第717話 橋


 前方に視線を向けると、ソフィーの丸みを帯びた形のいいお尻が見えた。彼女は身体からだにピッタリと密着する黒のアシストスーツを身につけていて、その上に機能的なチェストリグを装備していた。


 彼女が作戦行動中に必要とするものが、すべて手の届く位置に整然と配置されている。その上にアラミド繊維の赤いジャケットを身につけていて、その洗練されたデザインはどこにいても目に付く。


 スラブ系の特徴が色濃く表れているからなのか、ソフィーの白い肌と整った顔立ちは遠目からでも目立つ。それはソクジンに従う男たちの視線すら惹き付けていた。しかし彼らが彼女に声を掛けたり、茶化したりするようなことはなかった。ワスダを恐れているのかもしれない。


 そのワスダは、先行するソクジンの部隊を見ながら大きな欠伸をする。

「それで――」と、彼は言う。

「連中のことは信用できそうか?」


「いや。信用できないし、そのつもりもない」

「意外だな」彼は皮肉めいた笑みを浮かべる。「兄弟のことだから、また弱者に手を差し伸べるとか何とか言って、仲間に引き入れるのかと思っていたよ」


「残念だけど、あれはどう見たって弱者じゃないよ」

「……たしかに、まともな連中じゃないみたいだな」

「ワスダはソクジンたちのこと、本当に何も知らないのか?」


 かれは頭部に彫られていた髑髏どくろの入れ墨を撫でたあと、赤く発光する眸で略奪者たちの背中を睨んだ。


「かつて連中が所属していた組織が、〈死頭流シズル〉っていう名前だったのは聞いた。正直に言うと、思春期のガキが名付けたような、クソみたいにダサいレイダーギャングが存在していたことすら知らなかったよ。けど、それも奇妙な話だと思わないか?」


「ああ、ひどく奇妙だ。あのサイボーグ集団は何処にいても目立つからな」

「なのに、〈人工島〉に関する情報を集めるまで、あのイーサンでさえ連中の存在を知らなかったんだ……」


 それからワスダはヤトの戦士たちに視線を向けながら言う。

「ところで、ミスズたちを連れてきて良かったのか?」


「たしかに危険な探索になると思うけど、彼女が訓練したヤトの戦士が一緒だ。相手が〈混沌の化け物〉ならともかく、今回は機械人形が相手だからな」


「機械人形……ね。イーサンから相手が〈軍用AI〉って話は聞かなかったのか?」

 ワスダの言葉に思わず眉を寄せる。

「いや、聞いてないけど」


「しっかりしてくれ、兄弟」と、ワスダは溜息をつく。

「〈戦術ネットワーク〉を使って情報交換したときに、イーサンが説明してくれただろ?」


「そうだっけ?」

 実際のところ、他のことを考えていて話を聞いていなかったのかもしれない。〈電脳空間サイバースペース〉を使った情報交換に慣れていないからなのか、余計なノイズが多くて集中できないのだ。


「兄弟は相変わらず能天気だな。でもまぁ、今回の探索にはハクも同行するみたいだし、なんとかなるだろう。……それはそうと、そのハクはどこにいるんだ?」


「すでに橋の入り口に到着していて、我々のことを待ってるみたいですね」と、すぐ後方を歩いていたエンドウが言う。かれは手元の端末を操作すると、自ら改造した〈徘徊型兵器〉から受信していた情報を我々に送信してくれる。


 エンドウは中肉中背のとくに目立った特徴のない男性で、無精ひげを生やした小汚いおっさんで廃墟の街に何処にでもいそうな風貌だった。けれどワスダの部下になるような人間には見えなかった。むしろ粗暴さがなく、物静かで頼りがいのある雰囲気すらある。


 彼は身体機能の向上を図るためにアシストスーツを身につけていて、灰色のデジタル迷彩が施された戦闘服を重ね着していた。ソフィーの装備と比べれば、いくらか地味な容姿ではあるが、たしかな知識と戦闘経験を備えているからなのか、部隊に安心感をもたらしてくれている。


 そのエンドウは、カグヤに頼み込んで手に入れていた〈徘徊型兵器〉を使って上空から周辺一帯の監視をしてくれていた。これから探索することになる埋め立て地を管理する〈人工知能軍用AI〉の妨害を受けないように、特別に改造した機体だと言っていたが、本当に役に立つのかは彼にも分かっていなかった。


