第722話 鬼城〈電脳都市〉


 とにかく不気味な街だった。高層建築群が空高くそびえ、道路は整然と整備されている。車道に放置車両はなく、戦闘の痕跡も見られず建物や歩道は良好な状態が保たれていた。


 しかしその清潔で秩序のある街並みは、奇妙な感覚を抱かせた。荒廃して瓦礫がれきやゴミに埋もれた廃墟の街にはない、独特な静けさの所為せいなのかもしれない。


 無人の通りを歩いていると、つめたい風が高層建築群の間を吹き抜けていく。その風が路地に吹き込むたびに、過去の記憶のかけらが溢れ出すように色彩豊かなネオンがまたたいてホログラム投影される。


 超高層建築物が街に長い影を落としているからなのか、それらの建物が墓碑のように見えるときがある。人気ひとけのない通りで足音は空虚で寂し気な響きを残し、まるで死者の国に迷い込んだような、ひどく幼稚で馬鹿げた気分になる。


 けれど無人の街を歩いていると、どこかに鬼や幽霊の類が潜んでいてもおかしくないとさえ思えてくるから不思議だ。


 遠くに見える企業の建物の多くは、幻想的なホログラムで――舞い散る桜や荘厳な滝で飾られていたが、外壁そのものも綺麗に磨かれていて、周囲の光景が映り込んでいるほどだった。注意深く観察すると、壁面に昆虫にも似たロボットが張り付いている様子が見られた。おそらく自律型の掃除ロボットなのだろう。


 すでにエンドウの〈徘徊型兵器〉は墜落していたが、電脳都市をメンテナンスする機械人形や各種ロボットは健在だ。やはり外部からやってくる自律兵器だけが狙われているのだろう。幸いなことに、カグヤのドローンは影響を受けていない。


 街には嫌な気配が満ちていたが、ハクとジュジュは相変わらずだった。自動販売機を見つけると、〈マルチパス〉を使って買い物をしようとする。すでに何度か〈国民栄養食〉や飲料水を購入していたが、ジュジュは得意げにマルチパスを手に持っていて、自動販売機を見つけようと躍起になっていた。


 ハクのマルチパスを使えば自由に買い物ができるようになっていたが、これからはお小遣い制にしたほうがいいのかもしれない。好き勝手に買い物させていたら、破産してしまうだろう。


 異様な静けさのなか警戒しながら歩いていると、前方から長方形の角張った乗り物がゆっくりと近づいてくるのが見えた。


 その乗り物が旧文明期に、どのような名前で知られていたのかは分からないが、とりあえず適当に〈ホバーバス〉と呼称することにした。その銀色のホバーバスに窓はなく、全体が光沢のある金属質な素材でおおわれていて、側面と下部に微かに青白い光を放つ装置が搭載されていた。


 それが旧文明期に使用されていたホバー装置なのだろう。反重力放射により物体を浮揚させる驚異的な技術が使用されたバスは、地面から僅かに浮いていて、車輪のようなものは見当たらない。


 その所為せいなのか、大気を振動させる微かな鈍い音は聞こえてくるが、一般的な車両に比べれば驚くほど静かで、まるで滑走するように車道を移動していた。


 ホバーバスが所定の位置に止まると、空席を示すホログラムが投影されて、バス側面の乗降口が開くのが見えた。周囲にはホログラムで投影される黄色い線が浮かび上がり、乗客のための安全が確保される。


 突然のことに驚いている我々とは対照的に、ソクジンたちは冷静にバスに乗り込んでいく。


「これに乗って目的地まで移動するんだよ」

 田舎から都会にやってきた友人を案内するように、青年は落ち着いた声で言う。

「もたもたしないで、すぐに乗ってくれ。こんな場所に置いて行かれたくないだろ」


 ワスダは眉を寄せていぶかしむが、何も言わずにバスに乗り込む。それを見ていたソフィーとエンドウも緊張しながら彼のあとについていく。


 ミスズに視線で合図すると、彼女もヤトの戦士を連れてバスに乗り込む。重武装の戦士たちが公共交通機関を利用しているという、どこか非現実的な光景に戸惑うが、すぐにハクに声を掛けてバスの屋根に乗ってもらうことにした。バスの内部はそれなりの広さが確保されているようだったが、さすがにハクが乗り込めるスペースはなかった。


