第723話 計画〈ジュジュ〉


 〈ご乗車ありがどうございました〉

 違和感のない合成音声を聞きながら〈ホバーバス〉から降りると、通りの先に無数の機械人形によって警備されるゲートが見えた。ソクジンの話では、目的のカジノがある区画に行くには、あのゲートを利用しなければいけないという。


「生体認証による本人確認が必要なんだけど――」と、青年は続ける。「ただ残念なことに住人の誰ひとりとして、そのゲートを通過する資格は持っていないんだ」


 住人というのは、彼のように〈人工島〉の監視エリアで生きてきた人々のことなのだろう。ソクジンに聞かされるまで、この埋め立て地に人が暮らしていたなんて知りもしなかったのだけれど。


「ご覧のように、ここでは自由なんてものは存在しないんだ」

 ソクジンはそう言うと、視線を上げて頭上を飛び交う監視ドローンを見つめる。

「だから僕たちのような人間は廃墟の街で生きることを選ぶ」


「それは、どんな人間のことを言っているんだ?」

 ナミの疑問に青年は微笑みを浮かべる。

「縛られるのに我慢できない無法者のことだよ。ずっと昔のことだけど、彼らは略奪部隊を組織して廃墟の街に向かったんだ」


 走り去っていくホバーバスを見ながらワスダがたずねる。

「それが、例の〈シズル〉っていうレイダーギャングか」


「ええ」ソクジンはうなずいた。

「もっとも、現在のソレとはまったく異なる組織だったんだけどね。本当の〈死頭流シズル〉はさ、この街から出ていった人間たちだけで構成された組織だったんだ。彼らは誰よりも優れた兵士で、適当に石を投げれば当たるような、どこにでも転がっているレイダーギャングじゃなかった」


 おそらく、ソクジンたちのようにサイボーグ化された集団だったのだろう。

「けど、潰されちまったんだろ?」

 ワスダの無遠慮な言葉に青年は気分を害したようだったが、それでも感情を表に出そうとしなかった。


「裏切り者が同胞どうほうを売った所為せいだよ。信頼していた者たちに騙された挙句に、ひとりずつ捕らえられて惨めに殺されていった。どこにでもある話さ」


「たしかに、そいつはありふれた話だな」

 ワスダは欠伸をして、それからいた。

「それで、どうやってあのゲートを越えるつもりなんだ?」


「もちろん考えがある。でなければ、わざわざ君たちに情報を提供するような真似はしないからね」


 青年の言葉にワスダは鼻で笑う。

「俺たちに面倒事を押し付けて、自分たちは利益だけを手に入れる。そういう腹積もりなら先に話してくれないか」


「まさか」青年はフッと笑って見せる。

「ここから先は共闘しなければ生き残れない。だから僕たちも戦闘に参加するよ」


 その芝居じみた作り笑いを見ながら、ソクジンの計画についてたずねると「抜け道を使って企業の私有地に侵入するのさ」と、彼は得意げに言う。


「あのゲートを通る以外の道はなかったんじゃないのか?」

 思わず顔をしかめるが、ソクジンは余裕の笑みを浮かべる。


「警備システムに攻撃されずに侵入するには、あのゲートを通るのが正解だけど、誰も資格を持っていない。だから抜け道を利用して、こっそり侵入するのさ」


「こっそり……ね」ワスダは溜息をつく。

「どの道、あの機械どもとやり合うことになるんだろ?」


「〝手は手でなければ洗えない。得ようと思ったら、まず与えよ〟って言葉を知らない?」


「自ら血を流したいって物好きはいないけどな」

 ワスダが肩をすくめると、青年は不敵な笑みを浮かべる。


「案内するから、僕たちについてきて」

「どこに行くんだ?」

「すぐ近くに集落があるんだ」


 ソクジンたちが歩き出すと、すぐ近くの自動販売機で買い物していたハクとジュジュが戻ってくるのが見えた。ジュジュはバニラ味の〈国民栄養食〉を大切そうに抱えていた。


「ジュッジュ、ジュージュ!」

 箱を差し出されたので、丁寧に封を切って、それからブロックタイプの栄養食を取り出してジュジュに手渡した。


 ジュジュはその小さな手で器用につかむと、栄養食をハムハムと頬張る。ジュジュが咀嚼するたびに、栄養食がボロボロと崩れて粉がこぼれ落ちていく。それはハクの体毛を粉まみれにしていくが、ジュジュは食べることに夢中になっていて、まったく気にしている様子がなかった。


