第698話 衰退


 本能的に群れの脅威になると感じ取ったのだろう、水棲生物が我先に逃げていくのが見えた。水中に潜ってしまえば、我々にも手が出せないと考えていたのだろう。数発の擲弾てきだんを撃ち込んだあと、水柱が立ち昇る沈砂池ちんさちを横目に見ながら足場を移動する。


 変異体の群れは複雑に入り組んだ配管を利用して水槽内を行き来しているので、逃げる場所は限られている。先回りするため連絡通路を使って別の区画に移動する。


 沈砂池が並ぶ広大な空間と異なり、通路は狭く、無数の配管が張り巡らされていて薄暗い。等間隔に非常灯が設置されていたが、弱々しい赤い光は頼りなく、ひどく視界が悪い。足元ではフナムシにも似た生物がいずり、ドブネズミが駆け回っている。


 拡張現実で投影された地図を確認すると、まだ探索していない場所だと分かった。通路はどこもかしこも似たような造りになっているので、すでに歩いた場所だと思っていたが、勘違いだったようだ。


 ショルダーライトを使って通路の先を照らすと、さびれたプレハブ小屋が見えてくる。変異体が潜んでいるかもしれないので、慎重に近づいたが生物の気配は感じられない。割れたガラス窓から室内を覗き込むと、発光する無数のキノコによって床一面がおおい尽くされているのが見えた。


 休憩室として使われていたのだろう、蛍光色に光るキノコで寝台が埋まっているのが見えた。別の部屋を確認すると、テーブルとイスが無雑作に並び、〈フードディスペンサー〉として機能する自動販売機が数台設置されているのが見えた。それらの販売機は、例に漏れず得体の知れない菌類に覆われていた。


 開いていた扉から慎重に侵入すると、発光するキノコによって暗闇に浮かび上がる自動販売機に触れる。故障しているようだったが、システムの一部は正常に動いていて、視界に販売機の説明が表示される。どうやらこの驚異的な装置は、旧文明の高度な分子合成技術を駆使してエネルギー変換を行うことができるようだ。


 いわゆる〈旧文明の鋼材〉で知られた物質を原料に、まるで奇跡のように食品を瞬時に生成する。その構造は複雑で、装置内で原料となる物質がエネルギーに変換されたあと、再物質化されることで、野菜、食肉、果ては調理された料理まで、あらゆる食品がこの装置から生み出されるのだという。


 〈物体複製装置〉にも似た旧文明の驚くべき技術が使用されているようだったが、それは企業の特許技術でもあるため部外者には極秘になっていて、それがどのような技術なのか知る術はなかった。とにかく〈フードディスペンサー〉は、原料となる物質を取り込み、それを基に食品を生成することができるようだった。


 ハクの好物でもあるハンバーガーの販売機にも、この技術が使用されているのかもしれない。ただし、〈フードディスペンサー〉にも制約があるようだ。この技術では生きている生物を生成することはできない。生命体の複雑な構造や生命活動を模倣するには、もっと複雑で高度な技術を備えた装置が必要のようだ。


 犬や猫が自動販売機で売買されていなかったことが知れて安心したが、そう結論付けるのは早計だったのかもしれない。〈フードディスペンサー〉にはできなくとも、それが生成できる装置は存在していたのだ。実際のところ、旧文明期にはクジラの亜種が工業製品として利用されていた。犬や猫が販売機で生成されていてもおかしくないのだろう。


 いや、そもそも何のために犬や猫を自動販売機で買う必要があるのだろうか? もはや何を考えているのかも分からない、意味のない思考を部屋の隅に放り投げると、暗闇にたたずむ男が「やれやれ」と肩をすくめるのが見えた。


 販売機に関する情報を確認しながら室内の探索を続けたが、得体の知れないキノコと、それを求める気色悪い昆虫以外に目立ったものは見つけられなかった。キノコが胞子を飛ばす様子を興味深そうに眺めていたスイレンと合流すると、プレハブ小屋を出て変異体の駆除作業を再開することにした。


