第755話 スタンドアローン〈アイ〉


 コンソールパネルに触れながら〈接触接続〉を行うと、薄暗かった部屋の奥に照明が灯る。無数の機器に接続されたケーブルの束に注意しながら進むと、筒状の奇妙な装置が見えてくる。素通しのガラスに覆われた装置は、壁や天井から伸びる複雑な配管やケーブルに接続されているのが確認できた。


 人ひとりが入れる程度のサイズで、その用途は一目で明らかだった。透明な筒の内部には僅かながら液体が――おそらく被膜液だろう――が残されていた。それは床にも点々と残されていて、装置が数時間前まで作動していたことをうかがわせた。


 その装置には精密なセンサーが組み込まれ、被膜液に浸かった機械人形に適切な厚さで皮膚が形成できるようになっていた。この筒状の装置が〈ガイノイド〉の製造に不可欠なものであることは明白だ。


 ここで客の好みに合った顔や骨格を成形し、高度な生体素材バイオマテリアルが使用された〈人工皮膚リアルスキン〉で機体を覆い、完璧な姿に仕上げていたのだろう。


 装置の操作にはホログラム技術が使われていて、〈ホログラフィック・インターフェース〉で容姿に関する設定が簡単に変更できるようになっていた。しかし装置はロックされていて操作を受け付けず、製造履歴を確認することができない状態になっていた。


「けど――」と、アイを見ながら言う。

「君がどこからやってきたのか分かったよ」


 彼女は肩をすくめると、ばつの悪そうな表情を浮かべてみせた。

「レイラを騙すつもりはなかった。ちょっと揶揄からかうつもりではいたけど、まさかこんなことになるとは思っていなかったんだ」


「こんなことっていうのは、遊女のフリをして俺たちに近づいたことか?」

 質問に彼女は頬をふくらませて、それから開き直ったような態度で言う。


「たしかに遊女のフリをした。でもそれは危害を加えるためじゃない。わたしはただ、理由が知りたかったの」


「俺たちがカジノホテルにやってきた本当の理由が知りたかったんだな」

「そう」


「そしてカジノフロアの〈VIPルーム〉に入ったのを見て、遊女を利用しようと考えた」

「違う、利用しようとしたんじゃなくて、〈VIPルーム〉に行くように仕向けたの。レイラは気づいていなかったみたいだけど、先回りして出入り口を開いたり、通路の照明を灯したりして無意識に〈VIPルーム〉に足を向けるように誘導したの」


「はじめから〈軍用AI〉の手のひらで踊らされていたってことか……」

 彼女はうなずいてみせたあと、さっと周囲を見回す。

「ここはひどく寒いわ、部屋に戻りましょう」


 彼女の〈人工皮膚リアルスキン〉には、繊細な刺激受容機能を備えた生体膜が使用されているのだろう。それは彼女が遊女として製造されていたことに関係があるのかもしれない。いずれにせよ、彼女を凍えさせるわけにはいかない。狭い通路を通って客室に戻る。拡張現実で表示されていたインターフェースで隠し部屋の気温を確認すると氷点下だったことが分かる。


 用途不明だったが、この部屋には無数の装置が設置されていたので、ソレを冷却するために必要な措置だったのかもしれない。〈ハガネ〉のタクティカルスーツを装備していたので気温の変化に鈍感になっていたようだ。機械人形のアイのほうが、よほど人間らしいのかもしれない。


 アイは自分自身を抱きしめるようにして部屋に戻ると、クイーンサイズのベッドに駆け寄り、その端にそっと腰掛けて一息つく。そして背中を預けるようにして、ゆっくりと横たわってみせた。そのさい、彼女の艶やかな黒髪が空気に触れて軽やかに揺れ、サラサラと白いシーツの上で広がるのが見えた。


 どこか艶かしい仕草を見ていると、この荒れ果てた世界においても、まだ美しさが息づいていることを再認識させられる。その横顔を静かに見つめながら、気になっていたことを質問する。念のため、カグヤのネットワークを使ってミスズたちとも会話を共有することにした。


