第623話 上空


 雲ひとつない青く澄んだ空を眺めていると、輸送機が近づくのが見えた。重厚な機体は鋼鉄の鳥のようでもあり、その迫力は見る者を圧倒し興奮を与える。渓谷の整備された広場への着陸が始まると、主翼のエンジンを適切な角度に回転させながら、ゆっくり高度を落とすのが見えた。


 警備隊の基地に勤める紅蓮ホンリェンの整備士たちは、航空機が着陸する様子を見て子どものような無邪気な笑みを浮かべていた。輸送機はティルトウィングを採用しているが、厳密にはエンジン部だけが回転するようになっていた。その特徴的な設計により、空中での機動性と着陸能力を備えている。それが彼らの好奇心を刺激していたのだろう。


 エンジンの轟音が渓谷に響き渡る。輸送機はゆっくりと姿勢を整えながら地面に近づいてくる。着陸場所として選ばれた場所に人影はなく、異常も見られなかったので問題なく着陸できるだろう。


 地面との距離が近づいてくると、風に巻き上げられる小さな砂粒が、まるで生命を宿しているかのように踊り、光の中でキラキラと輝いて幻想的な光景を作り出していく。


 けれどそれはフルフェイスマスクを装着しているから、そう感じるのだろう。実際にはマスクがなければ目も開けていられないほどの砂が巻き上げられていて、幻想的なんて言っていられない。広場が整備されているとは言っても、航空機の着陸は想定されていないのだ。


 その輸送機は着陸用の足をしっかりと地面に接触させ、重心を安定させる。鋼鉄製の脚が地面に触れた瞬間、かすかな振動が足元に伝わり、風に煽られていた整備士たちは驚くような反応をみせた。やがて轟音を響かせていた輸送機のエンジン音が徐々に静かになり、砂漠に再び静寂が戻ってくる。


『着陸成功だよ』と、カグヤの陽気な声が内耳に聞こえた。

 これから〈ヴィードルの墓場〉と呼ばれる汚染地帯で探索を行うことになっていたが、その前にハクと合流することになり、カグヤに迎えに来てもらったのだ。すでに多脚車両ヴィードルも地下の居住区画から、警備隊のために用意された基地まで移動させていたので、輸送機のコンテナに乗せるだけで出発の準備が整う。


「それじゃ、行ってくるよ」

 情報を提供してくれるだけでなく、自宅にまで招待してくれたルォシーに感謝したあと、輸送機に乗り込んだ。彼女とはここで別れることになる。ルォシーは汚染地帯に興味があるようだったが、さすがに危険な場所に彼女を連れて行くわけにはいかなかった。


 ウェイグァンが率いる愚連隊を護衛として連れていくことも提案されたが、彼らは砂漠に生息する獣や盗賊団から行商人たちを護衛する仕事で忙しいので、邪魔をしたくなかった。なにより、危険な場所に行くことになるので身軽な方がいいと考えていた。


 実際のところ、〈深淵の娘〉に会うつもりだったので、彼女たちの機嫌を損ねるようなことはしたくなかった。ハクがいるからといって、敵対されないという保証もなかった。結局、廃墟の街で生きる人々は彼女たちの餌でしかないのだ。


 コクピットシートに座ると、整備士たちと一緒になって離陸の様子を見守っていたルォシーから連絡が来る。心配性なのだろう「何か問題が起きたら連絡してください、すぐに助けに行きますから」と、彼女は本心から言う。


 それが民族に由来するものなのか、あるいは文化の違いによるものなのかは分からなかったが、紅蓮の人々は情に厚く、身内に対して愛情深い側面を持ち合わせていた。そして恥ずかしげもなく感情を表現するふしがあった。


 それはある種の美徳として、かれらの精神構造に深く組み込まれているのかもしれない。いずれにせよ、ルォシーから感じられる信愛の情は素直に嬉しいものだった。


 彼女に感謝して通信を切ると、今度はペパーミントから連絡が来る。モニターに表示された彼女の顔には疲労が見て取れた。〈インフェクスムスカ〉の調査に没頭するあまり、しっかり休めなかったのかもしれない。


