第709話 残響〈検問所〉


 灰色の雲が廃墟の街におおい被さり、暗く陰鬱な雰囲気で包み込んでいく。つめたい風が吹くたびに崩れた看板や鉄骨が軋み、廃墟の窓から物音が聞こえ、まるで街が生きているかのような錯覚におちいる。


 通りに並ぶ廃車に植物が生い茂り、錆びた金属の匂いが漂ってくる。廃墟となった検問所の周囲には、高いコンクリートの壁が不自然に立ち並び、その上では錆びた有刺鉄線が風に揺れている。検問所の入り口に設置された鋼鉄製のゲートは無残に破壊され、その周囲には錆びた薬莢が散乱している。


 入場ゲート付近には軍の戦闘車両の残骸がひしめき合い、スカベンジャーに持ち去られた攻撃タレットのフレームだけが壁に残されている。軍用レンズを搭載していたであろう監視カメラは徹底的に破壊され、錆びついた中継アンテナと雑草が揺れる音だけが微かに聞こえてくる。厳重な警備が敷かれていた場所は、今や不気味なほど静まり返っている。


 小雨のなかゲートを通って検問所内に足を踏み入れると、衣類やカバンが山のように積まれた輸送コンテナが目についた。この場所で実際に行われたことを物語るように、衣類は乱雑に積まれ、開いたカバンから中身が散乱している。破壊された情報端末の残骸やボロ布に変わった衣服が、それぞれの持ち主の最期について語りかけてくるようだった。


 そのゴミの山の中には子どものおもちゃが埋もれていて、それを取り囲むように家族の写真を投影する長方形の端末が残されていた。


 衣類に埋もれていた端末のひとつが動体検知機能で作動すると、見知らぬ人々の笑顔が映し出され、かつての平穏な日々が垣間見えた。残酷な現実が迫っていることも知らない無垢な笑みが、たしかな幸せを宿しながら凍りついている。


 悲痛な沈黙が荒廃した検問所を包み込んでいく。ここで起きた悲劇は、すでに過去のものとなっていたが、そこに残されていた数々の痕跡は、この悲惨な場所の歴史と人々の悲劇を容易に想像させた。それでも、廃墟の街に消えてしまった人々の魂を慰めることは誰にもできないのだろう。


 検問所の壁には無数の落書きや、手書きだと思われる言葉が残されていた。そのなかには生きていたいと願う人々の悲痛な叫びや、失われた人々への哀悼の言葉が大量に残されていて当時の状況をうかがわせた。


 そのすぐ近くには――推測でしかなかったが、検問所で失われた人々を追悼するための手作りの祭壇が築かれていた。今は雑多なゴミに埋もれていたが、その場に居合わせた誰かによってホログラム投影機やキャンドルライトが大切に飾られていた形跡が確認できた。


 祭壇は静かな哀悼の場となっていて、検問所に漂う非人間的で無機質な環境と対照的に、人間味のある温かな雰囲気を作りあげていた。


 壁の一角には人々が書き込んだと思われる地図があり、危険な地区についての警告が残されていて、その多くは当時の生存者が必死に集めた情報だと思われた。検問所の周辺に避難民のための施設があることや、汚染された地区や地下の避難場所の位置が不鮮明ながら読み取ることができた。


 壁には「ここで助けを求めるな!」「注意! 感染者の巣窟」「無法者の溜まり場」といった警告も見受けられ、人々が絶望的な状況のなかで略奪者や感染者から逃れようと必死になっていたことが窺えた。ただし、今やその地図は役に立たなくなっている。旧市街の多くの建物は倒壊し、当時の面影を残してなかったからだ。


 高い壁と鉄柵で囲まれた検問所内に入ると、護衛の傭兵たちが緊張していくのが手に取るように分かった。危険な場所なのかキイチにたずねると、検問所内の建物に近づかない限り、比較的安全な場所になっているという。


 商人たちが普段から利用している場所なので、傭兵組合が派遣する戦闘部隊によって、検問所に迷い込んだ変異体が定期的に掃討されているという。


 けれど今日は、いつもと状況が異なるようだ。検問所からそう遠くない場所で激しい戦闘が行われた所為せいなのかもしれない。施設内に隔離されていた人擬きや、その餌食になった変異体が徘徊している可能性があるという。


「嘘か本当なのかは分からないが、ここであの化け物の治療を試みた組織が存在していたようだ。何十年も昔のことだけどな」


 商人の言葉に思わず眉を寄せる。

「化け物って、人擬きのことか?」


「ああ、そうだ。あの人食いの化け物に理性を与えようと考えた狂人がいたって噂だ」

「その試みは失敗したみたいだな」


「かもしれないな」キイチは溜息をついた。

「この場所は今や化け物どもの棲み処になっていて、狂気の科学者はおろか、その組織が存在した痕跡も残されていない」


「狂気の科学者か。やはりこの場所は隔離施設だったのかもしれないな」

「隔離施設か……そうだな、そうなのかもしれない」


 この検問所が何のために存在していたのか、今まで考えたこともなかったのだろう。キイチは重々しくうなずいてみせたあと、多脚車両ヴィードルを操縦していた従業員たちを急かした。この不気味な場所からすぐに離れたいのだろう。


 輸送コンテナを積載した大型多脚車両が瓦礫がれきの間を慎重に移動しているときだった。バリケードフェンスに囲まれた建物から女性の甲高い悲鳴が聞こえた。それは静けさを破るような、長く尾を引く悲痛な叫び声だったが、隊商の誰もがそれを無視しているようだった。面倒事に巻き込まれたくないのだろう。


 廃墟の街では英雄的行動や自己犠牲的な精神は好まれない。人々はただ無事に仕事を終わらせて、家族のもとに帰ることだけを考えて荒廃した危険な街を移動する。あるいは、彼らの利己的な態度に疑問を持つかもしれない。しかし危険な変異体が徘徊する廃墟の街に生きる人々にとって、それは切実で、なによりも重要なことだった。


 自分の価値観を彼らに押し付けることはできない。でも、だからといって悲鳴を無視することもできない。


 廃墟を調べに行くと伝えると、キイチは不思議そうな表情を浮かべた。しかしすぐに戻ると伝えると、安心したのか穏やかな表情をみせた。

「検問所を越えた先に高架橋がある。我々はそこで君のことを待つとしよう」


 隊商との合流地点を確認したあと、ハクとジュジュを連れて廃墟になった隔離施設に向かう。〈ハガネ〉のタクティカルスーツを装着し、周囲に不審な動きがないか確認するが、聞こえてくるのは小雨が雑草を揺らす音だけだった。


 打放しコンクリートが特徴的な重々しい雰囲気のある建物に近づくと、痩せ細った男が暗がりに入っていくのが見えた。声を掛けてみるが、まるで聞こえていないのか、男は声を無視して建物のなかに消えていく。


 あとを追うように建物に入り薄暗い廊下を歩いた。が、すぐに建物の外に出る。目の前には爆撃の所為だと思われる巨大なクレーターがあり、雨水が溜まり池に変わっているのが確認できた。ぐるりと周囲を見回すと、建物の重厚な外壁だけが残されていることが分かる。検問所は空爆の標的にされたのかもしれない。


 クレーターの周囲には瓦礫の山ができている。変異体が潜んでいそうな隙間も確認できたが、わざわざ襲われるために暗い巣穴に入る人間はいない。となると、先ほどの悲鳴は幻覚や幻聴の類だったのかもしれない。


 そこでキイチの表情を思い出す。かれらは悲鳴を無視していたのではなく、はじめから悲鳴なんてものは聞こえていなかったのだ。

「やれやれ」思わず溜息をつく。


 疲れているのかもしれない。だから現実に存在しない声を聞いて、ありもしない人間の姿を見ているのだろう。ハクに声を掛けると、この不気味な検問所を離れることにした。もう教会のすぐ近くまで来ていた。仲間たちと合流したら、ひさしぶりに仮眠を取らせてもらおう。雑念を消し去るために、頭を休める必要があった。

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