 無数の水槽が設置された広大な空間に出ると、通路の先に鳥居が立っているのが見えた。用途不明のゴテゴテした装置で飾られていて、側面には小型のホログラム投影機が埋め込まれていて、鳥居の周囲を泳ぐ鯉の姿が浮かび上がっていた。テクノロジーと伝統が融合したような奇妙な存在感があった。


 すでに〈旧浄水施設〉は閉鎖されていて、水神祠は別の場所に移設されたと聞いていたが、もしかしたら放棄された神社が近くにあるのかもしれない。周囲を見回しながら歩いていると、あまりにも広大で全容が確認できない貯水池が見えてくる。


 暗闇に沈み込む貯水池には足場が架けられていて、水槽の中心に向かって狭い足場が組まれているのが確認できた。


 ちらりと鳥居に視線を向ける。すでに利用されなくなった区画でホログラムが投影されていたのは、おそらく動体検知機能によって投影機が作動したからなのだろう。つまり、鳥居の周囲で動きがあったということだ。


 ふと足元に視線を向けると、赤茶の鉄板に黒い塗料で〝すべての始まり2025〟と書きなぐられているのが見えた。数字に何か意味があるのだろうか? そう思って周囲を調べようとしたときだった。


 水音が聞こえたかと思うと、ほとんど即座に変異体のものと思われる唸り声が聞こえた。やはり近くに潜んでいたのだろう。


 誘き寄せるため貯水池に向かって数発の擲弾を撃ち込む。静寂を裂くような炸裂音さくれつおんのあと水柱が立ち昇るが、変異体が姿を見せることはなかった。先ほどの声は空耳だったのだろうか、深い闇に包まれた貯水池を見つめるが、敵の姿はおろか、敵意すら感じられない。が、水底に何か巨大な生物が潜んでいるのを感じ取る。


 それは敵意ではなく、我々に対する警戒心だったのかもしれない。まるで燐光を放つように、巨大な生物の輪郭が浮かび上がる。スイレンは気がついていないのか、鳥居のそばを離れて別の水槽を確認しに向かう。


 我々のことを監視していた水棲生物が姿を見せたのは、貯水池のそばを離れようとしたときだった。水面に顔を出した異形の化け物は、ゆっくりと近づいてくる。奇妙なことに、その生物からは敵意を感じ取ることはできなかった。


 獲物を探すように水面スレスレを飛んでいた〈鬼火〉が近くにやってきても、化け物は逃げる素振りすら見せなかった。ただ、ゆっくりと泳ぎながら近づいてくる。


 やがて水面から這い上がった化け物は、別の場所で水中に引きり込まれていた〈マンドロイド〉の残骸をゴトリと足場に置き、それからじっと私のことを見つめた。


 その奇妙な眼差しにどのような意味があるのかは分からなかった。けれど都合よく解釈することはできた。化け物はこう言っているのだ。〝この鉄屑を返すから、俺たちのことは放っておいてくれ〟と。そしてそれは間違っていなかったのかもしれない。


 化け物は遠くにいるスイレンを一瞥したあと、貯水池に飛び込み、そして二度と姿を見せることはなかった。


 変異体を攻撃する機会はあった。けれど攻撃する気にはなれなかった。結局のところ、それはどこまでも無害であり、すでに群れの衰退は決定づけられていたからだ。


 食料不足によって群れは緩やかに、しかし確実に絶滅に向かって突き進むことになる。群れの中には地上に向かうことで、生存にかすかな希望を見いだそうとする個体があらわれるかもしれない。


 しかし〈旧浄水施設〉での繁栄は望めなくなった。この暗く鬱々とした場所は、もはや繁殖に適した環境ではなくなってしまった。かれらも人類と同じように、望まぬ環境のなかで否応いやおうなく生きていくことになるのだろう。


 変異体の気配が感じられなくなると、頭上で飛び交っていた鬼火を回収することにした。その方法はシンプルで、手のひらを向けると、真直ぐ飛んできて義手に溶けて混ざり合うようにして〈ハガネ〉に取り込まれていった。

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