第646話 防壁


 深紫色の花を咲かせる背の高い植物に身を隠すようにして高台に移動する。泥濘ぬかるみに足を取られないように注意して移動する。ネチャネチャと嫌な感触が靴底から伝ってくるが、それを気にしている余裕はない。それに、タクティカルスーツはすでに返り血と泥に汚れていたので気にするだけ無駄だった。


 木々の間から顔を覗かせると、一気に視界が開ける。視線の先に広がるのは、かつての混乱がもたらした荒廃の痕跡と人々が生き残りを賭けて築き上げた〈鳥籠〉だった。周囲の樹木じゅもくは伐採され、残された切り株が散在する様子が見え、灰色の高い壁に向かって延びる街道が見えた。


 高い壁は、どこか厳かな存在感を放っている。壁の表面には時の経過を物語るような痕跡は確認できないが、周囲には壁の補強のために錆びついた多脚車両の残骸が積まれ、ツル植物が絡みつく航空機の翼が壁に沿って複雑に組み上げられているのが見えた。


 戦闘車両や航空機の残骸が積み上げられた風景は、文明崩壊に伴う混乱の記憶を語るかのようでもある。錆びついた翼は、かつて大空を舞い、エンジン音を響かせ高らかな歌を奏でていたかもしれないが、今は壁の補強……というより小動物の棲み処に変わり果てている。


 草むらに身を隠すと、フェイスマスクの機能を使って壁の周囲を静かに観察する。多くの買い物客で賑わっていたジャンクタウンは、恐怖と支配の影におおわれているようだ。武器を手にした兵士たちが力を誇示しながら、厳重な警備体制を敷いている。


 高い壁から迫り出すようにして設けられたトタン屋根の監視所にも教団の兵士が立ち、壁の周囲では小銃やレーザーライフルで武装した兵士たちが一定の間隔を保って警邏けいらしていた。各所に設けられた仮設の見張り所にも兵士が立ち、鋭い視線で周囲を監視し、人々の心に圧迫感を与えていた。


 鳥籠の入場ゲート付近には厳重な検問所が設けられていた。入り口に続く道路に沿ってコンクリートブロックや土嚢が積まれ、バリケードフェンスが組まれていた。重機関銃の銃架が要所に据えられ、厳重な防御ラインが築かれていることが確認できた。


 検問所の詰め所に待機していた白いガスマスクを装備した兵士たちは、武器を手に厳格な監視のもと通行人を厳しく尋問していた。兵士たちが気にいらない人間は物資を奪われ、たとえ女性だろと裸になるまで持ち物検査をさせられていた。


 入場ゲートに立つ兵士たちは教団の精鋭なのか、手にしている武器や身につけている装備も上等なモノだった。その兵士たちの怒号が響き渡り、その声は鳥籠にやってきた商人たちの緊張感を増幅させていた。人々は足早に行動し、目配せや言葉を交わすことを避け、恐れと不安を抱えて歩いていた。


 偵察ドローンから受信する映像を確認しようとすると、ハクから届いていた無数の映像ファイルを発見する。中身を確認すると、山と積まれた真っ赤な果実に埋もれるジュジュの姿や、驚きの表情を浮かべながら――感動しているように見える仕草で果実を口にするジュジュ、それに果汁で体毛をベトベトにしたジュジュの姿が映っていた。


 どうやらハクたちは森の散策を楽しんでいるようだ。というより、教団の兵士から攻撃されたことすら忘れているのかもしれない。いずれにせよ、ハクたちのことは心配する必要はないみたいだ。それより、正面からジャンクタウンに入るのは難しそうだ。


 ライフルを構えて入場ゲートを警備していた兵士に照準を合わせる。瞬時に弾道が計算され、予測着弾地点が表示されるが、引き金を引くようなバカな真似はしない。


 旧文明の兵器で武装した集団を、たったひとりで相手にできるとは思えなかった。現に教団が発掘した〈電磁砲〉による攻撃を受けて、ハガネの装甲が破壊されていた。人間だからと侮れば痛い目に遭う。危険なのは何も〈混沌の領域〉からやってくる化け物や〈異星生物〉だけではないのだ。


