第十六部 電脳都市

第702話 廃墟の街で


 どこかで銃声が鳴り響いたかと思うと、〈廃墟の街〉に重々しい炸裂音が轟いた。街に降り注ぐ日差しは暖かくなっていたが、風は冷たく、高層建築群からの落雪が相次いでいた。数百メートル上空から勢いよく落下する雪塊は危険で、注意しなければ命すら失いかねない。


 けれど廃墟の街に潜む脅威に比べれば、大袈裟おおげさに騒ぎ立てることでもないのだろう。


 落雪による衝撃音が聞こえると、廃車と瓦礫がれきに埋もれた道路に視線を向ける。人影はなく、寒々しい景色が広がっている。廃品回収業者スカベンジャー略奪者レイダーたちの姿も見られない。ただ荒廃した街並みが何処までも続いている。


 ふと上方に視線を向けると、高層建築群に橋のように架かる空中回廊が見えた。ブルータリズム建築を思わせる無骨で重厚な建築物が通りにおおい被さり、街に暗い影を落としている。それらの暗闇には多くの脅威が潜み、獲物が近づく瞬間を今か今かと待っているようにも見えた。


 街の上層区画から煙が立ち昇るのが見えた。廃墟に侵入しようとした武装集団が、街の警備システムに追い払われているのか、それとも変異体と戦闘になったのかもしれない。いずれにせよ、生き残ることは難しいだろう。


 カチカチと大顎を打ち鳴らす音が聞こえると、近くに立っていた異生物に視線を落とした。〈コケアリ〉の名で知られた生物は蟻に酷似した頭部を持ち、大きな複眼と触角、そして大顎に鋭い牙を持っていた。


 人間ほどの背丈があり、左右対称の身体からだを持ち、後脚と中脚を使って身体を起こした状態で立っていた。しかし腹部は小さく、尾のように重心を安定させる役割があるのか、立っているときの姿からは人間のそれとあまり変わらない印象を受けた。腕のように機能する前脚の先には人間の手に似た器官があり、器用に指を動かすことができるようだ。


 薄っすらと苔に覆われている赤茶色の体表は、鎧のようにがっしりしたものだった。自然界に生息する蟻のなかには、体表を生体鉱物で覆い、まるで鎧のような頑強な外骨格を身にまとう種が存在する。だからコケアリが外骨格を鎧のように進化させたことは、別段驚くようなことでもないのだろう。


 そのコケアリのとなりにミスズが立っているのが見えた。すらりとしたスタイルに、人目をく整った顔立ち。濡鳥のように艶のある黒髪は、日の光を浴びて天使の輪を思わせる光のラインが浮かんでいた。


 彼女は綺麗な眉を寄せると困ったように下唇を噛んで、それからコケアリが手にしていた情報端末を操作した。どうやら生体認証が上手うまく機能してくれないようだ。ミスズはじっと端末を見つめながら必要な情報を入力していく。それからしばらくして、個人情報の登録が完了したことを知らせる通知が届いた。


「これで、いつでも私たちと連絡が取れるようになりました。なにか困ったことがあったら、直接、この端末の対話型〈エージェント〉に訊ねてください。きっと問題を解決する助けになりますから」


 ミスズが笑みを浮かべると、コケアリは触角を左右に振りながらカチカチと大顎を鳴らした。それがどのような感情表現だったのかは分からないが、生体認証が成功して喜んでいたのかもしれない。


 それからミスズは、黒い外套を身につけた戦士階級のコケアリに数十台の情報端末が収められたケースを手渡す。ケースの中身を確認したコケアリが大顎を鳴らすと、彼女が所持していた翻訳装置を介して女性の合成音声が聞こえた。

『感謝します、ミスズさん。私の手で必ず姉妹たちにお届けいたします』


 それらの情報端末は、女王との謁見の日取りを決める話し合いが行われたさい、彼女たちに提供すると約束していたモノで、コケアリたちと素早く連絡が取れるようにするためのモノだった。基本的にコケアリは同一の遺伝子群を持つ姉妹であるため、追加で生体情報を登録しなくても使えるはずだった。


