第703話 散策〈ジュジュ〉


 足元に散らばるガラスや、瓦礫がれきの山から突き出す鉄筋で怪我をしないように慎重に歩いていると、高層建築群をつなぐ空中回廊が崩壊した場所に出る。すでに上空にいるカラスの眼で状況を確認していたが、想像していたよりも壊滅的な状態で、歩いて通れる場所はなさそうだった。


 しかしジュジュは立ち止まることなく、トテトテと瓦礫の山に向かって駆けていこうとする。すぐにジュジュを抱き上げると、瓦礫の下に不発弾や地雷が埋まっている可能性があるので、別の道を探すと伝える。小さな昆虫種族が言葉を理解していたのかは分からないが、とにかく足を止めてくれた。


 あちこち動き回るジュジュが迷子になったり、怪我をしてしまったりしないように、予備に持っていたライフルのスリングを散歩紐の代りに使うことにした。最初は嫌そうにしていたが、すぐに慣れてしまい、そのうち気にせず駆けまわるようになった。


 上空を飛んでいたカラスの眼と、拡張現実で表示される地図を交互に確認しながら適切な移動経路を検索していく。すると近くの高架橋が上層区画につながっていることが確認できた。わざわざ廃墟に侵入して、それから上階にある空中回廊に出る必要があると考えていたが、この経路を使えば時間の節約になることが分かった。


 しかし目的の場所に到着すると、その考えが間違いだったと分かった。たしかに上層区画につながっていたが、旧文明の〈重力リフト〉なる反重力放射装置を使い、上層に向かうようになっていることが分かった。残念なことに動力供給に問題があったため、この装置を使って移動することはできなかった。


 ぐるりと周囲を見回したあと、何かを期待して〈重力リフト〉の半透明の筒のなかに入っていたジュジュを抱きかかえる。「ジュジュ?」と、小さな昆虫種族は不思議そうな表情で――厳密に言えば表情を区別することはできなかったが、いつもと違う雰囲気で私を見つめたあと、近づいてくる梯子はしごに真っ黒の複眼を向けた。


 金属製の長い梯子は黄色に塗装されていたが、所々で塗料が剥がれていて、赤茶に腐食しているのが見られた。カラスの眼でも確かめたが、この梯子を使えば高架橋に出られるようだ。長さ数十メートルにもなる梯子を仰ぎ見たあと、ひんやりした梯子に手をかける。


 何故かこういうときだけ勘がいいジュジュは、するすると移動して背中にしがみ付く。まるでライオンコガネのぬいぐるみリュックを背負っているようだったが、気にせず梯子を使うことにした。


 地上から二十メートルほどの高さまでやってくると、さすがに怖くなったのか、ジュジュがぎゅっとつかまるのが分かった。〈集合精神ハイブマインド〉として活動するジュジュには、個体としての死に対する恐怖心のようなものはないと思っていたが、少なくとも恐怖を感じることはできるようだった。


 つめたい風に吹かれながら頂上に到着する。途中、高層建築群に反響して聞こえてくる銃声に何度か止まったり、錆びついた梯子の一部が崩壊するアクシデントに見舞われたりしたが、怪我をすることなく無事に登りきることができた。


 背中から勢いよく飛び降りたジュジュは、さっそく喜びの舞を披露してくれる、幼い子どもが感情にまかせて飛跳ねるように、トテトテと動き回るジュジュの舞を楽しんだあと、簡易地図ミニマップでハクの位置を確認する。どうやらまだ同じ場所にいるようだ。久しぶりに再会したヨルとの話で盛り上がっているのかもしれない。


 ジュジュに声を掛けたあと、上層区画まで真直ぐ伸びている高架橋を歩くことにした。これまで上層区画を探索する機会はなかったので、どのような脅威が潜んでいるのか分からなかった。いつも以上に警戒しながら移動したほうがいいだろう。上空を飛んでいたカラスの死角になる場所も多いので、気を抜くことはできなかった。