「カグヤ、ジャンクタウンに侵入できそうな場所がないか調べてくれないか」


『いいけど――』と、彼女の声が内耳に聞こえる。

『わざわざ〈IDカード〉を偽造したから、それを使って普通に入場するんだと思ってた』


 厳重な警備体制が敷かれた入場ゲートからの侵入は、生体情報を偽るくらいでは突破することは不可能だろう。教団の兵士だって愚かではない。すでに〝蜘蛛使い〟の名で顔は知られていたし、懸賞金だってかけられている。


 厳戒態勢のなかで見張る兵士たちを騙すことはできないだろう。そうでなくても尋問は厳しいモノになっている。行商人たちの行列を見ればそれが分かる。新たな策を練る必要があった。


「さすがに入場ゲートを通るのは無理だと思う」

『だから別の場所から侵入するの?』


「そういうことだ」

 カグヤの偵察ドローンを使って壁際に積まれた廃車や大小様々な瓦礫を観察し、そこから鳥籠に侵入できる経路を捜索する。


 ジャンクタウンの防壁は旧文明の鋼材を含んでいるので、倒壊した箇所を見つけるのはほぼ不可能だ。だから他に出入口がないか、鳥籠の支配層すら知らない入り口がないか捜索する。


『それにしても』と、カグヤが言う。

『ヤンの警備隊は本当に追い出されたみたいだね』


「教団の兵士たちと折り合いがつかなかったんだろ」

『威張り散らかしてそうだもんね』


「とにかく、ジャンクタウンは一滴の血も流れることなく教団に乗っ取られた」

『やっぱり〈宣教師〉は侵略の尖兵だったんだね』


「ああ、いつの時代も連中のやり口は変わらない」

『嫌な感じ』


 カグヤの言葉に肩をすくめたあと、侵入できる場所がないか探す。植物に埋もれた多脚戦車の残骸と瓦礫のあいだに隙間を見つける。リスにも似た小動物がひっきりなしに出入りしていたので、人が通れるだけの道幅があるかもしれない。


『〈接触接続〉を使って入場ゲートの制御システムに侵入できれば、ほかに出入口があるか分かるかもしれない。自爆ドローンを使って騒ぎを起こすから、その隙に壁に接近して』


「了解」

 ジャンクタウンの周囲にも対空迎撃用の兵器が設置されていたのか、カグヤが使用した徘徊型兵器の多くは標的に到達する前に爆散することになった。が、彼女の狙い通り、教団の兵士は思いもよらない攻撃に混乱し、一時的に警備の手を緩める。


 その隙を突いて一気に壁に接近する。環境追従型迷彩を使用していたが、敵が高度なセンサーを所有していたら効果は期待できない。だから油断せずに、岩や瓦礫といった遮蔽物を利用して壁に近づく。近くに巡回警備していた部隊がいたが、空中で爆散する徘徊型兵器に注意が向けられていたので、大きな障害にはならなかった。


 車両の残骸が高く積まれた場所までやってくると、小動物が出入りしていた場所まで移動する。途中、警備していた部隊を見つけると素早く廃車の陰に隠れる。ひとりで行動する兵士の場合、状況を見極め、必要なら攻撃して排除する。森にも危険な生物が多く生息しているので、ひとりふたり兵士がいなくなっても怪しまれることはないだろう。


 戦車の残骸が見えてくると、リスにも似た小動物は一斉いっせいに騒がしい鳴き声を立てながら逃げていく。戦車の下に隙間を見つけると、カグヤの偵察ドローンを先行させて安全なのか、通れる道幅があるのか確かめてもらう。


 安全が確認できると迷宮じみた瓦礫のなかを慎重に進んでいく。瓦礫に絡みつく植物を引き剥がし、鉄骨の隙間に身体からだを捻じ込んで進む。談笑する兵士たちの声が聞こえると、足を止めて彼らが遠ざかるのを待った。瓦礫を抜けると、監視カメラや動体センサーに注意しながら壁に触れる。

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