『お迎えにあがらせていただくさいには、この装置を使い、改めてご連絡いたします』

 自然だが、どこか人間味の感じられない合成音声が聞こえたあと、戦士階級のコケアリは頭を下げて、それから部下の戦士たちを連れて薄暗い建物のなかに入っていく。その廃墟のどこかに、コケアリの坑道につながる竪穴があるのだろう。


 人類の生活圏のすぐ近くに異生物の拠点があることは、ひどく奇妙に感じられたが、廃墟の街はあまりにも広大で謎に満ちていた。我々が想像もできないような、何か大きな秘密が隠されているのかもしれない。


「行ってしまいました……」ミスズがホッと息をつく。

 コケアリとの会談が何事もなく無事に済んで安心したのだろう。コケアリたちがいなくなると、周辺一帯を警備していたナミと連絡を取る。ヤトの戦士でもあるナミは、話し合いの場に略奪者や変異体がやってこないように、武装した多脚車両ヴィードルを使って周囲を監視してくれていた。


 どこからともなく聞こえる銃声に耳を澄ませていると、ナミがやってくるのが見えた。彼女は多脚車両を近くに停めたあと、梯子式の乗降ステップを使ってコクピットからゆっくり降りてくる。


 人類に極めて似た姿を持つ〈ヤトの一族〉は背が高く、女性でも平均して百八十センチほどの身長があり、手足が長くスタイルが良かった。そして男女関係なく、全員が驚くほど整った顔立ちをしている。


 暗い鼠色に近い鈍色にびいろの長髪は、まるでヴァイキングの伝統的な髪形のように側頭部と後頭部の髪を剃り上げていて、頭頂部に残した長髪を綺麗に編み込むスタイルを好んでいた。ナミも長髪を三つ編みにしていて、戦闘のさいに邪魔にならないように気をつけていた。


 人間との身体的特徴の違いは肌の一部に見られるうろこと、その爬虫類の眼を思わせる縦に細長い瞳孔にもあらわれている。男性は緋色の瞳を持ち、女性は撫子色の鮮やかな瞳をもっていた。だが、ヤトの戦士を特別にしているのは、やはりその人間離れした身体能力と類稀たぐいまれな戦闘技術なのだろう。


 ヤトは天性の戦士だ。それは彼らが〈混沌の領域〉で狩人として生きてきたことにも関係しているのだろう。その戦士のなかでも並外れた能力を持つナミは、毛むくじゃらの昆虫種族〈ジュジュ〉を胸に抱くようにして歩いて来る。


 ミスズを迎えに来たのだろう。ヤトの一族は部族のつながりを大切にし、我々に対しても家族のように接してくれている。だからなのだろう、ナミはミスズのことを妹のように可愛がり、過保護な一面を見せることがあった。


 落雪の衝撃音が聞こえてくると、ジュジュはナミの腕をベシベシと叩いて地面におろしてもらい、それから瓦礫に埋もれた道路に向かってトテトテと駆けていく。ナミは「やれやれ」と頭を横に振ったあと、ジュジュが迷子にならないようにあとを追う。


 ナミがやっとジュジュを捕まえて戻ってくると、ミスズと一緒に教会の地下にある拠点に行ってもらうことした。〈データベース〉への接続権限を持つミスズがいてくれるだけで、地下で作業している機械人形たちの助けになってくれるだろう。


「レイはどうするんだ?」

 首をかしげるナミから暴れるジュジュを受け取ると、瓦礫に埋もれた通りを見つめる。

「姉に会いに行ったハクを迎えに行くつもりだ」


「姉って、〈深淵の娘〉のことか?」

「ああ、ヨルが街に来ているみたいなんだ」


「なにかトラブルが起きたのでしょうか?」

 ミスズが心配そうな表情を浮かべる。


「いや、問題が起きたって話は聞いていない。超構造体メガストラクチャーで見つけたモノについて報告しに来たのかもしれない。だから直接会って話を聞くよ」


「わかりました。それでは、私たちは先に教会に向かいます」

「了解、俺もハクと合流したらすぐに教会に行くよ」


 ミスズとナミが多脚車両に乗っていなくなると、さも当然のようにその場に残ったジュジュを連れて上層区画に向かうことにした。

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