第730話 水族館


 目的の施設は、水族館の入り口だとは思えないような地味な外観だったが、施設に近づくにつれて色とりどりの熱帯魚や可愛らしいキャラクターがホログラムで投影されるようになる。手軽に使用できる拡張現実ではなく、わざわざホログラムを使用しているのは、高価な〈人工眼球バイオニック・アイ〉やインプラントのない幼い子どもでも楽しめるように工夫しているからなのだろう。


 そしてそれは実際に効果があるようだった。ハクとジュジュは空中を泳ぐ熱帯魚の姿に魅了され、脚を止めてぼうっと眺めていた。その間、ソクジンは封鎖されていた施設入り口を開放するための準備を進めていた。どうやら、ここでも彼が事前に用意していたソフトを使用するようだ。


 それは非常に使い勝手のいいソフトウェアだったが、何度も使用すると警備システムに探知されてしまう可能性があるので、使用回数に制限を設けているという。


 用途の限られた扱いにくいソフトに思えたが、その話を聞いていたエンドウは逆に興味を持ったようだった。彼は自身の端末にソフトウェアのコピーをダウンロードすると、いくつかのコードを変更し、何度でも使用できるようにプログラムを書き換えられないか試していく。


 カグヤの〈戦術ネットワーク〉を介して我々の動きをモニターしていたペパーミントも、エンドウと同じように興味を持ったようだ。〈軍用AI〉すら騙すことのできるプログラムだ。もしも使いこなすことができれば、この〈人工島〉だけでなく、旧文明の施設でも使えるかもしれない。さっそく彼女はソフトウェアの解析を始める。


 しかし都市封鎖によって完全に閉ざされていた施設に潜入するのは困難なのか、なかなか作業が先に進まなかった。やはり車両のシステムに侵入するのとは訳が違うのだろう。何重にも張り巡らされたセキュリティ対策を安易に突破して、都市のシステムに侵入するのは極めて難しいことなのだろう。


 機械人形の追跡を心配していたが、ソクジンはいたって冷静だった。これまでにも企業区画に潜入を試みた人間は何人もいた。しかしそのたびに排除されてきたので、我々はまだ警備システムによって脅威として認識されていないという。


「つまり、何が言いたいんだ?」

 ワスダの問いに、青年はニヒルな笑みを浮かべる。

「人工知能にとって、僕たちは心配するほどの脅威じゃないってことさ。いつの時代にも命知らずの侵入者はいたけれど、そのすべてを排除してきた。そして彼らはきっと、今回も同じような試みが行われていると考えているはずだ」


「今回も楽に対処できる、だから警備の増強は必要ない……人工知能がそう判断しているって考えているのか?」


「ああ、そうさ。アレは機械学習によって進化していくモノだけど、ソレができるのは、事前に与えられた膨大なデータを分析し、人間の脳のように新たな情報を学んでいるからなんだ。けれど都市を監視する〈軍用AI〉は、今までに僕たちのような侵入者を相手にしたことがない」


「前例になるような出来事がなければ、対処方法を学ぶ機会すら得られない。だから俺たちの行動には対処できないと?」


「そういうこと。どれほど優れた頭脳を持っていようと、それは自由意志のない空っぽの器だ。誰かに情報を与えてもらわなければ、それが存在していることすら知らないし、知ろうともしない」


「その考えが通用しない相手だったらどうする?」

「僕たちのように外に意識を向け、世界のありように興味を持ち自ら学習し続ける相手なら、それはもはや旧世代の人工知能とは呼べない代物だ。であるなら、僕たちも対処方法を変えなければいけない。それだけのことだよ」


「ずいぶん〈軍用AI〉に入れ込んでいるみたいだな」

 ワスダの言葉に青年は鼻で笑って見せた。

「僕らは、その空っぽの器に支配されてきたんだ」


「支配……ですか?」

 ミスズの問いに、青年はどこか悲しそうな表情を見せる。

「自分たちの生き死にだけじゃない、人生そのものを管理されてきたんだ。なのに、誰も彼もそれが当然のことであるかのように、この理不尽な現実を受け入れてきた。でも、僕は違う」


