渡っていく。装甲が外れた箇所に視線を戻すと、蒸気が空気中に霧散し、装甲服を装着していた人間の姿が露わになる。


「期待していた展開じゃないが――」と、ワスダが鼻を鳴らす。

「驚くような再会でもない。そうだろう、ソクジン」


 重装甲戦闘服を装着していたのはソクジンだった。しかし戦闘によって損傷した〈生体甲冑〉と同様、その姿はひどい状態だった。熔けた装甲の破片が身体に食い込み、銃創や爆風による火傷、裂けた皮膚からは人工血液が流れ出ていた。傷口からは機械的なパーツが覗いていて、装甲服と融合しているような姿でもあった。


 その表情は苦痛に歪んでいて、もはや他者を軽んじる余裕めいた表情は見られない。頬には深い傷痕があり、昆虫の複眼を思わせる義眼に置き換えられた瞳は弱々しく明滅していた。


 監視カメラでソクジンの姿を確認したとき、かれはすでに負傷していた。それが致命傷になるような傷だったのかは分からないが、生き延びるために、機械と融合することを選択したのかもしれない。


 異種文明の〈生体甲冑〉を無理やり装着するためなのか、四肢は切断され、脈動するケーブルと機械部品に繋がれているのが確認できた。その生々しい切断面からは、僅かに残された生身が露わになっていて、機械との接合部からは白く粘度の高い血液が糸を引きながら滴り落ちていた。


 その姿からは、機械と肉体とが不自然に融合した様子が垣間見える。機械の骨格がソクジンの身体を貫き、生体と機械を無理やり固定していた。生き物のように脈動するケーブルは皮膚に食い込み、筋肉と絡み合っていて、頭部にも接続されているのが見えた。その繋がりは不気味であり、生々しく、まるで肉体が機械に侵食されているかのようだった。


 ソクジンからは、かつての〝人間性が失われている〟ように見えた。肉体が切り裂かれ、機械との融合が進むなかで、人間性すら消失してしまったのだろう。その存在は、生きた人間と機械が融合した恐るべき旧文明の象徴のようでもあった。そしてそれは同時に、かつて栄え、そして死滅した種族の不朽の遺物に依存した結果なのかもしれない。


 かれの顔には感情や表情といった人間らしさが欠落していた。その目は虚空を見つめ、機械的な存在としての彼の本質を浮き彫りにしているようだった。魂とも呼ばれた頼りないモノは、機械の迷宮に閉じ込められ失われてしまったようだった。人であったモノが異種文明の技術によって変容し、新たな存在に置き換わったようにさえ思えた。


 己を人間として形成する心が失われたことで、生存本能の残骸だけが残されたように見えた。その身体が異次元の技術によって操られ――あるいは、機械的な存在に取り憑かれてしまったような印象を受けたのは、その所為なのかもしれない。


 しかしそれは思い過ごしなのかもしれない。結局のところ、我々はあの古代兵器についてほとんど何もしらないのだ。


 するとソクジンの表情に、一瞬だけだったが力強さが戻るのが見えた。それはある種の執念めいた感情を宿しているようにも見えた。


『……どうして』ソクジンは口を動かしていなかったが、装甲服の異種族用言語変換装置を経由した不気味な声が聞こえてくる。『どうして俺の邪魔をするんだ』と。


 ソクジンの声を再現した合成音声が冷たく響くなか、その機械音と人間の声が組み合わさった不気味な声に戸惑う。その声には、人間の情動が残されているように感じられたが、同時に無機質で機械的な冷徹さも含んでいた。まるで機械が死人の真似をしているような、どこか言い知れない恐怖に襲われた。


 返事をせずに黙り込んでいると、マニピュレータアームに残された刃が、攻撃のために赤熱していくのが見えた。それはすぐに壊れそうに見えたが、鋼鉄を薄切りにして、骨を砕き、肉を切り刻むことは安易にできるかもしれない。


 ソクジンの意図は理解できなかった。けれど彼がどのような目的を持って我々の前に立ちはだかるのか知る必要があった。


「なにが目的なんだ。どうして俺たちを攻撃する」

 我々の関係は決して協力的なモノだったとは言えなかったが、仲たがいするような関係性でもなかった。ましてや殺し合いに興じるような関係でもない。


『その人形だ』

 地の底から響くような声が外部スピーカーから聞こえたかと思うと、コンソールパネルの前に立つアイに向かって、赤熱する刃の切っ先が向けられた。

『その人形をよこせ』


 やはりソクジンの狙いは、アイが〈軍用AI〉の本体から持ち出した〈マスターキー〉なのかもしれない。


「質問に答えてくれ。何が目的だ」

 ソクジンは、無数のケーブルでつながれた顔をこちらにゆっくり向けた。しかしその表情に感情は見られなかった。怒りもなければ、お得意の他者を見下すような表情も見られなかった。ただ声に反応して顔を動かしたように見えた。


『人工島の支配、そして都市を支配する人工知能からの解放……だ』

 機械と融合した哀れな存在が、人工知能の排除を画策している。あまりにも皮肉な展開に思わず顔をしかめる。


「本気で言っているのか?」

『俺は……いや、俺たちは本気だ』


 ソクジンが何かを企んでいることは分かっていた。しかしそれは、たとえば「旧文明の兵器を手にいれたい」とか、「手付かずの遺物を手にいれたい」といった俗物的な考えに基づく行動だと思っていた。まさか人工島そのものを支配下に置きたいなんて大それたことを考えているとは思いもしなかった。


 あるいは、レイダーギャングごときに、そんなことができるはずがないと高をくくっていたのかもしれない。そうであるなら、他者を見下していたのはソクジンではなく、私だったのだろう。


 いずれにせよ、綿密な計画と準備のもと、ソクジンは人工島に乗り込んだ。しかしその計画の鍵となる人物が、計画の妨げになるとは思いもしなかったのだろう。

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