第621話 地下都市〈紅蓮〉


 居住区画の上空を縦横無尽に飛行する無数のドローンを眺めていると、薄暗い路地や錆びたプレハブ小屋の中から我々のことを睨んでいる人間がいることに気がつく。浮浪者だろうか、何をするでもなく路上に立ち続ける薬物中毒者の姿も見られた。


 その路上の壁に真っ赤なペンキで雑に描かれていた落書きが気になって翻訳すると、〝救いの道はどこに?〟と書かれていることが分かった。


「レイラさんなら大丈夫だと思いますが――」

 ルォシーは前置きしたあと、薄暗い路地を見ながら言った。


「このあたりでなまりのきつい北京語プートンファが聞こえてきたら、すぐにそこから離れたほうがいいです。組織に所属しない流氓リュウマン……えっと、ならず者やチンピラのことですね。知らないうちに、彼らの縄張りに侵入している可能性があります。失うものがない人間ほど怖いものはありません。事件に巻き込まれないように、身を守るようにしてください」


「事件って、たとえば?」

 質問に彼女は少し考えるような表情を見せた。


「高価な〈サイバネティクス〉を狙った人攫ひとさらいや強盗、それに女性や子どもは強姦や快楽殺人を目的にした誘拐に気をつけなければいけません。見た目で判別できる義眼や義手を装着している人は、その場で目をくりかれたり、手足を切断されたりすることもありますから」


「噂には聞いていたけど、〝それなり〟に治安が悪いみたいだね」

「人口過密の広大な地下都市なので、いろいろな種類の人間がいるのです。血も涙もない極悪非道な人間がいれば、無償で孤児たちの世話をする善良で情に厚い人々もいます」


 彼女の視線を追うと、尻のつけ根まで見えるような深いスリットが入ったチャイナドレスを着た女性と、彼女たちに付き従う強面こわもての男たちの姿が見えた。

「あの人たちは組織の人間なので大丈夫です。私たちに手出しできません」

 ここでは誰も彼も危険そうに見えたが、ルォシーには違いが分かるようだ。


 地上では日が傾き始めているのだろう、高い天井に設置された照明パネルが時間の移ろいに合わせて徐々に茜色に染まり、その柔らかな光が地下都市全体を包み込んでいくのが見えた。光の加減によって建物や路地の陰影が深まり、紅蓮ホンリェンの独特な景観とあいまって、複雑に入り組んだ迷宮に迷い込んだような錯覚がする。


 ルォシーのあとについて歩いていると、貨物用コンテナやトレーラハウスが無秩序に積み上げられている広場が見えてくる。それらの構造物は七階建て相当の高さがあり、コンテナの周囲には紅蓮の建設に使用したと思われる資材で足場が組まれていた。


 そこでは錆びた梯子や階段を使って、住居として改造されたコンテナに出入りしている人々の姿も見られた。今にも崩れそうな危険な足場だったが、子どもたちは慣れているのか、転落防止用の柵がないような場所でも笑いながら駆けまわっていた。


 その広場では、地下都市で生活する人々の日常生活を垣間見ることができた。周囲は活気に満ちていて、多くの人々の集まる場所として賑わっていた。屋台が点在し、様々な料理の香りが漂っていた。


 ニオイと見た目は完璧な合成肉や合成食品の屋台が並び、多種多様な食べ物が行き交う人々に提供されていた。焼きそばだろうか、中華料理を扱う屋台の前には長い列ができていて、色とりどりのネオンやホログラム広告が鮮やかな光を放ち、人々の食欲と胃袋を刺激していた。


 鶏めいた生物の肉が吊るされている露店の周囲では、野良猫の姿も見ることができた。鶏は横浜の拠点でも飼育されていたので驚くようなことはしなかったが、野良猫の多さには驚かされた。


 それらの屋台のすぐ近くにはテーブル並べられていて、人々が食事を楽しんでいた。友人や家族同士の集まりなのだろう、あちこちで笑顔が見られ、賑やかに談笑する声が聞こえてくる。危険な街だと思っていたが、この広場は比較的治安がいい場所になっていた。


