第706話 システムの欠陥〈空中回廊〉


 短い別れの挨拶を交わしたあと、ヨルは高層建築物の壁面に飛び付いて、そのまま深い霧のなかに入っていく。彼女の姿が見えなくなると、霧の向こうから小さなドローンが飛んでくるのが見えた。ヨルのすぐ近くを飛んでいたように見えたが、大蜘蛛の存在を認識できないのか、とくに警備システムが反応を示すことはなかった。


 空中回廊に張り巡らされた旧文明のセンサーでも、やはり〈深淵の娘〉を検知することは難しいのかもしれない。検問所や重要施設で使用されている軍用規格に準拠した高性能なセンサーがあれば、あるいは彼女たちの姿を捉えることができるかもしれない。しかし空中回廊においては、彼女たちの侵入を阻むことはできなかった。


 我々の頭上を通過していくドローンからは、注意を促す警告文がホログラムで投影されているのが見えた。それは拡張現実で視界の先にも表示されていた。どうやら回廊のメンテナンス作業を行う機械人形が故障しているらしい。機体の整備が終わるまでのあいだ、通路の一部が封鎖されるようだ。


 機械人形に使用される〈超小型核融合ジェネレーター〉に異常が発生しているのかもしれない。基本的に核融合は安全で、原理的に問題が起きない仕組みになっているが、小型化に伴い発電機そのものが複雑化しているため、絶対に問題が起きないと保証できないのだろう。


 実際のところ〈小型核融合電池〉をはじめ、それら旧文明期の遺物は核融合反応を起こす〝未知の装置〟でしかなく、我々には理解できない技術が使用されていた。


 少なくとも私は量子力学に関して門外漢だったので、保安システムが危険だというのなら、近寄らないほうが賢明なのだろう。


 空中回廊を管理するシステムから立入禁止区域に関する情報と地図を受信する。周辺一帯の端末に自動送信されたのか、ハクのタクティカルゴーグルにも地図が表示されているようだ。その警告文にはハクにも読めない漢字があったので、赤く表示されている区域が立入禁止に指定されたことを教える。


『ちょっと、きけん?』

 ハクは首をかしげるように、身体からだを斜めに傾ける。

「ああ、とても危険だ。だから近づかないようにしよう」


『ん、わかった』

 ハクはベシベシと地面を叩いたあと、パッチリした大きな眼で周囲を見回す。

『どこ、あそびいく?』


「ミスズたちと約束があるから、今日は探索せずに、このまま教会にいくつもりだ」

『やくそく……か。それ、しかたないな』


「ああ、仕方ない」

 ハクの真っ白な体毛を撫でたあと、得意げにハクの背に乗っていたジュジュの状態を確認する。ハクが動き回ったら落下しそうだったので、ジュジュの散歩紐をハクのハーネスに金具で固定する。これで振り落とされる心配はないだろう。


「それじゃ、俺たちも出発しよう」

『ん、しゅっぱつする』

 ハクは機嫌がいいのか、トコトコと軽やかな足取りで歩いていく。


 受信していた地図を確認しながら教会の方面に向かって移動する。我々の周囲には、相変わらず商品広告のホログラムが投影されていて、ハクとジュジュは色とりどりの立体映像に魅了されていた。しかし胡散臭い商品説明よりも、その派手な映像にかれているようだった。


 頭上に視線を向けると、シールドとして機能する薄い膜が見えた。それは雨に打たれるたびに、青い波紋を広げていた。周囲には霧状の雲が立ち込めていて視界は最悪だったが、回廊では快適な環境が保たれていた。その霧の向こうに消えたヨルは、姉妹たちが待つ汚染地帯に向かっているのだろう。


 ヨルと別れる前、彼女と教会で再会する約束を交わしていた。ヨルにはまだ超構造体メガストラクチャーでやらなければいけないことがあるようだったので、ジャンナに会いに行くさいに、彼女と一緒に砂漠地帯に行くことにした。目的地は一緒だし、輸送機を使えば時間を無駄にせずに済むと考えた。


 ヨルが遺跡で見つけていた手掛かりが気になっていたが、ジャンナに確認してもらったところ、記憶装置内の情報は機密として扱われていて、特定の権限がなければ閲覧できないようになっていた。そのため砂漠地帯に直接赴いて、〈接触接続〉で情報を確認する必要があったのだ。


 しばらく歩くと雲を抜けたのか、視界が晴れて高層建築物が林立する廃墟の街が見られるようになった。そこからはピラミッド型の異様な建築物の姿が確認できた。旧文明期に〈墓所〉の名で知られていた研究施設だ。あの施設も異星生物に関係のある施設だったのだろう。


 いつか調査しようと考えていたが、まだその準備はできていなかった。戦闘艦の修理に必要な金塊を手に入れたら、調査のための部隊を編制してもいいのかもしれない。異星生物の研究施設なら、〈鬼火〉のように貴重な遺物を入手できる機会があるだろう。


 川沿いに浮遊する巨大な浄水施設から、大気を震わせる騒がしい重低音が聞こえてくると、目的を思い出したように歩き出した。


 廃墟の街は謎に満ちていて、我々がまだ知らない施設が多数存在する。都市の上層に設置された巨大な水槽や、海沿いの工場群など、まだ探索すべき場所が多く残されていた。


 だがまずは金塊を手に入れるため、カジノがある総合娯楽施設を探索するつもりだった。すでにヤトの戦士で編成された戦闘部隊や、弾薬等物資の準備はできていた。


 教会がある〈旧市街〉の近くまでやってくると、周囲の安全を確認しながら回廊の壁に立ち、つめたい小雨が降る旧市街を見下ろす。地面まで数百メートルの高さがあるが、〈パラセール〉を使えば安全に移動できるだろう。


 ハクに声を掛けようとしたときだった。得体の知れない航空機が轟音を響かせながら飛んでくるのが見えた。ソレは都市に張り巡らされた空中回廊の間を超低空飛行で通過していく。凄まじい速度で飛行していたので、黒い影にしか見えなかったが、あれは確かに戦闘機の類だったのだろう。


 都市の遥か上空を飛ぶ爆撃機を見ることは珍しくなかったが、低空飛行する戦闘機らしきモノは初めて見る光景だった。そしてそれは奇妙な違和感を抱かせた。まるで機械が予定のない行動を取っているときのような、あるいはシステムのバグを見ているような感覚だ。


 何かの手違いでシステムの影響から離脱したプログラムが、人知れず暴走しているのかもしれない。だがそれを確かめることはできなかった。謎の戦闘機は雲の中に消え、やがて轟音も聞こえなくなった。


 航空機の正体についてあれこれと考えをめぐらせていたが、答えは見つかりそうになかった。気を取り直してハクに声を掛けたあと、廃墟の街に向かって飛び降りる。


 すぐに思考電位を拾いあげてくれた〈ハガネ〉によって、背中にコウモリの翼にも似た〈パラセール〉が形成されていく。〈ナノメタル〉によって形成された黒い翼が強風を受けると、途端に降下速度が落ちて、上方に向かって身体が引っ張られるような感覚に襲われる。だがすぐに翼を制御できるようになり、思いのままに飛ぶことができるようになった。


 黒みがかった鋼色の翼を制御しながら高層建築群の間を飛行していると、銃声が聞こえてくる。どうやら旧市街を移動していた隊商が襲われているようだ。行商人の多脚車両ヴィードルが略奪者たちから激しい銃撃を受けているのが見えた。


 すぐ近くにいたハクに状況を伝えると、ハクは建物に向かって糸を吐き出し、その糸を使って振り子のように勢いをつけながら略奪者たちの背後に移動する。


 あっという間に敵の背後に移動してみせたハクの動きに感心していると、地面が近づいてくる。すぐに〈ハガネ〉に指示を出して背中の〈パラセール〉を切り離す。すると翼を構成していた特殊な金属繊維がナノマシンの作用によって見る見るうちに自己崩壊し、塵に変化しながら空中で霧散していく。


 そのまま地面に接触すると、転がりながら受け身を取って立ち上がる。すでに何度が練習をしていたので、怪我をすることなく無事に着地することができた。が、喜んでいる暇はない。すぐにライフルを構えると、襲われている行商人たちの掩護えんごに向かうことにした。

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