第695話 棲み処


 拡張現実で投影されていた地図を確認したが、水棲生物の反応は、我々を監視している個体のみが表示されていた。あの変異体の目的は分からなかったが、群れで行動することなく尾行しているようだった。


『相変わらず、嫌な感じだね』

 カグヤの言葉には同意するが、我々にできることはなにもなかった。追い払ったとしても、すぐに別の個体がやってくるだろう。


 それに、あの化け物は駆除対象だ。偵察が目的なら、そのうち群れを引き連れてやってくる。そのときに相手をすればいい。すでにいくつかの群れを殲滅させていたので、大規模な襲撃はないと考えてもいいだろう。


「でも……たしかに奇妙だな」

 異星生物の施設に向かうときに姿を見せなかったのは、別の群れの縄張りに侵入することを避けていたからなのかもしれない。


 周囲の汚染状況を確認したあと、変異体の群れに襲撃された場所に向かう。スイレンに出会った場所でもある。巨大な貯水池がある区画で、〈マンドロイド〉の一体が水中に引きり込まれた場所でもあった。


 今にも崩壊しまいそうな足場を歩いていると、複数の場所で天井が崩れている広大な空間に出る。高さ九十メートルほどの位置に地上とつながる巨大な穴が広がり、崩壊した箇所から光が射し込んでいて薄暗い空間を照らしている。その大穴からは、貯水池に向かって大量の雨水が滝のように流れ落ちていた。


 暗闇の中を歩き続けていたことも関係していたのかもしれないが、光と闇の対比が鮮烈で、曇り空から射し込む光すらまぶしいと感じるほどだった。その寒々しい光が降り注ぐ先には緑の植物が生い茂り、光を浴びて植物の葉が輝いて見えた。これまで見てきたグロテスクな死骸やら汚染地帯と比べれば、別世界のように自然にあふれた場所だった。


 轟音を立てながら流れ落ちる雨水が、この異質な環境をさらに生き生きとさせている。立ち昇る水蒸気の向こうに、高さ数十メートルの建物が見えた。貯水池の水位を監視していた建物だろうか、廃墟が立っているのが見えた。


 ソレは中世の塔のように貯水池の中央に堂々とそびえていた。しかし建物は廃墟と化し、傷だらけの建造物に変わり果てていた。白い外壁は天井から降りそそぐ風雨に侵食され、ヒビ割れが広がり苔生しているのが見られた。そして貯水池に沈み込むように、斜めに傾いた建物は植物に呑み込まれようとしていた。


 その廃墟を横目に見ながら〈収納空間〉から水中ドローンを取り出すと、カグヤに貯水池を調べてもらうことにした。どこかに変異体が侵入できる場所があるのかもしれない。それを塞ぐことができれば、〈旧浄水施設〉に侵入してくる水棲生物の数を減らすことができるだろう。


 水はにごっていて視界は最悪だったが、カグヤのドローンの照明も使えば何とかなるかもしれない。上手うまくいけば、水中に沈んでいたマンドロイドを回収できるかもしれない。けれど水棲生物に監視されていて、いつ襲われるのかも分からない状況だったので、今回はカグヤに操作を任せることにした。


 貯水池に潜っていくドローンを見届けたあと地図を開く。どうやら近くで複数の動体反応を捉えたようだ。おそらくあの廃墟が水棲生物の棲み処になっているのだろう。そのことをスイレンに伝えると、彼女はライフルを変形させ、どこかウンザリした表情で廃墟に向かって歩き出す。彼女も変異体の駆除に疲れているのかもしれない。


 橋のように架けられたグレーチングの足場を渡る。ひどく錆びついていて不安定で、踏み込むたびに揺れて、あちこちで金属が軋む音が聞こえた。赤茶に腐食した転落防止用の鉄柵に触れるとザラついていて、嫌でも時の流れを感じさせる。


 水面に波が立ち、どこか遠くで水音が聞こえると、沈んだ鉄骨の陰で何かが動くのが見えた。我々を監視していた化け物だろうか。警戒しながら進むと、足元に廃墟の扉が転がっているのが見えた。


