第732話 水中トンネル
水中トンネルの周囲には投光器が設置されていて、水中を泳ぐ魚の様子や景色を楽しめるようになっていたが、トンネルそのものは薄暗く、最低限の照明しか設置されていなかった。もちろん、それは幻想的な雰囲気作りのためだけでなく、魚の様子を詳細に観察できるための工夫でもあるのだろう。
そのおかげなのか、深海魚のように体表を発光させながら優雅に泳ぐ魚たちの姿を観察することができた。それは見惚れるほどの美しい景色で、死傷者を出した襲撃のあとにも
トンネルには水族館のための通路と、カジノエリアに向かうための車道も用意されているようだった。我々が利用していた通路からも壁を透かして車道の様子を確認することができたが、もちろん利用者はいなかった。本来なら、〈ホバーバス〉などの乗り物が行き交い、客の目を楽しませていたのだろう。
時折、巨大な影が我々の頭上を通り過ぎることがあったが、生物の正体は分からなかった。首長竜にも似たシルエットだったので、もしかしたら本当に絶滅した生物が泳いでいたのかもしれない。旧文明の遺伝学的技術がどれほど優れていたのかは分からないが、あり得ない話でもないだろう。
実際のところ、彼らは工業製品として使用されるクジラなどの人工生命体をつくり出す技術を保有していたのだ。優れた遺伝子工学を用いれば、絶滅した生物の複製をつくり出すことは、それほど難しいことではなかったはずだ。
だが、仮にあの生物が本当に首長竜の複製だったとしたら、現在の環境に適応するための遺伝子操作が行われているはずだ。そしてもちろん、あの生物を管理――あるいは飼育するためのシステムも確立されていたのだろう。機械人形によって都市全体の設備が保全されていたように、やはり人工池も管理されてきたのかもしれない。
その薄暗いトンネルの先に視線を向けると、先行するソクジンたちの背中が見えた。襲撃によって人数は減ってしまっていたが、彼らが仲間の死に対して動揺している様子は見られない。今回の任務のためだけに結成した寄せ集めの部隊だったのだろう。
いかにも略奪者といった汚い身形の男たちは、仕事のあとに手に入れられる報酬目当てに参加しているようだったが、ひとりだけソクジンと目的を共有しているように見えた。彼らの目的がなんであれ、任務の途中で裏切られるようなことはないのかもしれない。
けれど彼らは廃墟の街でも手に入れられない高価な〈サイバネティクス〉や装備を所有しているので、都市を管理する〈軍用AI〉とのつながりについても考えないといけないのかもしれない。彼らにその気がなくても、知らず知らずのうちに人工知能の手先になっている可能性もあるのだから。
実際、この
そう考えると、カジノエリアにあるという金塊の情報も本物なのか疑わしくなってくる。遊び相手になる人間を〈人工島〉に誘い込むための偽情報、という最悪なシナリオも考えられるからだ。
あるいは、あれもこれも私の考え過ぎなのかもしれない。ソクジンの〈クリスタル・チップ〉によれば、たしかに大量の金塊が〈人工島〉に運び込まれたことが確認できたからだ。
それは大々的に報道されていて、あの時代を生きていた人間なら誰もがカジノに金塊があることを知っていた。ちなみに金塊の多くは加工され、カジノのチップや景品として利用されていたようだ。
答えの出ない考えを打ち切ると、拡張現実で表示される〈戦術ネットワーク〉のディスプレイを開いて、〈生体情報モニター〉で管理されている仲間たちの情報を確認することにした。それぞれが所有する小銃の状態から怪我に関する詳細なデータまで、ひと目で確認できるようになっていた。
それ以外にも部隊の行動パターンや戦闘に関するデータログも表示できたが、目で追えないほどの処理速度で数字やら文字が表示されて、滝のようにディスプレイの表面を埋め尽くしてしまうので、あまり利用しない項目だった。
カグヤやペパーミントは普通にその情報を読み取れていて、戦闘時における行動方針の改善や装備の開発に役立てているみたいだったが、彼女たちが特別なのだろう。だが、それが有用な情報に変わりない。トゥエルブやイレブンのように、特別な人工知能を備えた機体の改善にも役立つ情報になっていた。
つねに監視されていた〈ヤトの戦士〉たちの状態を確認することにした。先ほどの襲撃による負傷は確認できなかったが、戦闘好きの種族だったので、怪我をしていても任務を継続するために隠しているかもしれない。だからちゃんと調べることにしたが、人間よりも心拍数が少ないことを除けば、いたって正常だった。
先ほど襲撃してきた〈コムラサキ〉は、我々がこれまでに相手してきた人擬きや〈アサルトロイド〉と異なり、戦闘を経験したことのない相手だった。それにも拘わらず、ヤトの戦士たちは類まれな戦闘技術によって負傷することなく戦闘を切り抜けることができた。
かれらの身体能力にはいつも驚かされるが、道具や命綱を使わず北米最大の岩壁に挑戦し、身体改造されていない生身の身体で九百メートルの単独登攀に成功した人間もいるのだ。ヤトの戦士のように人間よりも優れた肉体を持つ種族なら、強力な機械人形が相手だろうと、戦い抜くことはそれほど困難ではないのかもしれない。
やがて水中トンネルの出口が見えてくる。このまま進めばカジノエリア側の展示エリアに出ることになるが、その前に休憩することにした。我々が潜入したことは、すでに知られているだろうから、地上に出てしまえば休める場所を見つけるのは難しくなるだろう。だから今のうちに一休みすることにしたのだ。
ソクジンたちは不満そうにしていたが、我々がいなければ全滅すると知っているからなのか、文句を言うことはなかった。
オープンテラスになっていたカフェを見つけると、ジュジュをイスに座らせて、すでに開封していた〈国民栄養食〉を取り出す。ジュジュは口吻をカチカチ鳴らしながら手を伸ばす。最後に食べてからそれなりに時間が経過していたので、小腹が空いていたのかもしれない。近くに自動販売機があったので、ハクのためにも何か買うことにした。
ミスズとナミにジュジュのことを任せると、ハクを連れて自販機が並べられているフロアに向かう。
『ハク、それがいい!』
自動販売機に備え付けられていた投影機で浮かび上がるハンバーガーを見て、ハクは眼を輝かせる。興奮しているのか、腹部を振りながらベシベシと地面を叩く。
「他にも種類があるみたいだけど、本当にそれでいいのか?」
『ん、ハンバーガーがおすすめ』
「おすすめなら仕方ないな」
ポテトとアップルパイがついてくるセットを注文すると、水族館のオリジナルキャラクターが調理している様子が投影される。今回もイルカをモチーフにしたキャラクターだったが、二頭身にデフォルメされていて、エントランスで見たイルカのアニマトロニックより親しみが持てた。
そこにワスダたちがやってきて、何を食べるか楽しそうに雑談する。街で見かける故障していない自動販売機には、たいてい使用制限が設けられていて、〈データベース〉にIDが登録されていなければ買い物すらできないようになっていた。ワスダたちはライフルを使うために生体情報を登録していたので、問題なく自動販売機を使うことができていた。
普段から何気なく旧文明の設備を使っていたので気にならなかったが、カグヤがいなければ食べ物を入手するのにも苦労していたのかもしれない。やはり自分は恵まれていたのだろう。あらためてカグヤに感謝したあと、ひとつでは足りないだろうから、ハクにもうひとつ別のセットを注文することにした。
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