『〈深淵の娘〉の遺体を搬送する準備ができたわ』

 彼女は口元を隠すようにして欠伸をしてみせた。

『ジャンナたちが遺体を地上に運んでくれているから、輸送機に積み込んだら、すぐに出発できると思う』


「ありがとう。ところで、ハクたちはどうしてる?」

 私の問いに、彼女はジトっとした目で言う。

『元気に仕事の邪魔をしてる。ジュジュたちは汚染地帯に連れていかないんでしょ?』


「ああ、さすがに危険な場所だからな」

『そうね、そのほうがいいわ。……それで、昨夜はどうだったの?』

「それなんだけど、実は気がついたことがあるんだ」

『いきなりどうしたの?』


「目の前の問題ばかりに腐心ふしんするあまり、周りのことが全然見えていなかった。旧文明の〈販売所〉でコーヒーメーカーが手に入るなんて知りもしなかった」


『なにそれ』

 彼女は溜息をつく。別の話を期待していたのかもしれない。

「家電のことだよ。ほら、旧文明期には便利な家電が売られていたんだ。それなりに高価なモノだけど、金さえあれば〈販売所〉でも購入できるんだ」


 それからルォシーの自宅で見た家電製品について説明したが、残念ながら彼女は少しも興味を持ってくれなかった。


 彼女との通信のあと、モニターに視線を向けると渓谷の先に広がる砂漠が見えた。そこには大小様々な砂丘が連なっていて、太陽の光を受けて砂丘の稜線が黄金に輝くのが確認できた。すでに見慣れていた光景だったが、何度見ても感動するような綺麗な場所だった。


 と、コクピット内に警告音が激しく鳴り響く。モニターに表示された情報を確認すると、砂漠に生息する危険な生物がれで移動しているのが見えた。


 その獣はコヨーテに似た姿をしていたが、変異したみにく身体からだは禍々しい気配を帯びていた。体毛は所々禿げていて、ただれたような皮膚が露出している。獰猛な脚は六本もあり、獣の全身から野生の力強さが滲み出ていた。尾は体長の二倍ほどもあり、長くしなやかで、ムチのように振るわれている。


 獣の胸部からは、不気味な形状の二本の短い足が突き出ていて、鋭い鉤爪が先端に備わっているのが確認できた。その姿からは、人間の恐怖心を掻き立てるには十分すぎるほどの凶暴さが感じられた。ソレは砂漠を行き交う行商人や隊商にとって脅威になる存在であり、排除しなければいけない存在だった。


「カグヤ、自爆ドローンは使えるか?」

『すぐに使えるよ』

 彼女はモニターに兵器の情報を表示しながら言う。

『遠隔操作もできるけど、試してみる?』


「はじめてだけど、問題はないのか?」

『うん。ペパーミントがヴィードルを操縦するために使ってたゴーグルがそのへんにあるから、それを装着して。信号の遅延は最小限に抑えられているし、輸送機のシステムがサポートしてくれるから、問題なく操作できるはずだよ』


 昆虫の触角にも似たアンテナがついたゴーグルを手に取ると、カグヤの指示に従いながら、コクピットのコンソールから専用のケーブルを伸ばしてゴーグルに接続する。


 ゴーグルを装着すると、光学機器を専門に扱う日本企業〈センリガン〉のロゴタイプが表示されて、徘徊型兵器の視点――空から俯瞰ふかんした映像が視線の先に表示されて、生体熱源により捕捉された十数体の獣がれで移動する様子がリアルタイムで映し出される。


 それらの獣は、すでに敵性生物だと確認され、赤色でタグ付けされていた。さらに機械学習によって移動予測がされていて、攻撃に適した場所や手段が提示されていた。至れり尽くせりとは、まさにこのような状況のことをいうのだろう。


『状況把握完了。目標を確認――』

 カグヤが淡々と言う。

『レイ、攻撃の準備ができたよ』


「了解」

 徘徊型兵器は優れた機動性を持ち、思考するだけで自在に操ることができるので、あとは攻撃に必要な機体の数を決めるだけでよかった。徘徊型兵器が急降下を開始すると、まるで光の矢が放たれたように次々と獣に接触し、轟音をとどろかせながら爆散していった。


『目標制圧完了。敵の排除を確認したよ』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、ドローンの操作に慣れるため、そのまま兵器の遠隔操作を続けることにした。いずれゴーグルのサポートなしでも、操作できるようにならなければいけなくなるのだろう。

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