第705話 姉妹〈ヨル〉


 ひしゃげた鉄筋が突き出ている瓦礫がれきの山を乗り越え、横倒しになった支柱の隙間を通って建物に近づく。百メートルほどの距離だったが、一キロ先の目標に向かって歩いているように感じられる。地図を確認すると、ハクの反応が動くのが見えた。どうやら建物の屋上に向かって移動しているようだ。


 すぐに正確な位置情報を確認したかったが、足場が非常に不安定な場所に立っていたので、まず瓦礫の山から出ることを優先する。カラスに手伝ってもらうことも考えたが、雨が降り出した時点で拠点に戻ってもらっていたので、上空からハクを探してもらうことはできそうになかった。


 空中回廊とつながる建物の出入り口が見えてくると、ハクの姿を探そうとして空を仰ぎ見るが、霧のように立ち込める雲のなかに隠れていて見つけられなかった。視線を落として建物の入り口を見つめると、暗闇のなかで無数のホログラムがまたたいているのが確認できた。


『ねぇ、レイ』カグヤの声が内耳に聞こえる。

『言わなくてもいいと思うけど、今回は建物の探索はなしだよ』


「ああ、分かってる。このままハクのあとを追うよ」

 ジュジュに声を掛けると状況を察してくれたのか、すぐ背中によじ登ってくれる。散歩紐として使用していたスリングが金具でボディアーマーにしっかり固定されていることを確認したあと、上方に向かって〈グラップリング・フック〉を発射する。


 適当な突起物にフックを引っ掛けたことを確認すると、ワイヤロープを巻き取りながら上層に向かって移動する。回廊をおおっていた薄い膜の外に出ると、つめたい小雨で顔を濡らすことになった。背中につかまっているジュジュのことが心配になったが、その必要はなかった。フサフサの体毛は撥水性が高く、ほとんど濡れることがなかった。


 数十メートルの高さを一気に移動したあと、外壁に設けられた足場に立つ。すぐ目の前に高さ十メートルほどの彫像が立っている。それは真鍮色に輝く女性の裸体像だったが、奇妙なことに腕が四本ついていた。二本の腕は豊満な胸の上で慎ましく組まれていて、残りの二本は空に向かって伸ばした状態で腕を交差させていた。


 それが実在する生物をした像なのか、それとも人をデフォルメした彫刻なのかは分からなかったが、錆ひとつないことから、砂漠地帯で手に入る希少鉱物で造られていることが分かった。周囲を見渡すと、薄い雲に覆われた無数の彫像を見ることができた。


 その多くが人間の姿をしたモノだったが、ヒンドゥー教の神々に見られるような多腕の像が集中して立っていた。何か特別な意味があるのかもしれないと考えたが、ただ単に旧文明の建築様式に合わせただけなのかもしれない。いずれにせよ、それら巨像の威容に、ただただ圧倒されるばかりだった。


 ふたたびグラップリング・フックを使うと、層雲そううんとも呼ばれる地表近くに発生する灰色の雲のなかに入っていく。途端に視界は悪くなり、つめたい雨に全身が濡れてしまう。けれどそれほど高さのある建物ではなかったので、少し我慢すれば、屋上に到達できそうだった。


 壁面が崩壊して建物内が見える場所まで来たときだった。かすかな衝突音が聞こえてフラッシュライトを向けると、異様に骨ばったミイラのような〈人擬き〉が――肉食性だと思われる昆虫の変異体を追いかけている姿が見えた。


 その人擬きは背が高く旧文明の人類に見られる特徴を持っていたが、恒久的に発光する刺青は気色悪い体液に濡れ、傷だらけの皮膚はめくれていた。建物内を棲み処にして変異を繰り返しながら、途方もない年月を生きながらえてきた個体なのかもしれない。


 突然、逃げ回るだけだった甲虫が黒光りする鞘翅しょうしを広げて人擬きに飛び掛かるのが見えた。獣のように四つん這いになって駆けていた人擬きは対応できず、もつれあうようにして崩壊していた壁面から外に飛び出し落下していった。