 ジュジュたちは異界の花の蜜と、〈国民栄養食〉に非常によく似た〈白蛆の祝福〉と呼ばれる粉を主食にしていたので、匂いや味が似ている栄養食が口に合うのだろう。ハクにも食べるか訊いてみたが、あまり興味がないようだったので、残りを箱に戻してハクのバックパックにしまう。


 食事のときには水をたくさん飲むので、清潔な飲料水が入ったペットボトルのキャップを回して開栓済みにして、ジュジュの力でも開けられるようにしてから持たせておく。それからミスズたちのあとを追うように歩き出す。その間もジュジュは口吻を動かしながら、もぐもぐと食事を続けていた。


 入り口に〈ロックダウン〉の警告表示がホログラムで投影されている建物を見ながら通りを歩いていると、先行していたソクジンたちが立ち止まるのが見えた。どうやら目的の場所に到着したようだ。


 かれらの目の前には、どこか親しみが感じられる建物が――というより、周辺一帯に立ち並ぶ無機質な建物と比べて、生活感のようなモノが感じられる建物が確認できた。


 その建物は二十階建ての建築物だったが、周囲には七百メートルから八百メートルほどの高さがある高層建築物が林立しているので印象が薄く、つねに暗い影のなかにあった。けれど不思議と陰鬱な雰囲気は感じられなかった。


 建物に近づくにつれ、その小ささが一層際立つようだった。だがその小ささが逆に、個性的で親しみやすい雰囲気を与えているのかもしれない。住居として利用されているのだろう、建物の外側には小さなバルコニーがあり、そこに洗濯物が干されているのが見えた。


 すり切れた服やボロ切れが風になびいている様子は、機械人形が徘徊する電脳都市では珍しい光景だった。期待していた集落の姿とは異なるが、おそらくその建物が生活エリアになっているのだろう。周囲の巨大な建築物とは対照的に、この建物だけは穏やかな存在感を放っている。


 建物のガラス扉を開けると、金属の軋みが響いた。無人の都市で唯一、人の気配が感じられる建物は、見慣れた荒廃と寂寥が漂っている。入り口には、みすぼらしい戦闘服を着こんだ人間が立っていて、小銃を手に警戒していた。その目は冷たく、何かに怯えているようだった。


 エントランスホールはゴミで散らかり、どこか遠くから人々の話し声や音楽が響いてくる。壁には剥がれかかったポスターや、故障して点滅を繰り返すホログラムが投影されていて、かつての賑わいとは無縁な雰囲気に支配されている。


 足元には食料品や飲料水の容器が転がっていて、壁際には悪臭を放つゴミ袋が山のように積まれている。生きているだけでゴミは増えていくモノだが、まるで廃墟の街に戻った気分がした。


 小銃を手にしていた住人は、ソクジンたちに怯えているのか、視線を合わせようともしなかった。空気は重く、我々が歓迎されていないことは明白だった。


 そこにハクとジュジュが姿を見せると、彼らは武器を捨て、悲鳴を上げながら何処かに逃げていく。〈人工島〉から出たことがないのだろう、それは変異体を見たことのない人間の反応だった。ハクの気配にあてられていたなら、その場で腰を抜かしていたと思うので、それを疑う余地もないだろう。


「気にしないでくれ」とソクジンは言う。

「惨めな連中さ、相手にする必要もない」


 それから彼は思いだしたように言う。

「あぁ、安心してくれ。これから会う連中には、その〝連れ〟のことは伝えてある。あいつらみたいに情けない姿は見せないはずだ」

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