第720話 餌付け


 すでに三十分ほど歩いていたが、未だ橋の出口すら見えてこないことに不安になってきていた。大量の放置車両や瓦礫がれきが散らばっていなければ、すでに橋を渡り終えていたのかもしれないが、我々はまだ橋の上にいた。


 データパッドの画面を睨んでいたエンドウは険しい表情で唸ると、前方に人擬きの群れを発見したことを報告する。どうやら複数の人擬きが廃車の間を徘徊していて、戦闘は避けられそうにないという。


 すぐに上空の〈徘徊型兵器〉から受信していた映像を確認すると、たしかに無数の人擬きが目的もなく歩いている姿が確認できた。かれらの特徴的な外見から、遺物を求めてやってきたスカベンジャーや傭兵が人擬きに変異してしまったと考えられた。


 泥や血液に薄汚れた戦闘服は擦り切れてボロボロになり、過酷な状況下で徘徊し続けていたことをうかがわせた。小銃を肩に提げた者もいれば、穴だらけになったバックパックを背負っている者もいた。人間の面影を残しているが、変異によって全身の腐敗が進み、皮膚は青白く変色し傷ついて骨や筋繊維が見えている箇所もある。


 辺りには鼻を突くような腐敗臭が漂っていて、つめたい風が吹くたびに嫌な臭いが感じられた。人擬きは生気のない白濁した眼を動かしながら、ただただ周囲を徘徊していて、そこに残された荒廃と死を人々に思い起こさせていた。


「人工島の遺物を狙って、わざわざ廃墟の街からやって来た野郎どもの成れの果てだな」

 ワスダは悪臭に顔をしかめると、骸骨を思わせるフルフェイスのコンバットマスクを装着してライフルを構える。


「それなりの数がいるようだが、俺たちなら余裕で突破できるだろう。問題があるとすれば、それはあのサイボーグ連中だな。どうやら今回も俺たちに協力するつもりはないみたいだぜ」


 かれは舌打ちすると、〈光学迷彩〉を使い姿を隠していたソクジンたちを睨んだ。我々も〈環境追従型迷彩〉を使って人擬きをやり過ごせるのではないかと考えたが、一発の銃声が鳴り響いたことで、その考えは無駄に終わる。


 ソクジンに同行していた略奪者のひとりがワザと音を立て、人擬きの注意を引き、我々に攻撃するように仕向けた。


 あちこちから叫び声や唸り声が聞こえたかと思うと、廃車に潜んでいた複数の人擬きが猛然と駆けてくるのが見えた。


 ミスズとナミはヤトの部隊に指示を出すと、接近する敵に容赦なく銃弾を浴びせ射殺していく。小気味いい金属音を立てながら弾丸が発射されるたびに、ゾンビめいた化け物の手足が千切れ、内臓がこぼれてグロテスクな体液が飛び散る。しかし恐れを知らない哀れな化け物は、猛獣じみた不気味な動きで前進を続ける。


 変異を繰り返したおぞましい肉体は銃弾によって引き裂かれ、ただれた肉塊が飛び散る。しかし手足が欠損していようと、内臓を引きっていようが、もはや人擬きには関係のないことだった。その化け物は本能にのみ突き動かされるようにして、我々に向かって突進し続ける。


 ワスダたちが戦っているのを横目に見ながら、カグヤから受信していた情報を確認する。〈光学迷彩〉を使って姿を消していたソクジンたちは、その場から動くことなく戦闘の様子を眺めていた。


 〈ヒノマル〉製の全天候型迷彩は優秀だったが、彼らの姿を完全に隠すことはできていなかった。まるで幽霊のように、かれらの影と輪郭だけが朧気おぼろげに浮かんで見えていた。


『ねぇ、レイ。興味深いモノを見つけたから共有するね』

 カグヤから個別に受信した画像を確認すると、〈国民栄養食〉だと思われる固形物が大量に入ったコンテナボックスがあちこちに放置されているのが見えた。いくつかのコンテナには人擬きが入り込んでいて、大量の栄養食を口の中に詰め込んでいた。


「まるでサルの餌やりだな」

 いつか見た動物園のドキュメンタリー映像を思い出す。飼育員が段ボールいっぱいに入ったサツマイモを運んでくると、数え切れないほどのサルが餌に群がり、あっという間にイモがなくなる場面だ。


 瓦礫の間に放置されていたコンテナボックスの周囲にも栄養食が転がっていて、人擬きが餌にしていたことが分かる。


「つまり――」不快感に眉を寄せながら言う。

「ここで誰かが人擬きを餌付けしていた。そういうことだな?」


『うん。これは憶測なんだけど、埋め立て地を管理する〈軍用AI〉が侵入者を排除するために、大量の餌を用意していたんだと思う。人工島にだって旧文明の販売所はあるだろうし、国民栄養食は簡単に入手できるはずだから』


「人擬きを飼い慣らすことはできないけれど、餌を使ってこの場に留め置くことはできる。そして人擬きが橋を離れなければ――」


『障害として効果的に機能してくれる』と、カグヤが続ける。

『それも機械人形を使うよりも、ずっと低コストでね』


「たしかに人擬きの補充は簡単そうだ……」


『私たちもそうだけど、遺物を夢見て〈人工島〉にやってくる傭兵は後を絶たないんだと思う。だから人擬きが足りなくなるような事態にはならない。餌になる人間がやってこない時期には、機械人形を使って餌を与えることで、人擬きが飢えないように調整していたのかもしれない』


 その成れの果てが多脚車両ヴィードルの残骸から飛び出して襲い掛かってくるが、頭上から落下してきた鉄板に身体を切断されて地面に転がる。視線をあげると、ハクが脚を振っているのが見えた。これからミスズたちの掩護えんごをするようだ。


 ハクはジュジュを背に乗せていることを忘れているのか、はじめから気にしていないのかは分からなかったが、群れの中心に向かって高い塔から勢いよく飛び降りる。そのまま音もなく着地すると、人擬きの動きが一瞬だけ止まったように見えた。しかしすぐに群れは動き出して、ハクに襲いかかろうとして猛然と駆けだす。


 ハクは糸を吐き出しながら人擬きの動きを制限すると、鋭い爪を使ってゾンビめいた化け物の手足や胴体を切断していく。ハクの攻撃で無力化された人擬きは、ヤトの戦士たちに止めを刺されて、たちまち群れの数は減らしていく。


「それじゃ、あの〈アサルトロイド〉の襲撃は何だったんだ?」

『エンドウが言うように、威力偵察だったんじゃないのかな。人工知能にとって情報はとても重要な要素だし、対策を講じるためにも私たちの戦力を知っておく必要があった。実際、今も小型の偵察ドローンを使って私たちのことを監視しているみたいだし』


 視線を上げてドローンを探すが、その姿を確認することはできない。そうこうしているうちに、ヤトの戦士とハクの活躍で人擬きの群れは殲滅する。敵の排除を確認できると、ソクジンたちは何事もなかったかのように姿を見せて、また歩き出した。


『嫌な感じ』

 カグヤは彼らの態度にまだ慣れていなかったようだが、埋め立て地の監視エリアに足を踏み入れるまでの間は我慢するしかないだろう。ここで連中と揉め事を起こしても何もいいことがない。


 我々も負傷者がいないか確認したあと、すぐに行動を再開する。幸いなことに人擬きとの戦闘には慣れていたので、ヤトの戦士たちが怪我をすることはなかった。


 それから襲撃を警戒しながら進んだが、機械人形に襲われることなく目的の場所にたどり着くことができそうだった。しかし〈人工島〉の入場ゲートが見えるところまでやってくると、またしても移動に時間を取られることになった。破壊された戦闘車両や自律戦車が大量に放置されて道を塞いでいて、錆びた車体を足場にしながら移動する必要があった。


『人工島の封鎖で混乱しているときに、橋が攻撃されたのかもしれないね』

 なぜ攻撃されたのか質問しようとしたときだった。エンドウの〈徘徊型兵器〉が制御を失い、橋に衝突して爆散するのが見えた。どうやらここから先は〈軍用AI〉の監視下に置かれているようだ。

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