第699話 大いなる意思
駆除対象だった水棲生物が完全に姿を消すと、我々は来た道を引き返して、貯水池で作業していたカグヤのドローンと合流することにした。そのさい、あの奇妙な変異体が運んできた〈マンドロイド〉を回収していくことにした。
手足が破壊され頭部と胴体だけがかろうじて
機械人形が製造できる設備や環境が整っているであろう人造人間にとって、それは無駄な行動に思えたのかもしれない。しかしスイレンが何かを言うことはなかった。彼女はただ不思議そうな顔で破壊されたマンドロイドを見つめていた。
機体に付着していた汚染水を丁寧に拭き取ってから、スリングを使い背負うと、薄暗い通路を歩いて別の区画に向かう。ふと気になって振り返ると、鳥居から
ひどい皮膚病を患った大型犬を思わせる変異体に何度か襲撃されながらも、目的の貯水池に到着すると、周囲に警戒しながら水底で作業していた水中ドローンの様子を確認する。
相変わらず水はひどく
まるで水底に蓄積された記憶が、一瞬にして生き返るようでもあったが、暗闇に浮かび上がるのはヘドロ状の堆積物とゴミの山だけだった。
溶接の光が
闇に包まれた世界で巨大な骨や旧文明の機械が浮かび上がるさまは、まるで水底に眠る異世界を見ているようだ。その異様な場所で、水中ドローンはカグヤの支援を受けながら機械的に作業を続けていた。
堆積していた泥が舞い上がり極端に視界が悪くなるなか、ドローンが繊細な動きでアームを巧みに操り、水槽の裂け目を塞いで修復していく光景は驚くべきものだった。人間には真似できない計算された無駄のない動きは、機械ならではのものなのだろう。
旧文明の優れた技術の一端を垣間見ているようでもあり、科学と美が交わる瞬間でもあったように思う。
「この作業が終われば、目的の大部分は達成できたことになる」
スイレンが何を考えているのか知りたくて、彼女に言葉を投げかける。
「そうね」
しばらく間があったが、彼女はうなずいてみせた。
「地下施設で変異体が大量発生することを阻止できた。これで脅威が排除されたと考えてもいいと思う」
それが誰に対しての――あるいは、何に対しての脅威なのかは分からなかったが、彼女の言葉にうなずくことにした。
「スイレンは、いつもこういうことをやっているのか?」
不躾な質問だったのかもしれない、彼女は怪訝そうに綺麗な眉を寄せる。
「こういうことって?」
「脅威になる変異体を排除したり、問題を解決したりすることだよ」
「その質問には、すでに答えたと思っていたけど」
「それが必要なら、君はどんなことでもすると言っていた。でも、人造人間がその身を犠牲にしてまで、困難な任務を遂行する理由は分からないんだ」
「理由なんてない。それがわたしたちに与えられた任務であり目的であるのなら、それを忠実に遂行するだけのこと」
「それが神々に与えられた役割だから? でも、君たちが自由に生きることも望んでいたはずだ。そうでなければ、自意識を与える必要なんてなかったんだから」
「つまり、わたしたちに任務を投げ出して、
「いや、そうじゃない。俺はただ、君たちの目的が知りたかったんだ」
「ああ、そういうこと」と、彼女は素っ気なく言う。
それがどういうことなのか分からなかったけれど、彼女の言葉の続きを待つことにした。
「それじゃ、あなたに同じ質問をする。いい、レイラ。あなたは何のためにこんな危険なことをしているの? 僅かなクレジットのため? それとも名誉のため?」
「金も名誉もいらないよ、俺は救えるかもしれない人々を助けているだけだよ」
「でも、どうして?」
「それができるだけの能力を持っているからだよ」
「そうかしら。あなたが自分自身の身を犠牲にするのは、軍によって与えられた度を越した教育と刷り込みの
「俺が軍によって洗脳されていると?」
「違うの?」
「自分自身の過去の記憶すらないのに、どうして軍の命令に従う必要があるんだ?」
彼女はどこか悲しそうな表情で微笑んだあと、その綺麗な顔で私のことを見つめた。
「わたしの話をよく聞いて、そして考えるの、哀れな不死の子よ」
彼女は〝哀れな不死の子〟と言った。だがそこに軽蔑的な響きは含まれていなかった。だか、それが
「わたしも、それからレイラにも自由に生きる権利は与えられている。でも、それはこの世界がわたしたちを〝必要〟としていないときだけ。けれど世界は絶えずわたしたちのことを必要としている。それはわたしたちにしかできないことがあるからなの。いい、レイラ? わたしには世界に
「運命……つまり俺も人造人間のように、世界の道具になることを受けいれるべきだと?」
どこかに人類では
でも、疑問がなくなることはなかった。今も戦い続けているのは、仲間たちが略奪者たちに撃ち殺されたり、混沌の化け物に遭遇して叩き潰されたりしないためだった。廃墟の街で飢えたり、誰かを失くしたりして悲しまないために。
時々、大切な人を失う悪夢を見ることがあった。それはカグヤだったり、ミスズだったり、その日によって異なる。でも、いつも誰かを失うんじゃないかって
そんなときには、暗闇でひとり目を覚まして、震えながら朝が来るのを待つ。そんな日がやってこないと分かっていても、不安が消えることはなかった。そして仲間たちが心配しないように、いつものように、なにも問題がないんだって澄ました顔で彼らと接する。
記憶を失うずっと以前に、なにか
「それなら、俺たち人類は君の……いや、君だけじゃない。人造人間たちの献身や苦労にどう応えればいいんだ?」
「レイラは感謝されたり、見返りを期待したりしながら誰かを助けているの?」
「いや、感謝なんてしてほしくない。俺はただ――」
「きっとわたしたちも同じなんだと思う」と、彼女は落ち着いた声で言う。
「わたしたちにはそれができる。だからやっている。もちろん、そこにはわたしたちが想像もつかないような〝大いなる意思〟が介在しているのかもしれない。でも、それがなんだっていうの?」
「俺は……」なにかを口にしようとしたが、言葉は出てこなかった。
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