第665話 調査員


 〈五十二区の鳥籠〉でイーサンに会い、これからのことについて相談した翌日、私はハクを連れて〈砂漠地帯〉にやって来ていた。発掘現場となっている超構造体メガストラクチャーで発見された異星生物〈インフェクスムスカ〉の調査に関する話を、ペパーミントから聞く予定だった。


 地下に設けられた無菌テントの内部は、地上から多数の設備が運び込まれていて、未知の生命体に対する精密かつ徹底的な解析の場になっていた。冷たく青みがかった照明が無数の器具を照らし、テント内に厳粛な雰囲気を醸し出している。


 発掘調査を監督するジャンナの協力もあり、砂と静寂に支配された〈エリア十八〉では、調査員たちが真剣に作業に取り組んでいる様子が確認できた。彼らは生物に関する専門家ではなかったが、危険な領域で発掘を行う過程で代々培ってきた経験や知識をもとに、ペパーミントたちの仕事を手伝っていた。


 テントの中央には大きな調査テーブルが置かれ、その上には異星生物から採取された干からびた内臓や外殻の一部が丁寧に配置されていた。透明なケースで保護された内臓や組織は、特殊な装置で微細な構造が鮮明に観察できるように解析され、サナエや調査員たちの手で詳細な調査が行われていた。


 そのとなりでは、高精度の顕微鏡で異星生物の組織が調べられ、ホログラムによって無数の情報が投影されていた。正直なところ、その分野に関しては門外漢なので、表示されていた元素記号やら膨大な数字が何を意味しているのか分からなかった。


 別のテーブルには異星生物のハサミが特殊な装置に取り付けられ、高解像度のスキャナーによって調べられていた。スキャンデータは情報端末に送られ、すでに分析が始まっているようだった。調査員たちは揃いの白衣を着用し、手袋をして細心の注意を払いながら異星生物の組織を扱っていた。


 ちなみに異星生物ムスカの死骸は厳重に管理されているので、往年のSFホラー映画のように、長い眠りから目覚めた生物によって調査員が襲われ皆殺しにされるような心配はない。


 死骸は環境の変化による劣化や外部汚染から守られるため、温度と湿度が適切な状態で維持される特別なケースに収められてコンテナに保管されていた。半透明のパネルで覆われたケースの内部には、マニピュレーターアームが備え付けられていて、定期的に死骸からサンプルを採取して異常がないか監視する役割も与えられていた。


 コンテナ内部にも警備カメラと監視装置が備え付けられているので、いつでも異星生物の状態を確認できるようになっていた。ちなみに、コンテナにアクセスする権限を持つ人間は限られているので、本当に化け物が甦るようなことがない限り、調査員たちの安全は保障されていた。


 その安全で清潔な環境下で異星生物の死骸は調査されていた。テント内には複数のモニターが設置され、それぞれが異星生物に関するデータや解析結果を表示している。データはリアルタイムで更新され、大量の情報が画面に表示され、調査員たちはデータの中から生物の起源や生態について学ぼうとしていた。


 ペパーミントは過去の調査から得られたデータや、異星生物の詳細な解剖図が表示されていた端末をじっと見つめていた。それらの情報が異星生物に関する知識をさらに深める手助けになっていることは理解できたが、やはり知識のない人間にとっては意味のない情報の羅列に過ぎなかった。


 その彼女が画面を見ながら言う。

「ジャンクタウンでは、大変な思いをしたみたいね」


 たしかに大変だった。でも本当に苦労することになったのは、収容所を脱出したヨシダたちと合流してからだった。彼らには事前にハクのことを説明していたが、間近に見る〈深淵の娘〉に驚き、ちょっとした騒ぎになった。


