第667話 それが何であれ〈廃墟探索〉
重い防火戸を押し開くと、上階につづく避難階段が見えた。しかし非常灯も消えていて、深い暗闇のなかに沈み込んでいた。照明を向けると青白い光で満たされ、暗闇の中で階段の輪郭がハッキリと浮かび上がる。ゴミが散乱しホコリが堆積しているが、とくに変わったところは見られなかった。
ハクのために扉を押さえていると、上階から物音が聞こえてきて、それは暗闇のなかで長く尾を引くように反響した。
音に反応してショルダーライトを消すと、ナイトビジョンに切り替えながら上階にライフルの銃口を向けた。しかし、生物の気配はなく、敵意を持った存在も確認できなかった。地震の揺れの
ハクが通れるだけの道幅があることを確認すると、上階に向かって移動を開始する。暗視装置を通して見るジュジュの複眼は妖しく発光していて、いつもと異なり、どこか不気味な雰囲気さえ感じられた。
やがて防火戸が開放されたまま放置されていた階層が見えてくる。暗視装置の設定を変更してショルダーライトで照らすと、長い廊下が確認できた。その廊下の両脇にはいくつかの扉があったが、ドアノブはなく、小さな端末が設置されているだけだった。出入口はすべて電気錠で管理されていたのだろう。
静寂に包まれた暗い廊下に足を踏み入れる。壁面には高級感のある木材が使用されていたが、おそらく金属に木目を印刷した建材なのだろう。まるで本物のように木の凹凸まで再現されていたが、木材特有の経年劣化は確認できなかった。天井に視線を向けると、照明とホログラム投影機が等間隔に設置されているのが見えた。
ショルダーライトが廊下を照らし、その青白い光が壁に反射して奇妙な影を生み出していく。すぐ近くの扉を調べるが、番号や目立った表記もなく、何のために使用されていた部屋なのか特定することはできなかった。だが建物の構造上、高層マンションの類で間違いないと考えていた。
電気錠に〈接触接続〉を試みるが、端末に電源が供給されていないからなのか、動作することはなかった。腕を組んでどうするか考えるが、ここでの選択肢は限られていた。扉を破壊して部屋に侵入するか、諦めて施錠されていない部屋を探すか、すぐに決断しなければいけなかった。不気味な廃墟の中で悠長に構えていられないので、さっさと扉を破壊して探索を続けることにした。
廊下を見回して、周囲に生物の気配がないことを確認したあと、目の前の扉を蹴破ろうとした。けれど旧文明の建材が使用されているからなのか、扉はビクともしなかった。力を抜いたからいけなかったのかもしれない。再度、扉を蹴破ろうとすると、ハクが長い脚を伸ばして扉に触れる。
すると扉が大きく
『ふふん』と、得意げにしているハクに感謝したあと、暗闇に照明を向ける。
広い玄関が見え、廊下の先に開いたままの扉があることが確認できた。家主が几帳面だったのだろう、玄関は綺麗に片付けられていて履物は見当たらなかった。廊下にも写真や絵画の類は飾られていなかったので、あまり家庭的な人間ではなかったのかもしれない。子どもがいるのなら、写真くらいは飾っているモノだ。
ハクには狭くて窮屈な場所だったので、ジュジュと一緒に廊下で待ってもらうことにした。カグヤの偵察ドローンが照明を使って周囲を照らしていたので、暗闇で待たせるようなことにはならない。
家主が人擬きに変異している可能性があるので、ライフルは構えたまま廊下を進む。しかし室内に荒らされた様子はなく、まるで時間が止まったかのようにひっそりとしていた。ホコリに覆われた家具を横目に見ながら慎重に奥の部屋に向かう。ショルダーライトが家具の影を伸ばしながら室内を照らし出していくと、不自然に大きな壁が見えた。
ガラス窓やバルコニーに通じる掃き出し窓の類は見当たらなかったが、どうやら端末を操作することで、壁を透かして外の景色が見られるようになっているようだった。しかし電源が入らないので、暗闇のなかで探索を続ける必要があった。
室内の静けさにもかかわらず、警戒心を緩めることはできなかった。多くの人間が生活していた建物である以上、人を襲う変異体が潜んでいてもおかしくない。
寝室はシンプルで、部屋の中心に大きなベッドが置かれ、壁際に本棚が設置されていて古い書籍が何冊か並んでいた。しかし室内装飾として利用される装飾本だけで、本物の本は一冊もなかった。ベッドの脇にはデスクとイスがあったが、家主が使用していた痕跡はなかった。
ホログラム投影機や大画面のディスプレイも設置されていたが、家主はインテリアに興味がなかったのか、必要最低限の家具しか置かれていなかった。寝室を出ようとしたとき、デスクの下に金庫があることに気がついた。開いた状態で放置されていた金庫の中身を確認すると、ハンドガンの弾倉と数枚の〈IDカード〉を見つける。
ハンドガンだけ取って慌てて出ていったのかもしれない。弾倉を回収してポーチに放り込むと、接触接続でIDカードの情報を読み取ろうとするが、それなりのまとまった額の
寝室を出て別の部屋に入ると、介護ロボットの充電スタンドが設置されているのが確認できたが、機械人形の姿は見つけられなかった。しかし家主が独り身であることや、介護を必要としていた年齢であることが分かった。信仰上の理由で、あるいは自らの信念で不死の薬〈仙丹〉を服用しなかった人間だったのだろう。
充電スタンドの周りには電動車椅子や、介護で必要になると思われる道具が整然と並べられていて、家主の生活の様子が想像できた。
貴重な遺物は見つけられないのかもしれない。そう思って部屋を出ようとしたときだった。浴室だと思われる部屋の扉が開いていることに気がついた。興味本位で覗いてみると、大きな浴槽に人骨が残されているのを見つけた。おそらくその骨が家主なのだろう、傍らには停止した状態のマンドロイドが寄り添っていた。
ハンドガンが転がっていて、そこで何が行われたのか安易に想像することができた。どのような理由で自らの手で人生を終わらせる決意をしたのかは分からなかったが、少なくとも文明崩壊の混乱期に飢えることもなければ、生きたまま人擬きに喰われてしまうような未来も避けることができた。
だが、そこに至るまでの葛藤や苦しみは想像を絶するモノだったのだろう。無意識に手を合わせたあと、何も取らずに浴室を出た。
退屈そうにしていたハクと合流すると、通路の先に何があるのか調べに行くことにした。すべての部屋を手当たり次第に調べることもできたが、それでは時間がいくらあっても足りなかった。だから別の場所を探すことにした。高層マンションであれば、高層階に行くほど部屋数を少なくし、間取りを広く取り特別感を演出するのが普通だった。
その特別な部屋に住める人間は、自ずと特別な立場にいる人間になる。であるなら、最上階にいけば貴重な遺物を入手できる確率も高くなるだろう。
けれど階段を使って何十階も移動するのは大変だ。せめてエレベーターを動かせるだけの電源を確保することはできないだろうか。そう思ってカグヤに相談しようとしたときだった。通路の先に人影が立っているのが見えた。
トラブルのニオイがした。もちろん、嫌な予感もあった。それが幽霊や幻覚の類でないなら、これから厄介なことになるのだろうと。でもとにかく、それが何であれ確かめる必要があった。それ以外に問題を解決する方法はないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます