第648話 潜入


 静寂に浸かる地下通路は狭かったが、高い天井のおかげで圧迫感を感じることがなかった。が、例に漏れず無機質な空間で、壁や天井は傷ひとつない鋼材で覆われ、照明の光を反射して幾何学的な模様を広げているのが見えた。


 足元には柔らかな床材が敷かれていて、疲れを感じさせなかったが、清潔な空間に地上の汚れを持ち込んでいるようで申し訳ない気持ちになった。


 通路の照明は歩行に合わせて点灯し、必要なくなった背後の照明は静かに消えていく。その奇妙な明滅のリズムは、通路が未知の世界に導くような錯覚をもたらす。静謐で生命を感じさせない空間だったが、足音だけがその静寂を断ち切る音となって響いていた。


 旧文明の技術によって建造されたこの場所は、本来は緊急時の避難経路として利用される予定だったのかもしれない。だからこそ機械人形によって管理され、繊細なバランスの中で維持されてきたのだろう。地上で生活する人々がこの場所のことを知れば、瞬く間にゴミに埋もれてしまう。


 時折、ホログラムで投影されるディスプレイがあらわれて、ジャンクタウンの〈販売所〉で購入できる商品が紹介されていた。軍の物資を備蓄することが施設の主な役割だったからなのか、紹介される商品の多くは武器や戦闘に関する装備品の類だった。


 自分以外に動くモノのない空間では、それら記号のような広告や宣伝も、ある種の安らぎを与えてくれる。もしもこんな無機質な空間に閉じ込められるようなことになったら、すぐにでも気が狂ってしまうだろう。


 高い天井に張り巡らされた無数の配管を眺めながら歩いていると、カグヤから地上の映像を受信する。彼女の偵察ドローンを使ってジャンクタウンの様子を確認してもらっていたのだ。しかし上空からでは、とくに変わった様子は見られなかった。


 もちろん、教団の兵士が警備している姿や、徒党を組んで我が物顔で大通りを練り歩いている姿は確認できたが、それだけだった。やはり自分自身の足で歩いて確かめる必要がありそうだ。


 やがて地下に続く貨物エレベーターと、地上に向かうための階段が見えてくる。残念ながらエレベーターは電源がなく停止していたので、寄り道せずに地上に向かうことにする。


 階段の先に出口が見えてくると、カグヤに現在の位置情報を特定してもらい、地上の出入り口が安全なのか確認してもらう。しばらくして問題がないことが分かると、コンソールパネルに触れて隔壁を開放する。


 地中に隠されていた二重の隔壁が左右に開いていくと、曇り空と車両の残骸や鉄屑が積み上げられている景色が見えた。どうやら商人たちが管理する大量のジャンクが山のように積まれた区画に出たようだ。


 安全だと分かっていたが、念のため顔だけ出して周囲を見回して安全確認を行う。それから階段を上がって地上に出た。侵入の痕跡を消すためにも、地下通路に続く出入り口はすぐに閉鎖する。


 適当な廃品を拾い集めて隔壁を隠していると、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『ジャンクヤードってことは、ヨシダのお店の近くだね。ひさしぶりだし、ついでに彼にも会っていく?』


「そいつは名案だ」

 ヨシダの協力が得られないか相談してみるのもいいかもしれない。新たな共同体を築くうえで、旧文明の電子機器に関する彼の豊富な知識は何かと役に立つはずだ。


 拡張現実で表示されていた簡易地図ミニマップでヨシダのジャンク屋の位置を確認したあと、鉄屑の山で迷子にならないように青色の矢印に従って歩いた。ジャンクタウンと呼ばれているだけあって、大量の廃品が所狭しと積み上げられていた。そこでは時間と根気さえあれば、機械人形の残骸から多脚戦車の砲塔だって見つけられるかもしれない。


 足元の砂利には錆びついた鉄板が敷かれていて、歩くたびに靴底の石がこすれてジャリジャリと音を立てた。ジャンクヤードの広大な領域には、さまざまな機械部品や廃車が無造作に積み上げられている。古びたエンジンの部品、錆びた駆動系、分解された配膳ロボットの腕や足が山のように積み重なっている。


 雨風に晒され続けた無数の電子機器からは、かつての驚異的なテクノロジーの面影を見ることはできなかった。なにもかもが時の流れのなかで朽ちてしまっていた。


 その荒廃した景色のなかで、機械人形と人間が忙しく働いている姿が見えた。彼らは手にした工具やハンマーを巧みに操りながら、電子基板を修復し、廃棄された多脚車両を解体して部品を回収する作業に取り組んでいた。


 短い足に長い腕を持つ旧式の作業用ドロイドは、マニピュレーターを器用に使いながら、同時に複数の金属部品を溶接し修理していく。彼らは人間の手では絶対に真似できない精密な作業を休みなく繰り返し、廃棄物から新たな可能性を生み出していた。


 それらの機械人形の外装にも傷や錆が確認できたが、しっかりと整備されているのか、とくに悪い動きをしている様子はない。黄色と黒の縞模様で塗装された作業用ドロイドが休みなく働く姿は、ジャンクヤード全体に活気をもたらしているように見えた。


 一方、人間の作業員は砂埃にまみれた作業着を身につけ、汗をかきながらも精力的に働き続けていた。ハンマーの打撃音や重機のエンジン音がジャンクヤードに響き渡っていくが、その音も鉄屑の山が生み出す奇妙な静寂に包み込まれていく。


 争いとは無縁の場所に見えたが、ここにも教団の監視の目があるのか、警備する部隊に何度か遭遇することになった。環境追従型迷彩を使いながら身を隠すことで争いを避けたが、かれらが廃品置き場まで監視しているのは意外だった。


 やがて、かすれた文字で〈製作所〉と書かれた大きな看板がある掘っ立て小屋が見えてきた。しかしソレは見慣れた店ではなくなっていた。斜めになった看板の周囲には様々な機械部品が積み上げられ、掘っ立て小屋の壁面には歪んだ鉄骨や古びたケーブルが無雑作に捨てられ、窓ガラスは割れていて人の気配はない。


 ジャンク屋に侵入したカグヤの報告では、店内は荒らされていて商品がなく、ヨシダの姿も確認できなかったようだ。


『まるで暴徒に襲撃されたあとみたいだったよ』

「なにか問題が起きたのかもしれないな……」


 インターフェースから〈連絡先〉の項目を選択してヨシダの情報端末に直接つなげたが、彼と話すことはできなかった。


「組合長なら何か知っているかもしれない」

『なら、目的地はスカベンジャー組合だね』


 新たな目的地が設定されると、視線の先に矢印があらわれる。便利な機能だったが突発的な襲撃に備えて、視界の邪魔にならないよう足元に表示するように変更した。


 その矢印をぼんやりと眺めながら歩いていると、無数の配管が張り巡らされた通りに出る。太い管から噴き出る蒸気や、ケーブルの間に潜む昆虫を狙って走り回るネズミの様子を見ることができたが、ムッとする異臭が鼻を突くので早々に立ち去る。〈食料プラント〉が近いので、肥料として使われる糞尿の臭いなのかもしれない。


 それから気づいたことがある。以前は見られなかった監視カメラが通りのあちこちに設置されているのが確認できた。路地裏で見かけていた浮浪者や孤児の姿も見なくなり、偵察ドローンが騒がしい音を立てながら監視している様子も見られた。


 ジャンクタウンの住人は教団によって自由を奪われてしまっているのかもしれない。それは〈五十二区の鳥籠〉でも教団の関係者によって行われていた。となると、住人は教義を押しつけられ、受けいれなかった人間は排斥運動の対象にされているのかもしれない。


 いよいよキナ臭くなってきたが、飛行する無数のドローンを避けながら大通りに向かう。とにかくモーガンに会うことを優先する。議会に参加していた組合長と会うことができれば、現在の状況について何かしらの情報を手に入れられるだろう。

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