『支配から逃れるために、まずは己の敵を知ることから始めたんだね』

 カグヤの言葉に思わずうなずいた。ソクジンが警備システムを感染させるために使用しているマルウェアも、この日のために手抜かりなく用意周到に準備してきたものだったのだろう。彼らが何を企んでいるのかは依然として分からないが、もしかしたら、都市を監視する〈軍用AI〉の破壊そのものを目標にしているのかもしれない。


 やがて何処からともなく陽気な音楽が聞こえてきて、水族館の展示に関するアナウンスが複数の言語で行われる。ここでも翻訳インプラントを持たない人間がいることを想定し、誰にでも内容が理解できるように丁寧な対応が行われていた。


 そのアナウンスに耳を傾けていると、サイボーグ集団が施設に入っていくのが見えた。相変わらず愛想がなく、まるで我々が存在しないように振舞っている。どのような事情があるにせよ、彼らと理解し合える日はやってこないだろう。


 熱帯魚を捕まえようとしていたハクとジュジュに声を掛けたあと、ミスズたちと一緒に施設に入る。チケットカウンターがある閑散としたエントランスには、瑠璃色の絨毯が敷かれていて、壁面も鮮やかな青で染められ、天井付近ではホログラムで投影された深海魚が泳ぐ姿が見られた。


 しかしハクとジュジュの興味を引いたのは、精巧に造られたタコやカニのアニマトロニックだった。生物の動きを忠実にしたロボットが動く様子は興味深く、子どもだけでなく、大人にも人気だったことがうかがえる。ちなみに我々は不法侵入だったが、チケットの代金を請求され電子貨幣クレジットで支払うはめになった。


 チケットの購入者に記念品のぬいぐるみを配りに来たのも、アニマトロニックのイルカだった。酸素ボンベを背負った状態で地上を移動するイルカは不気味で、光線銃を片手に人類を攻めてきそうな雰囲気があったが、ハクとジュジュには好評だった。なにか子供心をくすぐる要素があるのだろうか。


 そのイルカのぬいぐるみを手にしながら周囲を見回す。どうやらロックダウンが行われたときには深海生物に関するイベントが開催されていて、暗い水槽に珍しい深海魚の生体が展示され、すでに絶滅してしまった生物の貴重な標本なども展示されていたようだ。しかし施設は封鎖されていたので、それらの生物はすでに死滅してしまったのかもしれない。


 ソクジンたちを追って展示エリアに入っていくが、水槽の多くは水が抜かれていて、生物の姿を確認することはできなかった。案内図で賑やかな展示エリアを見ていたからなのか、ハクとジュジュは残念そうにしていた。


 けれど水槽のなかを通るように設置されたチューブ状の廊下を歩くときには、天井や壁を透かして無数の魚の姿を見ることができたので、それなりに満足しているようだった。アナウンスによれば、その水槽は地上の人工池とつながっていて、魚が自由に展示エリアに出入りできるようになっているようだった。


 しかし魚の多くは見慣れない姿をしていて、生物発光する奇妙な魚の姿も見られた。遺伝子操作された生物なのだろうか、そのなかには温暖な海域や熱帯域にしか生息できない水棲生物の姿まで見ることができた。道幅のある通路は地下の水中トンネルに続いていて、オートウォークに乗って移動できるようになっていた。


『施設をメンテナンスする機械人形が、人工池の魚を管理しているのかな?』

 カグヤの疑問に肩をすくめる。

「かもしれないな。無人の都市をあれだけ綺麗な状態で維持してきたんだ。水族館を管理することくらい、簡単なことなのかもしれない」


 いずれにせよ、いやな胸騒ぎがしていた。ここで襲撃されたら応戦するしかないが、トンネルの壁を傷つけたら大変なことになるだろう。景色を楽しんでいるハクたちとは対照的に、緊張感を抱きながら歩くことになった。

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