 この高さから落ちて生き延びられるとは思えなかったが、未知のウィルスに感染し変異を繰り返した個体なので、生きていても不思議ではないのかもしれない。


 気を取り直して建物屋上に向かう途中、ハクの反応が動いたのが確認できたので、近くの空中回廊を使って移動することにした。回廊を覆う薄い膜の内側に入ると、すぐに風が弱まり、寒さが和らぐのが感じられた。


 周囲を見回すと、道幅のある回廊は閑散としていて、ホログラムの投影機や自動販売機が並んでいるのが確認できたが、植物の類はなく寒々とした景色が広がっていた。どこもかしこも似た景色なので、地図がなければ迷路のように入り組んだ回廊を彷徨さまようことになりそうだった。


 ジュジュを背負いながら進むと、霧がかった回廊に大蜘蛛の姿が見えてくる。漆黒の体毛に覆われた身体からは、ゴツゴツした骨のような形状の細長い脚が伸びているのが見えた。ビッシリと生えた体毛の間からは、黒光りする装甲のような外骨格が見えていて、硬い体表によって全身が保護されていることが分かる。


 まるでハエトリグモのぬいぐるみのような、どこか愛くるしさが感じられるハクと異なり、つねに邪悪で身がすくむような気配をまとっている。最も人々を震え上がらせるのは、そのスズメバチにも似た攻撃的で残忍な面影がある頭部なのだろう。鋭い牙からは毒液がヌルリと滴り落ちていて、見ているだけでも血が凍るような恐怖が感じられた。


 その恐ろしげな〈深淵の娘〉のすぐとなりには、フサフサした真っ白な体毛に覆われたハクがいて、長い脚を振って居場所を知らせてくれていた。視界の悪い霧のなかを歩いてハクのもとに向かう。ジュジュはヨルが近くにいても気にしていないのか、背中から飛び降りると、トテトテとハクのもとに駆けていく。


『レイ、まってた』

 ハクは何故か得意げに言うと、触肢しょくしを使いベシベシと地面を叩いた。

「ずいぶん遠くまで移動していたから、合流するのに手間取ったよ」


『ちょっと、あそんでたかもしれない』

 ハクの言葉に思わず苦笑する。

「そうみたいだな」

 どこかでガラクタの山をあさっていたのだろう。


 ヨルに挨拶したあと、彼女の目的をたずねることにした。ヨルはもともと砂漠地帯で生活していたので、廃墟の街まで来た理由が知りたかったのだ。


 ちなみに彼女とも〈念話〉を使って会話することができたが、それは言葉を介して会話するというより、気持ちや感情が心に直接伝わってくるような奇妙な感覚をともなう会話だった。しかし彼女の考えを〝より正確に〟受け取り理解することができたので、これはこれで悪くないと思っていた。


 時折、彼女は触肢を使ってトントンと地面を叩く仕草をみせた。おそらく〈反響定位〉で周囲の動きを観察しているのだろう。彼女は本能に忠実な捕食者であり、つねに獲物になる標的を探しているのかもしれない。


 蛇に睨まれた蛙のように、どこか緊張しながら話を聞くと、どうやら蠅の化け物〈インフェクスムスカ〉に関する手掛かりを手に入れたようだ。


 超構造体メガストラクチャーの地下、発掘調査隊がまだ調べていない区画で発見したムスカの死骸から、旧文明期以前のハードディスクドライブにも似た記憶装置を回収し、調査隊の責任者であるジャンナに預けてくれたようだ。


 ヨルがあの真っ暗な世界で何を見つけたのかは分からないが、どうやらそのことに関して廃墟の街にいる姉妹と相談するために来たようだ。都市の汚染地帯にも多くの〈深淵の娘〉が生息しているので、助言を求めてやってきたのかもしれない。


 ハクは姉に会えたことが嬉しいのか、そわそわしながら話が終わるのを待ってくれていた。そして話が終わると、これまでの冒険譚を話して聞かせた。ハクの〝たからもの〟の話や、廃墟の街で出会った不思議な生き物についてあれこれと語ってみせた。


 その間、ヨルはただ黙って話を聞いていたが、彼女からは妹に対するいつくしみの感情が溢れていた。あらゆる生命に恐れられる凶暴で残忍な性質を持つ生物が、これほど深い愛情を持っていることに驚いたが、同時にハクが愛されているということが分かって無性に嬉しかった。

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