第751話 夢の女性〈サイコロ〉


 ショッピングエリアまで戻ると、ミスズたちがやって来るまでの時間を利用して、ヤトの戦士たちが回収してくれていた遺物を確認することにした。


 ハクと一緒にハンバーガーを食べた場所まで歩いていくと、テーブルの上に並べられた電子機器や見慣れない端末が目に入った。すでに起動確認してくれたのか、端末の発する光が薄暗い空間を照らしている。かれらが回収してくれた遺物の中には、これまで見たことのないような奇妙な形状の端末や未知の装置が含まれている。


 ハクの興味を引いたのは、ホロスクリーンを投影していたサイコロにも似た小さな装置だった。手に取ると表面に複雑な模様が刻まれているのが確認できた。その模様を指でなぞると微かな振動を感じた。その直後、装置の表面から青白い光が放たれてホログラムが投影される。


 敵に本物の目標と誤認させる目的で使用するデコイなのだろう。嵩張かさばらないサイズで使い勝手も良さそうなので、様々な状況で効果的に使用できるかもしれない。そのデコイは、ポリカーボネートと軽量な炭素繊維の複合素材で作られたケースに整然と収納されていた。密閉されたケースは持ち運びやすい大きさで、手のひらに収まるほどだった。


 テーブルには他にも興味深い装置が置かれていた。たとえば、高度なソフトウェアによって地球上のどんな場所でも正確な位置情報を受信するだけでなく、周囲の障害物や建物を考慮した移動経路をリアルタイムで検索し、最適なルートを案内してくれる装置〈ナビゲーター〉もあれば、〈プロテイン・ディスペンサー〉や記憶媒体として利用される結晶も確認できた。


 各端末には複雑な制御パネルやタッチスクリーンなどは搭載されず、誰でも簡単に扱えるように、ホロスクリーンや〈AIエージェント〉ですべての機能にアクセスできるようになっていた。高度な技術が身近にある生活は、たしかに便利だったのかもしれないが、何かが欠けているように感じる。


 けれど、その奇妙な感覚を〈廃墟の街〉で生きる人間と共有することは難しいのかもしれない。かれらにとってソレは生まれたときから当然のように存在するモノであり、技術が不十分だった時代と比べることなんてできないのだから。……いや、その感覚を持っていることのほうが異常なのかもしれない。


 それらの装置が今後どのように役立つのか、そして拠点で複製できるのかは分からないが、ミスズたちの到着を待ちながら遺物のリストを作成していく。このショッピングエリアには、未知の技術と謎めいた装置が大量に残されているのだろう。その中には、危険な組織の手に渡ることを阻止しなければいけないような遺物も含まれているのかもしれない。


 作業を続けながら〈サイコロデコイ〉を手に取ると、ハクの分身を投影して遊ぶ。ハクはデコイに驚いてビクリと飛び上がるが、それがホログラムだと気がつくと、はじめから知っていた風を装う。


『それ、にんじゃ、つかうやつ。ハク、しってた』

 得意げなハクを撫でていると、ジュジュを連れたミスズたちがやってくるのが見えた。


 遊女はシンプルかつ洗練されたデザインの――少なくとも、当時の流行だった思われるトップスとパンツを身に着けていた。グレーのトップスは身体にぴったりと密着する薄い素材で作られていて、肩から胸元にかけて開いていて彼女の妖艶さを際立たせていた。


 ナノテクノロジーによる微細なホロライトが布地に織り込まれていて、彼女が動くたびに身体の線を強調し、ネオンで溢れた都市の中でも個性を失わないようにつくられていたことが分かる。電子機器やセンサーを組み込んだ布地は、着用者の体温や健康状態をモニタリングしたり、周囲の環境に応じて自動で温度調節したりする機能もついているようだ。


 パンツも脚のラインに沿ってフィットしていて、腰から臀部にかけての曲線を美しく見せていた。ラテックスを思わせる艶のある生地は脚を長く、そして細く見せるよう工夫されているようだ。