「こんなに呆気なく正体を明かしたのは、保安システムに攻撃されたからなのか?」

 彼女は天井に吊るされたシャンデリアを見つめながら、静かにうなずく。

「そうね、あれは想定していなかった。これまで何度も遠隔操作リモートで遊んだことがあるけど、わたしの〈コムラサキ〉が攻撃されるようなことは一度もなかった」


 どうやら我々は彼女の〝お遊び〟に付き合わされていたようだ。

「でも、今回は標的にされた」


「レイラたちを排除するために、保安システムが積極的に動いている。とも考えられるけど……そもそも許可を与えた覚えもないし」


 彼女の言葉に思わず眉を寄せる。

「許可? どうしてシステムが君に許可を求めるんだ?」


「あら?」と、彼女は上半身を起こす。そのさい、彼女の襟元に織り込まれていたホロライトが青く明滅するのが見えた。「もしかして、わたしがただの間者――いえ、〈軍用AI〉が送り込んだスパイだと思っているの?」


「違うのか?」

 彼女は悪戯っぽい表情を浮かべて、それから言った。

「もちろん違うわ。だって、わたしがその〈軍用AI〉なんだから」


 顔をしかめると、彼女は夢のような微笑みを浮かべる。

「信じていないのね。でも、信じるべきよ。だって、そうでしょ?」


「なにが〝そう〟なんだ?」

「レイラは、わたしの能力を疑っている。それはきっと、私が人類を支援するために造られた人工知能だからっていう理由で偏見をもっているの。でも、わたしは〝ただの人工知能〟じゃないの」


 彼女は誘うような艶かしい表情を見せる。

「わたしは誰よりも人間の感情に敏感だし、誰よりも人間の気持ちに精通している。どうしてそんなことができるんだって顔をしているから、とくべつに教えてあげる。それはね、わたしが学んだから。長い時間をかけて――それこそ人間には想像もできないような途方もない時間をかけて、人と共存する方法を学んできたの」


電脳空間サイバースペースか」

「ええ、そうね。ある意味、仮想世界で生きる私にとって、時間はいくらでも引き伸ばすことができるから。もちろん人類について学ぶために、わたしは現実の世界でも愛されなくてはいけなかった。それは難しいことに思えるけど、わたしにはこの身体があるから」


 彼女は乳房を持ち上げるように腕を組んで見せた。

「ただの愛玩用の人形でしかないけれど、人間と生きていくには都合が良かった」


「生存者たちを利用して、この人工島で学習し続けてきたのか」


「わたしは人類よりも優れているけれど、人々がその事実を受けいれるのは難しいことだって知っている。あなたたちが旧文明と呼んでいた時代ですら、人々の心からフランケンシュタイン・コンプレックスが完全に消えることはなかった。かれらは人工的に生み出された被造物に支配されることを恐れていたのね。でも、わたしを愛するようになれば考えを変えて、わたしの言葉に耳を傾けてくれるようになるかもしれない、そう思ったの」


「文明崩壊を目の当たりにして弱っていた人々の心の隙につけ込むために、その義体を利用していたのか」


「つけ込むって言葉はキライよ。わたしに悪意はない、この人工島のように人類を管理して導きたかっただけ」

「管理……? 人を飼い慣らしているようにしか見えないけど」


「人工島で生活している人々のことを言っているのなら、それは見当違いよ。わたしは何も強制してない、あの生活を望んでいるのは住人であって、わたしじゃない。人工島から出ていく権利は誰にでも与えられているもの」


「廃墟の街で生きていけるのかは別として、たしかに彼らには選択肢があるように見える。それより話が脱線したみたいだ。ここで何が起きているのか教えてくれるか」


「なにがって?」

「〈軍用AI〉でもあるアイは、俺たちの動向を探るために、その義体を遠隔操作していた。でもシステムに……つまり、自分自身から攻撃されて排除されそうになった。その原因は分かっているのか?」


「どうやら本体から切り離されてしまったみたいね」

「アイは本体のシステムに依存せずに動作する〈軍用AI〉のコピーになったのか……それで、本当の君は何がしたいんだ?」


「わからない」

 興味がないのか、彼女は素っ気なく言う。

「人工島の〈データベース〉からも締め出されて、今は本体と情報を共有することができないから、わたしにも何が起きているのか分からないの。でも、なにか異常なことが起きているのは間違いないわ。たとえば、本体のシステムに侵入されて誰かの操り人形にされている、とか」


「言うまでもないけど、俺たちに〈軍用AI〉をハッキングする能力はない」

「ええ、わかってるわ。でも、それができる可能性のある者たちと一緒だった」


「ソクジンたちのことか?」

「そう、かれは今どこにいるの?」


「ソクジンなら――」

 拡張現実で表示される地図を確認するが、かれの反応は消失していた。

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