 建物の中に足を踏み入れると、無数の機材が草花に埋もれ錆びついているのが見えた。崩れた天井や壁から射し込む自然光が、床に散乱するモニターの残骸や、植物に埋もれる無数の情報端末を照らし出し、赤茶色に染まる金属と緑の植物とが奇妙な対比を作り出す様子が見られた。


 倒壊した壁によってデスクや棚が潰れている様子を見ながら、変異体の襲撃に警戒しながら奥に進むと、崩れた床の隙間から水没した部屋が見えた。そこでは半透明の小さな魚が泳ぎ、廃墟の中で独自の生態系を形成している様子が確認できた。それは実に奇妙な光景だった。汚水で濁った貯水池と異なり、透き通るような水で満たされていた。


 しばらく魚が泳ぐ様子を眺めたあと、変異体の捜索を再開する。近くに化け物の気配は感じられなかったが、この辺りに潜んでいるのは間違いないのだろう。あちこちに小動物の骨や腐敗した魚の死骸が捨てられているのが確認できた。


 階段が崩壊していて上階を探索することはできなかったが、とりあえず建物を支える柱に爆薬を設置していく。群れを誘き寄せることができれば、建物を爆破し、まとめて処理することができるかもしれない。


 スイレンと手分けして爆薬を設置していると、建物内に異音が響き渡る。それは低く、しゃがれた喉から発せられる耳障りな唸り声で、直感的に危険を感じさせる音だった。その唸り声が近づくにつれ、錆びついた金属が引き摺られる嫌な音が交じり合い、逃げ場のない狭い廃墟の中に異様な緊張感を漂わせる。


 物陰に身を隠すと、廊下の先に化け物が姿をあらわす。変異体の正体は、すでに見慣れていたセイウチにも似た水棲生物だった。その化け物が植物や錆びついた機材を蹴散らしながら突進してくる。傷だらけの身体からだは不自然に歪み、さらに変質し、元の生物の特徴すら分からないような状態だった。


 奇妙なことに、その個体は触手のような顎髭が生えていて、それがウネウネと動く様子は恐怖をかき立てた。だがゆっくり観察している余裕はない。変異体は唸り声を上げ、まるで怒りに満ちたような声を発しながら襲い掛かってくる。


 みにくい胴体をぶつけながら接近し、その衝撃で廃墟の機材が倒れ、錆びついた金属がギシギシと音を立てる。両手でスティールガンを構えると、突進してくる変異体に狙いを定める。廃墟の中に木霊す唸り声と、金属の擦れる音が緊張感を高めるが、冷静に照準を合わせる。


 変異体が充分に接近すると、スティールガンの引き金をゆっくり引いた。空気が震えるようなかすかな振動音のあと、鉄杭が化け物の頭部に命中し、頭蓋骨を破壊しながら貫通していく。


 下顎だけ残して頭部が吹き飛んでいた化け物が重々しい音を立てながら倒れると、あちこちから変異体の咆哮が聞こえるようになる。やはり近くに潜んでいたのだろう。


 貯水池から次々とい出てくると、倒壊した壁から建物内に侵入してくる。すぐに鉄杭を撃ち込んで対処するが、数が多く何体かは撃ち漏らしてしまう。スイレンが掩護えんごしてくれていたので敵に接近されることは避けられたが、このままでは逃げ場を失ってしまう。


 周囲を見回してフックを引っ掛けられそうな鉄骨を探すと、スイレンの腰を抱き、グラップリングフックを使って一気に建物内から脱出する。


 仲間を殺された化け物は怒り狂い、我々のあとを追って出て来ようとするが、〈貫通弾〉を使い出入口を崩壊させる。そして安全な距離まで避難すると、建物内に設置していた爆薬を順番に起爆させていく。


 空気をつんざく轟音が続いたあと、すでに崩れかけていた廃墟が一気に崩壊していく。それは周囲の足場を巻き込んでしまい、大量の瓦礫が貯水池に落下することになった。水中で作業していたドローンの無事が確認できたのは、次々と立ち昇っていた水柱が見えなくなり、水面が落ち着いてからだった。

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