 大量の放置車両が見えてくる。その多くが軍用ドラックだったが、破壊された多脚車両ヴィードルや戦闘車両の姿も確認できる。薄暗い場所は人擬きや変異体が潜むのに適した環境になっているので、近くを通るときには警戒したほうがいいだろう。動き回っていたジュジュに声を掛けると、状況を理解してくれたのか、すぐに背中によじ登ってくれた。


 足元に植物や雑草は見られなかったが、繁殖力の強いツル植物が車両に絡みついているのが確認できた。足元にはゴミと一緒に錆びついた小銃が無雑作に捨てられ、人間のモノだと思われる骨も転がっていた。車内の様子が確認できないほど植物におおわれた車両からは、ミイラのように干乾びた人擬きの手足や頭部が突き出ている。


 〈ハガネ〉のタクティカルスーツを装着しているので、人擬きにまれたり爪で引っ掻かれたりしても未知の病気に感染する恐れはないが、ジュジュは生身なので怪我をする恐れがある。小さな昆虫種族でも身につけられるような装備を用意したほうがいいのかもしれない。〈シールド生成装置〉として機能する指輪なら、ジュジュでも装備できるだろう。


 とか何とか考えながら放置車両の間を通過すると、破壊された検問所が見えてくる。周囲には瓦礫が散乱し、無残に破壊された機械人形の残骸も確認できた。治安部隊が上層区画への通行を制限していたように見えたが、そのときに精密爆撃が行われたようだ。検問所として利用されていた無骨なゲートだけが倒壊していた。


 ライフルを構えながら瓦礫を越えると、閑散とした道路が見えてくる。旧文明の特殊なアスファルトのおかげなのか、雑草が繁茂していることもなければ放置車両も見られない。瓦礫とゴミで埋もれた旧市街地と比べれば、驚くほど整然としていた。


 だが身を隠せるような遮蔽物がないというのも、それはそれで厄介だ。ハガネの〈環境追従型迷彩〉を起動すると、高架橋の周囲に立ち並ぶ建物に狙撃手が潜んでいないか警戒しながら道の端を歩く。ジュジュの姿は見えていたが、ずっと遠くにいる無害な変異体に無駄弾を使う馬鹿はいないだろう。


 やがて奇妙なモノが見えてくる。ソレは洞窟の天井から滴り落ちる石灰水が床面に蓄積し、たけのこ状に固まって形作られる石筍せきじゅんにも見えたが、注意深く観察すると人間の手足や顔らしきものが突き出ていることが確認できた。どうやらその無数の物体は、人間が硬化して作られたモノのようだ。


 人を見つめるだけで石化させてしまう〝ゴルゴン〟が近くに潜んでいるのだろうか。だがもちろん、メドゥーサが徘徊しているわけではないのだろう。硬化させる唾液を使って狩りをする変異体、あるいは、それに似た方法で獲物を捕らえる化け物が近くにいるのかもしれない。


 この物体は、おそらく上層区画を探索しようとして、未知の変異体の縄張りに侵入した傭兵の成れの果てだ。カラスの眼を使って周囲に動きがないか確認するが、それらしき変異体の姿は見えない。迷彩で姿を隠していたので、こちらの存在にまだ気づいていないだけなのかもしれない。すぐにこの場を離れたほうがいいだろう。


 想像していたよりも急な傾斜になっていたが、ジュジュを背負ったまま黙々と歩き続けた。しばらくすると、別の検問所らしき構造物が見えてくる。人気ひとけがなく閑散としていたが、旧文明の装置は生きているのか、生体情報を確認するためのドローンが何処からともなく飛んでくるのが見えた。


 レーザーを照射されても慌てることなくスキャンを受ける。権限に問題はないようだったが、ジュジュの扱いに困っているようだった。


 このままでは警備システムが起動しそうだったので、仕方なくカグヤと連絡を取り、ジュジュの入場許可が得られるように細工してもらうことにした。彼女は教会の地下にある施設のシステムを点検していて、忙しそうだったが、すぐに問題を解決してくれた。カグヤに感謝したあと、ゲートを通って空中回廊に足を踏み入れる。

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