 瓦礫がれきの山を越えて橋の入り口に到着すると、ハクがトコトコとやってくるのが見えた。

『ワスダ、ちょっと、おそかったな』


 ハクはそう言うと、ワスダの頭にポンポンと触れる。ジュジュもワスダの剃り上げられた頭部に触れようとして短い腕を伸ばすが、どうやったって届かない。


「〈資源回収場〉の警備で忙しかったんだよ」

『ふぅん。それ、たいへんだった?』


「ああ、毎日大忙しだ。ハクもコケアリたちが働いている様子を見学しにくるか?」

『んん。ハク、ちょっといそがしい』


「もしかして、まだガラクタを拾い集めてるのか?」

『ガラクタ、ちがう。たからもの』

 ハクはベシベシと地面を叩くと、ミスズたちと一緒にいるソフィーに会いに行く。


「やれやれ」と、ワスダは頭を振る。

「ハクも相変わらずみたいだな」


 そこにソクジンがやってくる。

「これから橋を使って対岸に渡ります。準備はいいですか?」


 ワスダが肩をすくめると、青年はどこか芝居がかった仕草で頭を下げて、それから歩き出した。


 しばらくの間、我々は錆びた鉄骨やワイヤーロープが軋む音を聞きながら荒廃した車道を歩いた。そこかしこで赤茶色に腐食した放置車両が大量に見られ、植物におおわれたそれらの鉄屑は野鳥の棲み処になっていて、あちこちで海鳥の姿を見ることになった。


 やがて猥雑わいざつとした廃墟の街並みが消え、青々とした海がハッキリと見えるようになる。対岸には超高層建築物が林立する光景や、企業のホログラムがまたたく様子が見られた。


 本当は歩行者のために用意された海上遊歩道や、〈重力リフト〉なるモノが使えれば良かったのだが、それらの施設は封鎖され、瓦礫に埋もれていて近づくことすらできなかった。


 どこか巨人の肋骨を思わせる錆びた骨組みが目立つ橋には、年月の経過を物語るような傷跡がいくつも確認できた。車道の至るところに亀裂が走り、崩壊している場所さえ確認することができた。


 それらの大穴のなかに陽の光が射しこむと、海面に不規則な光の模様を描くのが見えた。光が波を強調し、その荒々しさのなかに垣間見える美しさを引き立てている。背後を振り返ると高層建築群がそびえる廃墟の街が見え、どこからともなく黒煙が立ち昇る様子が確認できた。


 エンドウが手にしていた端末から短い通知音が聞こえたのは、変わることのない街並みを眺めているときだった。どうやら〈徘徊型兵器〉は今もまだ機能していて、こちらに接近する機械人形の姿を捉えたようだ。


「警備システムが我々の接近に反応して、武装した機械人形を派遣したみたいですね」

 エンドウはそう言うと、目を細めながら端末の画面をじっと見つめる。

「情報が出ました。〈アサルトロイド〉で編成された部隊ですね」


 先行していたサイボーグ集団も敵の接近に気がついたのか、光学迷彩を起動して姿を隠すのが見えた。ソクジンの黒い外套に何かしらの仕掛けがあることは予想できたが、他の連中が姿を隠した方法は分からなかった。彼らが身につける〈人工皮膚リアルスキン〉そのものに迷彩の能力が備わっているのだろうか。


 さすがに異常な光景だったのか、ワスダも眉を寄せる。

「姿だけじゃなくて、体温すらも探知できなくなったぞ。〈ミツビシ〉製の熱光学迷彩……いや、あれは〈ヒノマル〉の全天候型迷彩だな」


「それってすごいのか?」

 彼は顔をしかめるが、ちゃんと説明してくれる。


「軍用規格なだけあって、けっこうヤバい代物だ。電力効率に問題があるのか、バッテリーがすぐに底を突く欠点があるけどな。……にしても、闇市でも滅多に出回らない代物だぞ。連中、あんなモノをどこで手に入れたんだ?」


「ソクジンは、あの〈人工島〉からやって来たって話だ。どこかに遺物が大量に保管されているのかもしれない」


 ワスダは肩をすくめると、ライフルを手にする。

「何にせよ、戦闘の準備だ。連中は隠れて敵をやり過ごすつもりだ」


「俺たちに仕事を押し付けるつもりか……」

 やはりソクジンたちとは気が合いそうにない。

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