 命懸けで廃墟を探索するスカベンジャーたちにとって、〈深淵の娘〉は死を象徴するような存在だったので、彼らが怯えるのも無理もないことなのかもしれない。


 けれどハクよりも彼らを困惑させたのは、必要以上に人間に慣れてしまっていたジュジュだった。組合長モーガンをはじめ、そこにいる多くの人間は昆虫種族というものを初めて目にしていたので、ひどく警戒していた。


 けれどジュジュはどこ吹く風といった様子で、スカベンジャーたちに馴れ馴れしく付きまとっているかと思えば、大型多脚車両ヴィードルの操縦席に入り込んで人々を驚かせていた。


 廃墟で生きる人間にとって〈昆虫種族〉との出会いが〝未知との遭遇〟であるように、ジュジュたちにとっても、大勢の見知らぬ人間や機械に触れることは未知の経験だったのかもしれない。


「こっちも、それなりに大変だったみたいだな」

 そう言って無菌テントの外に視線を向けると、地上から運ばれてきた大量の物資に交じってジュジュたちが遊んでいる様子が見えた。木箱やコンテナに飛び乗ったり、周辺一帯を警備している機械人形の背にしがみ付いたり、イタズラもやりたい放題だった。


「大丈夫よ」と、彼女は言う。

「慣れているもの。それに、茶目っ気たっぷりに遊んでいるジュジュたちは、見ているだけで心を癒してくれるから」


 こんな薄暗い場所で化け物の死骸に囲まれていれば、さすがに気が重くなるのだろう。

「無邪気に遊ぶジュジュたちを見ているのは、たしかに気分転換になるかもしれない」


 ペパーミントは肩をすくめたあと、ケースの中から異星生物の外殻の一部を取り出す。個体によっては〈貫通弾〉すら通用しない堅牢な甲羅だ。彼女はそれをテーブルに置くと、テーブルに備え付けられていたコンソールを操作する。


 青色のワイヤーフレームで再現された異性生物の全身像が投影されたあと、完全な状態の外殻だけが残される。


 そこに異星生物の外殻の特性を詳細に分析した調査員がやってきて、その素材が戦闘車両などの装甲を強化するのに適している説明してくれた。他の素材との相性など、まだまだ調べなければいけないことはあるが、新しい装甲技術の開発につながるかもしれないと期待しているようだった。


 蠅にも似た異星生物の外殻は非常に軽量で、かつ堅牢だと知られていたが、さらに多くの特性を持っているようだった。そのことを若い調査員は早口で説明してくれた。


「調査の結果、構造そのものに強力な耐衝撃性があり、極端な環境下でも――たとえば砂漠のような高温環境から、冬の廃墟の街のように氷に閉ざされた低温環境などの条件にも良好な性能を維持できることが分かりました。これは過酷な環境で戦闘を行う多脚車両の装甲に求められる特性であり、新しい技術を開発するための貴重な素材になります!」


 熱心な調査員は異星生物の外殻から採取したサンプルをさらに分析し、その特性や潜在的な応用方法を考慮しながら実験を進めていたようだ。


 しかし専門家でもない調査員にできることにも限界があるので、車両整備などに関わってきた技術者と協力し、この異星生物の外殻を実際の戦闘車両で使用するためのプロトタイプを設計したいと考えているようだった。


「必要な人材が集められるかもしれない」

 私の言葉に調査員は興奮したような表情を見せる。根っからの研究者気質なのかもしれない。調査員を失望させないためにも、イーサンと相談して〈五十二区の鳥籠〉から優秀な技術者を派遣してもらおう。


「この研究で成果が出せれば」と、調査員は続ける。「戦場での耐久性と防御能力が向上し、操縦者の安全性を確保することできます。また、異星生物の外殻を用いることで、車両の重量を削減し、燃費の向上や機動性の増大にも寄与するかもしれません。えっと、それから――」


 この研究は、たしかに我々にとって有益なものになるだろう。だがそれ以上に、ジャンナが率いる発掘調査隊と協力関係になれたことは、この上なく幸運なことだったのかもしれない。

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