 ジュジュを背に乗せたハクがホバーバスの屋根に飛び乗ると、本体が微かに沈み込むのが見えたが、すぐに何事もなく浮きあがる。〈深淵の娘〉に関する警告を覚悟したが、ここでもハクの存在は無視された。


 それはひどく奇妙なことだったが、考えても仕方ないのでバスに乗り込むことにした。ホバーバスの内部は広々としていたが、それは設計によって確保された普通の空間で、〈空間拡張〉に関連する技術が使われているというわけではなかった。


 十分な数の座席が用意されていたが、乗客が余裕を持って立っていられる空間も用意されていて、ミスズたちはそこに立っていた。不測の事態にも対応できるように、乗降口の近くに立っていることを選択したのだろう。


 一方、ソクジンたちは座席を占領していた。シートが汚れることも気にせず図々しく座る薄汚い身形のサイボーグたちは、ひどく場違いに思えた。


 その座席は乗客が快適に座れるように人間工学に基づいたデザインになっていて、高級感のある黒革が使われていた。それが合成皮革なのかは分からない。工業製品として利用されるためだけに生み出された動物の革が使われているのかもしれない。


 それぞれの座席には、ホロスクリーンを投影する装置が備え付けられていて、乗客が好みに合わせて映像を表示できるようになっていた。


 壁面は素通しガラスのようになっていて、外の風景が見られるようになっていた。それは軍用車両や特定の施設で使用されていた旧文明の技術だったが、この〈人工島〉では一般的な技術として利用されていたのかもしれない。


 バスは乗客のためだけの空間になっていて、余計な機材やコンソールパネルは一切見当たらない。自動操縦だからなのか、運転席すら用意されていなかった。完全に自動化されていた乗降口が音もなく閉まると、すぐに景色が動くのが見えた。


 微かな振動も感じさせることなく動き出したので、壁面のモニターが風景映像を流していると勘違いするほどだった。が、すぐに静寂は破られる。床や壁面にホロスクリーンが投影されて、カジノやらショッピングモールの広告映像が流れるようになる。


 基本的にバスは無料だったが、乗っている間は騒がしい広告が止まることはない。いくらかの電子貨幣クレジットを払えば、広告が消える仕組みになっているようだ。


 ワスダは広告にウンザリした表情を見せるが、ヤトの戦士は興味深く眺めていた。ミスズとナミの部隊に所属する戦士たちは若く、見たことのない景色や施設に興奮しているようだった。


 緊張した面持ちで外の景色を眺めている戦士もいた。ヤトの一族のなかには、悪意に敏感な者たちがいて、かれらは魔法にも似た不可思議な能力で敵意を感じ取ることができた。ひょっとしたら、〈軍用AI〉の気配を感じているのかもしれない。


 視線を上げると、ふさふさした体毛に包まれたハクの姿が見えた。反重力技術によって振動や揺れがほとんどないため、ハクも快適な環境で移動できているようだ。


 ホバーバスの銀色の外装には、多数のセンサーやカメラが取り付けられていて、周囲の障害物を検知し、スムーズに移動するための調整が行われているようだ。


 もっとも、道幅のある車道にはゴミひとつ落ちていないし、対向車も来なければ歩行者もいないので、それらの高度なセンサーが有効的に使われる場面は永遠にやってこないのかもしれない。


 しばらく真直ぐな道を進んでいると、企業の超高層建築物が間直に近づいてくる。それらの建物を仰ぎ見ていると、システムが視線を検出したのか案内図が表示される。どうやら企業の区画に入るには、専用の入場ゲートを通過する必要があるようだ。


 それまで閑散としていたが、ゲートが近づくにつれて〈サスカッチ〉だと思われる多脚戦車や、機械人形の戦闘部隊が巡回警備している姿が見られるようになった。

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