第708話 誠実さ〈商人〉


 砂漠地帯から遠路遥々〈廃墟の街〉までやってきた隊商は、中型コンテナを積載した通常の多脚車両ヴィードルが四台に、輸送コンテナを積載した三台の大型多脚車両で編成されていた。武装した専属の護衛は十四人いたが、あの襲撃で二人が負傷していた。しかし襲撃の規模から考えれば、死者が出なかったことを喜ぶべきなのだろう。


 隊商を率いていた商人たちにも怪我はなかった。日常的に危険な砂漠を行き交うからなのか、襲撃そのものに慣れていて、緊迫した状況でも慌てることなく避難できたのだろう。


 かれらは親族で交易を行っていて、商人の家族だけでなく、六人ほどいる従業員を含め、護衛の中にも従妹やら兄弟がいるようだった。一族で商売すること自体は、とくに珍しいことではなかったが、戦闘奴隷がいないことには驚かされた。


 廃墟の街で見かける行商人の多くは奴隷を連れている。仕事のたびに傭兵を雇うよりも、安上がりという理由もあるのだろう。奴隷は安く簡単に手に入り、いざとなれば使い捨てにできる。


 それに手練れの傭兵だからといって、忠実に任務を遂行してくれるというわけもでもない。廃墟の街に人を裁く法は存在しない。裏切りは日常的に行われている。


 だから多くの商人は奴隷を好むのだろう。傭兵のように機嫌を取る必要はないし、奴隷は〈制御チップ〉で知られるインプラントを脳に移植されているので、主人の命令に逆らうようなことはしない。


 奴隷は決して主人を裏切らないし、命令に忠実に従う。いざとなれば変異体を欺くおとりとしても使えるのだ。商人たちが奴隷を選ぶのも無理はない。


 もっとも、奴隷の多くが術後の合併症で命を失くしたり、廃人になったりしているが、奴隷商人がそれを気にすることはない。とにかく、この隊商に奴隷はいなかった。それがいいことなのか、それとも悪いことなのかは分からない。結局のところ、行商人がいなければ人々の生活は成り立たない。そして商人にも身を守る権利はあるのだ。


 負傷者の手当てを済ませると、我々は教会に向けて移動を開始した。激しい戦闘音や血の臭いを嗅ぎつけた〈人擬き〉が集まってくる前に、この場所からすぐに移動する必要があったのだ。


 護衛の責任者だった感じのいい青年と警備について相談したあと、ハクとジュジュを連れて隊商の先頭に向かい、そこで襲撃に警戒することにした。略奪者による襲撃はないと考えていたが、人擬きや変異体はどこにでも潜んでいるので、引き続き警戒する必要があった。


 隊商の先頭に向かう途中、この隊を率いる商人〈キイチ〉と話す機会が持てた。一見すれば、ひげを蓄えた山男のような印象を受けたが、つねに礼儀正しく接してくれた。それは、この荒廃した世界で滅多に出会うことのできない種類の人間だった。


 もちろん、ハクが〈深淵の娘〉の気配を抑えてくれていたこともあるが、ハクを怖がるようなこともなければ、露骨に避けることもなかった。なにかと悪い噂が絶えない私に対しても誠実に接してくれた。すぐ近くの多脚車両には彼の妻と娘がいて、ハクのことを興味深そうに見つめていた。


 ふたりは驚くほど似ていて、いわゆる美人ではなかったが、活発さが感じられる愛嬌のある顔立ちをしていた。気取った感じの商人の妻というより、商店を切り盛りしているのが似合う気の強そうな女性だった。


 廃墟の街で見慣れている顔立ちと異なり、小顔で切れ長の目が特徴的だった。もしかしたら、彼女は〈紅蓮ホンリェン〉出身なのかもしれない。


 かれらの幼い娘は、ハクの背に乗るジュジュをぬいぐるみか何かと勘違いして、抱きたいと言って急にぐずりだした。キイチは少々困った顔を見せたが、落ち着きのないジュジュの相手をしてくれるのなら、我々としても悪くなかった。ハクはすぐにジュジュを差し出してしまう。


 不満そうにするジュジュが動いているのを見て少女は驚いていたが、フサフサの昆虫種族を満足そうに抱きしめる。ハクが〈念話〉を使って少女と会話するようになると、キイチはひどく困惑する。だが無理もない。蜘蛛の変異体にしか見えないハクが、まさか人間の言葉を理解するだけでなく、つたない言葉で会話ができるなんて普通は考えもしない。


 そうして幼い娘だけでなく、キイチの妻もハクに夢中になってしまう。ハクお得意の冒険談を披露された三人が楽しそうに笑っているのを、護衛の傭兵たちは不思議そうな顔で眺めていたが、キイチはまったく気にしていなかった。


 それどころか、略奪者たちから命を救ってくれたハクが幼い少女のように無邪気に振舞う姿を見て、たちまちとりこにされてしまっていた。かれが幼い娘の父親だったことも関係していたのかもしれないし、襲撃による精神的な緊張から解放されたことで、気持ちがたかぶっていたからなのかもしれない。いずれにせよ、商人の親子はハクに夢中になってしまう。


 しかしそれは決して悪いことではないのだろう。〈ジャンクタウン〉での一件以来、蜘蛛使いと白蜘蛛に対する悪評が広がりつつあった。そのすべてが真実とは言えないが、〈不死の導き手〉との戦闘で多大な被害を出してしまったことも事実だった。そしてだからこそ、悪い噂を払拭するのが難しいことも分かっていた。


 けれどもし、商人に蜘蛛使いやハクの良い噂を広めてもらえるとしたらどうだろうか。商人は顧客とのつながりを大切にするだけでなく、商人同士の助け合いやつながりも大切にする。かれらの人脈を使えば、廃墟の街に我々の善行を広めることができるかもしれない。敵対的な組織が減ることは、我々にとっても有益なはずだ。


 ヤトの戦士でもあるヴェルカ・フローナの出産も近い。呪いや邪気の類を妄信しているというわけではないが、〈混沌の領域〉やら、魔術的な現象を見てきたからなのか、悪意に対して敏感になっているところがある。我々に対する敵意や恨みを減らせるのなら、それに越したことはないだろう。


 どんなに世界が悪意に満ちていようと、きっと子どもは祝福のなかで生まれてくるべきなのだ。


 やがて検問所が見えてくる。それは今までに見たことのない規模の検問所になっていて、道路には大量の車両が放置され、ゴミと瓦礫、それに植物に埋もれているのが確認できた。道幅のある道路には複雑な足場が組まれ、多脚車両専用の移動経路まで用意されていた。この場所は、商人たちが普段利用している道なのだろう。


 廃墟の街を移動するさいには輸送機を使うことが多く、探索するさいにも〈グラップリング・フック〉を多用しているので、商人たちが使用する経路がどうなっているのか知らなかった。まさかこれほど規模の大きな検問所があるなんて思いもしなかった。


 数百台を超える車両が大渋滞をつくりだしたのだろう。道路は廃車で埋もれ、人々の荷物だと思われる大量のゴミが足元に散乱していた。軍の戦闘車両も残されていて、攻撃を受けて爆散した装甲の破片や機械人形の残骸まで確認できた。それが暴動によるモノなのかは分からないが、この検問所でも戦闘が起きていたようだ。


 小雨が降るなか警戒しながら検問所に近づくと、埋め込み式の車止めや監視カメラ、それに攻撃タレットが設置されているのが確認できた。それらのセキュリティ設備の多くは破壊され、すでに部品を持ち去られていたが、厳重な警備が敷かれていたことがうかがえた。


 あちこちに警告を促す看板が立てられていたが、ほとんど破壊されていたり、経年劣化で文字を読み取ることができなかったりしたが、断片的な情報をつなぎ合わせると、どうやら人擬きウィルスに感染した人を隔離しようとしていたことが分かった。


 当時はひどく混乱していたのだろう。バリケードフェンスの近くに大量の人骨が残されているのが確認できた。まるで墓場だった。検問所は奇妙な静けさに支配されていて、ここでは銃声すら聞こえてこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る