第656話 脱出〈収容所〉
収容区画に足を踏み入れる。かつて建材を保管していたであろう広大な空間には天井を支える無数の柱が並び、薄暗さと死のニオイに満たされていた。そこには古い檻が雑然と並び、その中に無数の人々が押し込められているのが見えた。
その檻は、見世物小屋の店主が廃墟で捕らえた人擬きや変異体を閉じ込めておくのに使用される頑丈な檻だった。そこから逃げられないことが分かっているのだろう、捕らえられている人々の表情には、苦痛と絶望が張り付いている。
とにかく、この檻の中からヨシダを見つけなければいけないのだが、あまりにも多くの人々が無理やり押し込められているので、見つけ出すのにも苦労しそうだ。その檻の前を通ると、狭い空間で押し合いへし合いする人々が何かを
ひどい拷問のあと、まともな治療すら受けられずに檻に戻されたのだろう。放置された無数の遺体が腐敗している様子も確認できた。囚人と呼ぶには
教団の兵士が潜んでいるかもしれないので、いつでも射撃できるようにライフルを構えながら進む。ハガネの動体検知機能を使用していたが、この空間には人が多くいるため、あまり役に立たない。同様に悪意に反応する瞳も効果がない。檻のなかにいる人々は私に対して強い敵意を持っていた。おそらく教団の兵士だと勘違いしているのだろう。
薄闇の中、檻に囚われている人々の顔を確認しながら通路を進む。そこでは不気味な静寂が漂い、その沈黙の中で弱々しく咳き込む音や、「俺は何も知らないんだ」と、気狂いのように同じ言葉をつぶやく人々の声が聞こえていた。兵士たちに拷問を受けたさいに、なにか自白するように強要されたのかもしれない。
教団の目的は分からなかった。そもそも人々を捕える理由もハッキリとしない。兵士たちが暇潰しに捕まえてきたと言われたほうが納得できたかもしれないが、それにしては警備が厳重だった。教団は何のためにジャンクタウンの住人を捕えていたのだろうか?
陰鬱な静けさのなかで自分自身の足音だけが響き渡る。崩壊した天井からは光の筋が射し込み、建物内の陰影が強調される。敵兵から狙撃されたのは、天井から射し込む無数の光芒を眺めていたときだった。
鋭い射撃音が聞こえたときには、ハガネが発生させた磁界によって弾丸が
天井付近に潜んでいた敵兵が赤色の輪郭線で強調されるのを確認したあと、すぐに銃口を向けて射殺する。乾いた銃声のあと、兵士は高所から落下して大きな音を立てた。
ワザと姿を晒した状態でその場に立ち尽くすと、他にも敵兵が潜んでいないか確認したが、どうやらあの狙撃兵で最後だったようだ。
しばらくして、ようやくヨシダを見つけることができた。濃い髭で顔の大部分が隠れていたヨシダは、痩せ細り、身につけていたボロ布のような服はひどく汚れていた。生体部品を使った高価な義手も奪われていて、今は隻腕だった。
しかしそれでも、彼の目には諦めや絶望は見られなかった。代わりに、教団からの理不尽な仕打ちに対する怒りや闘志が見て取れた。
ヨシダが無事だったことに安堵して息をつくと、顔を見せるためにマスクを外し、それから声を掛けた。
「……もしかして、レイなのか?」
ヨシダの声はかすれていたが、確かに知っている声だった。その声は孤独な闘いの中でも、希望を失わずに生きていた彼の意志の強さがあらわれていた。
「無事でよかった」
私のことを幻か何かと勘違いしていたヨシダを落ち着かせたあと、手短に現在の状況を伝える。ジャンクタウンにやってきた理由や、スカベンジャー組合の現状も伝えた。
余計なことは何も話さなかった。というより、そんな余裕はなかった。すでに襲撃のことは知られているだろうし、増援がやってくる前に脱出する必要があった。
「レイが発見した旧文明の施設とやらで、再出発するのも悪くないな……」
そこで急にヨシダの顔を曇る。どうやら妻のことを思い出したらしい。
「奥さんなら組合が保護してくれたから大丈夫だ」
妻が無事だと伝えたあと、これからのことについて話した。今なら鳥籠の外で組合長たちと合流できることや、教団の警備兵に知られずに鳥籠から脱出できる隠し通路があること、それに警備システムを掌握していることも。
「つまり、巡回している厄介な警備兵にだけ気をつければいいんだな?」
「ああ、壁の周囲に設置してある動体センサーや攻撃タレットは反応しない。ヨシダはモーガンたちと合流することだけ考えて動いてくれ」
その前に檻を開く必要があったが、まず電子ロックを解除する必要があった。〈接触接続〉を行うためパネルに触れると、冷たい金属の感触が伝わってきた。短い電子音のあと、横にスライドするように檻が開いていく。収容所のシステムに侵入したからなのか、カグヤの遠隔操作によって他の檻も次々と開錠されていく。
囚われていた人々は状況が理解できずに困惑していたが、ヨシダがぶっきらぼうに状況を説明する。今までもそうやって囚人たちを励ましてきたのだろう。
彼らもジャンクタウンで生活できないことを分かっているのだろう。半数以上の人間が檻から出てきたが、残りは動こうとしなかった。傷つき、これ以上の苦痛に耐えることができない者たちが動けないまま横たわっていた。すでに生きる気力がないのか、あるいは怪我の
彼らを助ける手段を考えていると、ヨシダがとなりにやってくる。
「なぁに、連中のことは俺たちに任せてくれ。この地獄を生き抜いてきた仲間だ。ここに置いて行くような真似はしない」
ヨシダのように生きる希望を捨てなかった者たちがいた。彼らは涙を流し、仲間の手を握りしめながら必死に励ましていた。そうやって囚人たちは協力し合いながら、力を合わせて怪我を負った仲間を慎重に運び出していた。が、それでも生きる希望を失くし、すでに狂人になってしまった者たちにしてあげられることはなかった。
収容区画を監視していた兵士たちの詰め所を見つけると、ID認証が必要ない旧式のアサルトライフルを手に入れ、それをヨシダの仲間に持たせた。痩せ細った彼らに小銃を扱うのは難しいと思うが、身を守る道具は必要だった。それから〈収納空間〉に保管していた戦闘糧食と飲料水を全員に配った。
ヨシダたちが食事を取り移動の準備しているあいだ、詰め所で教団の計画を知る手掛かりがないか探していると、カグヤのドローンが奇妙な反応の接近を検知する。
『人間でも機械人形でもない、とにかく奇妙な反応だよ』
「教団の人造人間なのかもしれないな……」
ヨシダに状況を報告することにした。
「どうやら、俺は一緒に行けないようだ」
「教団が増援を?」
「ああ、けど心配しないでくれ。すでに組合長と連絡が取れていて、合流地点も把握してある。それにドローンが先導してくれるから、セキュリティを気にする必要もないし、道に迷うこともない」
「ドローン?」
「こいつのことだ」
小さな偵察ドローンが姿をあらわすと、ヨシダたちはひどく驚いた。旧文明の熱光学迷彩技術を使っているので、近くにいてもその存在に気づける人間はほとんどいなかった。
「ひとりで大丈夫なのか?」
彼はひどく心配しているようだったが、その必要はなかった。
「大丈夫だ。ひとりでここまで来たんだ、ひとりで出て行けるよ」
ヨシダたちがドローンのあとを追うように慌ただしく収容所をあとにすると、戦闘に備えて準備をする。収容所に味方がくる予定はない。だから近づいてきているのは敵で間違いない。問答無用で攻撃して、敵が人造人間としての能力をみせる前に終わらせることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます