第十五部

第666話 廃墟探索


 ハクと一緒に教会近くの閉鎖地区を探索していると、地鳴りが聞こえ、廃墟の街が揺れるのを感じた。街で探索しているときに地震に襲われるのは久しぶりのことだったので、驚いて動揺してしまったが、そこまで激しい揺れではなかった。しかしそれでも、どこか遠くで建物が崩れ、まるで遠雷のように轟音が街全体に響き渡る。


 教会の上空を飛んでいた〈監視ドローン〉の映像を確認すると、旧市街で建物が崩れ、大小様々な瓦礫がれきが音を立てながら地面に激しく衝突し砕け散っていくのが見えた。砂埃と粉塵ふんじんが空高く舞い上がり、一時的に太陽の光を遮る。


 その砂埃の中には微細な砂粒やガラスの破片が混ざり、空気中に漂う無数の粒子に光が当たり散乱することで幻想的な光景を作り出していく。予期せぬ地震によって突如として始まった建物の崩壊は、驚くほど現実離れした光景を見せてくれたが、いつまでも眺めているわけにはいかなかった。


 我々が立っている通りに向かって、砂嵐のような粉塵が迫ってくるのが見えた。すぐに〈ハガネ〉のマスクを装着して呼吸を確保すると、ハクに離れないように警告しながら近くの廃墟に避難する。


 ハクも地震に驚いている様子だったが、恐怖よりも好奇心のほうが勝っているのか、パッチリした大きな眼で静かに揺れる建物を観察していた。


 やがて粉塵は通りを包み込み、我々の視界を奪っていく。その間にも、建物が崩れる音が聞こえ、廃墟の街に不気味な音が響き渡っていた。それはまるで巨大な生き物が深い眠りから目を覚ましてしまうような、どこかゾッとする響きを持っていた。


 崩壊していく空中回廊や鉄骨が地面に激しく打ちつけ、その音が廃墟の静けさを破っていく。薄暗い廃墟のなかで身をかがめて身を守る。すでに揺れは収まっていたので、旧文明の堅牢な建物が崩壊することはないだろうと考えていたが、それでも暗い建物の奥で支柱が軋むような音が聞こえると不安になった。


 通りが落ち着くまでの間、とくに何もすることがなかったのでハクと一緒に廃墟を探索することにした。ちなみに、ハクの背には――さもそれが当然であるかのように、ジュジュが乗っていた。どこに行くにもジュジュがついて来るので、時々、ジュジュに監視されているのではないかと思うことがある。


 ガランとした暗い空間をショルダーライトで照らす。扇状に広がる光が、壁材のひび割れやゴミで散らかる空間を暗闇のなかに浮き上がらせる。建物はかつての賑わいとは無縁で、どこか陰湿な静寂に包まれていて、空虚な空間に足音だけが響き渡っていた。


 ガラスの破片が散らばる入り口近くには雑草が生い茂り、錆びたドラム缶やマットレス、それに大量の缶詰が目についた。この辺りを縄張りにしていた略奪者たちが残したゴミだと思われたが、今は人の気配がなく、数週間の間は無人だったと推測できた。


 日陰でも育つ雑草の根が床や壁に這い、腐った木製の家具やフレームだけになった多脚車両ヴィードルの残骸に覆い被さっているのが見えた。どうして多脚車両が建物内に打ち捨てられていたのか気になったが、今やそれらの廃棄物も廃墟の一部になっていて違和感がなかった。


 建物の奥に続く通路の壁には、大きくて不気味な絵画が飾られていた。それは円卓を囲むようにして食事を楽しむ人々を描いた作品だったが、絵の具が剥げ落ち、色褪せていた。黒いシルエットだけになった人々は食屍鬼グールじみた姿なっていて、得体の知れない食物を口に運んでいるようにしか見えなかった。


「不気味な絵だ……」

 暗い通路の先から冷たい風が吹きつけて、遠くで不気味な音が反響すると、理由は分からなかったが、そこに立っているだけで首筋に鳥肌が立つような不快感に襲われた。


 あまり長居していたくない場所だと感じていたが、こういうスカベンジャーさえも近寄らない不吉な場所には、今も遺物が残されていることがある。探索しても、その時間が無駄になることはないだろう。


「行こう、ハク。建物の中を探索しよう」

 白蜘蛛が返事の代りにカサカサと腹部を振ると、ジュジュが振り落とされそうになるのが見えた。しかしハクの背に乗るためのコツを掴んできているのか、不満そうにカチカチと口吻を鳴らすだけで、地面に転げ落ちてしまうようなことにはならなかった。意地でもハクの背に乗っていたいようだ。


 廃墟を探索することには慣れていたが、その建物がホテルだったのか、それともマンションだったのかは分からなかった。閑散としたエントランスの天井は異様に高く、エレベーターホールに続く通路には大きなソファーが置かれ、足元には絨毯が敷かれていた。


 もっとも、それは経年劣化でひどい状態になっていた。絨毯は見るからに高級なモノだったが、今や泥にまみれ、あちこち擦り切れていて、ひどく色褪せたていた。絨毯の上を歩くたびに、ゴワゴワとした嫌な感触が靴底から伝わり、足を乗せた瞬間から崩れていき砂埃が立ち昇る。


 マスクをしていなければ、大量のホコリで窒息していただろう。案の定、ハクとジュジュの体毛はホコリまみれになってしまう。ハクは嫌がるかもしれないが、拠点に戻ったらシャワーの水で汚れを落とさないといけないだろう。


 通路には窓がなく陽の光が当たらないからなのか、雑草は生えていなかったが、雨風に運ばれた泥状の堆積物があちこちで確認できた。壁面はカビだらけで、時折、天井から水滴が落ちる音が聞こえた。その水滴と吹きつける風の音だけが静かな空間に響いていて、自分自身の足音を余計に際立たせていた。


 エレベーターホールまでやってくると、そこは完全な暗闇に包まれていた。照明がなければ、まともに歩くこともできないだろう。周囲の様子を確認するため、ショルダーライトの青白い光で照らしていく。


 暗闇に浮かび上がる影の中に嫌な気配が漂っている。空気が重く、どこからか呼吸音じみた不気味な音が聞こえ、寒気が走るような嫌な感覚に襲われる。この廃墟は〈人擬き〉の棲み処になっているのかもしれない。敵意は感じられないが、見つかってしまえば一斉に襲われるかもしれない。


 エレベーターはすべて破壊されていて動かない。破壊された扉の前に立ち周囲に照明を向けると、壁に無数の落書きや傷痕があることが確認できた。それに、文明崩壊時の混乱から残るモノなのかは分からないが、人骨が無雑作に散乱しているのも見えた。


 注意しながらエレベーターシャフトを覗き込むと、底に水が溜まっているのが見えた。おそらく建物の地下は完全に水に浸かっているのだろう。その水はにごっていて、無数のプラスチックゴミが浮かんでいる。視界の端で何かが動くのが見えたのは、照明を上方に向けようとしたときだった。


 濁った水の底で〝何か大きなモノ〟が動くのが見えた。すぐに照明を向けで確認するが、何も見当たらない、ただ水面が静かに揺れて波紋が広がっているだけだった。


 水棲生物といえば、海岸で遭遇した〝魚人〟のことを真っ先に思い出したが、さすがに廃墟の街には来ていないだろう。となると、別の変異体が潜んでいる可能性がある。充分に注意して探索する必要がある。とくにジュジュは落ち着きがないので、目を離さないようにしなければいけない。


 ユーティリティポーチからカグヤの偵察ドローンを取り出すと、周囲の偵察とジュジュの監視を頼むことにした。カグヤは教会の地下にある施設のシステムを完全に掌握するため、忙しそうにしていたが、無理を言って手伝ってもらうことにした。


 エレベーターホールの壁に設置されていた古い案内図を確認すると、近くに避難階段があるのが分かった。エレベーターのなかを覗き込んでいたハクに声を掛けたあと、暗い通路の先に向かうことにした。

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