 そして彼女が羽織っていた外套は軽量で、華やかな都市に適したモノトーンのシンプルなスタイルが特徴的だった。ウエストラインで絞られ、女性らしさを演出していたが、背中や袖にはホロライトが埋め込まれていて、彼女の動きに合わせて明滅していた。その所為なのか、大人の落ち着いた雰囲気から、どこか派手な印象に変わる。


 その外套には体温や圧力に反応して形状変化する素材が使われ、高度な伸縮技術が備わり、美しいシルエットを保つために自在に形状を変える機能が備わっていた。また防刃性、耐衝撃性にも優れているようだった。アラミド繊維などの衝撃吸収性に優れた素材が一般の衣服にも使用されている理由は分からないが、それが旧文明という時代だったのだろう。


 彼女が身につけていた旧文明の服はユニセックスなスタイルでありながらも、女性らしい魅力を引き立たせ、同時に遠い未来からやって来たような奇妙な印象を与えた。


 やはり機械人形だからなのか、彼女からはハクの姿に怯えている様子は感じられなかった。ただ珍しい生物を見るような、興味津々といった眼差しでハクを観察していた。そうとは知らず、ハクはジュジュに分身の術を披露していた。ジュジュは驚いて固まったあと、助けを求めるようにミスズのもとにトテトテと駆けていく。


 彼女の面倒を見てくれたミスズとナミに感謝したあと、さっそく質問することにした。

「君の名前を教えてくれ」


 いくらか誇張して表現しているかもしれないが、彼女ははかなげで、ある種の美術品にも似た透明な繊細さと美しさを備えていた。彼女の前では、この世界に唯一の至高の絵画も色褪せて見えるかもしれない。しかしそれは私個人の主観的な問題なのだろう、なぜなら彼女の美は、私の理想をもとにつくり出されたモノなのだから。


 しかし彼女が〝夢の女性〟であることに変わりはない。遊女に見つめられると、心臓をぎゅっと握られたような奇妙な感覚がした。それを見透かしているのか、彼女はそっと微笑んで見せたあと、触れてみたくなるような柔らかな唇を開いた。


「わたしのことは〝アイ〟って呼んで」

「アイ……」


「そう。レイラだけの、アイ」

「君は誰のものでもないよ」


「いいえ わたしはあなたのものよ。だって、そうでしょ?」

「なにが〝そう〟なのかは分からないけれど、誰かのモノになる必要なんてないよ。それに、君は今日まで俺の名前すら知らなかったんだ」


「もしかして、わたしのことを揶揄からかってるの?」

「いいや、揶揄っていないよ。たしかにひどい会話だけど」


「それなら、わたしの気を惹こうとしているのかしら」

 それは、木霊のように密やかな声だった。穏やかで落ち着きのある声だったが、内に秘めた感情があることは明白だった。


『彼女の記憶では、レイとは〝親しい間柄〟っていうことになっているんだと思う』

 カグヤの言葉に思わず溜息をついた。


「手っ取り早く客と親密な関係になるための、偽の記憶ってことか……」

『そういうこと』


「どうしたの、レイラ?」

 彼女が首をかしげると、幼い子ども特有の繊細で艶のある美しい髪がサラサラと揺れるのが見えた。過酷な環境で生きる人間のソレとは、似ても似つかないほど滑らかな髪質だ。


「なんでもない。けど認めるよ、君は俺だけのアイだ。それなら本当のことを教えてくれるか、君の望みはなんだ?」


「望み?」

 彼女の眸の奥では、何か言い知れない感情が渦巻いていた。けれど、それがどのような感情なのかは想像することもできなかった。


「わたしの望みは、レイラを楽しませること、そしてふたりで愛し合うこと」

 彼女は遊女で、セクサロイドとして誕生していた。であるなら、それは予想できる答えだった。だが、それが真実ではないことは誰の目にも明らかだった。


『ぶんしんのじつ、ヤバいな』

 困惑する我々を余所に、ハクは分身の術を披露し続けていた。

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