 上空にはドローンが飛び交い、ジャズやポップスの音色を響かせている。人々はリズムに合わせて身体からだを揺らし、時折、酔っ払いや仲のいい男女が踊る姿も見られた。この広場はコンテナで暮らす住人たちにとって、生活の中心地であり交流の場でもあるのだろう。人々は食事を楽しみ、音楽に耳を傾けながら日常の不安を忘れようとしていた。


 我々はコンテナの塔が立ち並ぶ広場を抜けて、街の中心にそびえる高層建築物につながる通りに出る。天井を支える建造物はいくつか確認できたが、ソレは猥雑わいざつとした街並みのなかにあっても異様な存在だった。経年劣化が確認できないので、もともと地下空間に用意されていた居住施設なのかもしれない。


 その建物に続く通りは、地下都市の商業地区としての重要な役割をもっているのか、鮮やかなホログラムやネオンライトが通りを彩っていて、活気に満ち溢れたていた。電子機器を取り扱う本格的な店舗があれば、飾り窓で踊る娼婦や男娼の姿が見え、多くの人々が行き交っている。


 砂漠で発掘される旧文明の遺物を取り扱う店や、砂漠で採れる鉱物を使った金属製品が販売されているのも確認できた。それらの店先では機械人形が商品の宣伝をしていた。


 ずっと気になっていたことだったが、紅蓮の人々はジャンクタウンや他の鳥籠の人間よりも旧文明の技術を使うことに慣れているようだった。ホログラムの投影機を使った商品広告が普通に使われ、荷物を配送する小型ドローンが頻繁に飛んでいるのが見られた。他の鳥籠よりも長い歴史があるからなのだろうか。


 店が並ぶ通りは、生活必需品を求める地下都市の住人で賑わっている。飲料水や安全が確認された食料品、それに色とりどりの衣料品が陳列され目を引く。紅蓮ならではの人種や文化的側面を持つ特産品や手工芸品も多く見られた。


「目的の場所はここです」

 ルォシーは得意げにそう言うと、小走りで高層建築物に入っていく。広々とした吹き抜けのエントランスは驚くほど清潔で、ゴミや汚れは確認できなかった。美しく磨かれた大理石調の床材が光り、高い天井では照明パネルがきらめいていた。建物の管理は機械人形によって徹底されているのか、住人たちが快適に過ごせる空間が提供されていた。


 しかしその一方で、建物を警備するために武装した機械人形の部隊が展開している様子も目についた。その姿は威圧的だったが、高度な警備態勢が敷かれていることを示す必要があるのだろう。機械人形や動体センサーなどを使い厳しい監視が行われていた。


 入り口のセキュリティは生体認証によって管理されていて、ルォシーがガラス扉の前に立つと、スキャンが行われて扉がなめらかに開いていく。絨毯が敷かれた廊下を進むと、洗練されたエレベーターが待っている。


 エレベーターは静かに上昇し、数秒後に目的の階に到着する。エレベーターと部屋は繋がっていて、廊下のない独立した空間になっていた。この仕組みは住人のプライバシーとセキュリティを確保するために設計されていて、生体認証によって管理されているので、不審者が侵入する心配はないらしい。


 その部屋はシンプルで快適な構造になっていて、壁には落ち着いた色調の絵画が掛けられ、家具や調度品は機能を重視した無駄のないデザインだった。


 広々としたリビングルームには快適なソファと大型ディスプレイが置かれ、居心地の良い雰囲気がつくられていた。キッチンには見たこともない製品が並び、料理を作るのに必要なすべての道具が揃っているように見えた。


 そして、部屋の大きな窓からは地下都市の街並みを一望することができた。すでに天井の照明は暗くなっていたが、夜の街は幻想的な光に包まれ活気にあふれていた。光り輝くネオンやホログラム広告からは、地下都市の息吹を感じることさえできる気がした。


「それで、この部屋は?」

 何を言っているんですか? という表情でルォシーは首をかしげる。

「私の部屋ですよ。ここで待っていてくださいね。楽な恰好に着替えてきます」


 ルォシーの自宅に招待してもらえるとは思っていなかったが、とりあえず街の喧騒を眺めながら待つことにした。


 それにしても、彼女は何者なのだろうか。これほどの環境で生活できるということは、それなりの立場の人間なのだと考えられたが、そんな人間が愚連隊に所属するのだろうか。

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