第620話 居住区


 派手なネオンで飾られた〈ナイトクラブ〉を離れ、混雑する商業区画の通路を歩く。相変あいかわらず周囲は買い物客で賑わっていて、人々は混みあう通りにウンザリしながらノロノロ歩いていた。


 かれらの頭上では、購買欲を促す商品広告のためのホログラムが絶えず投影されていて、自動小銃の説明から、娼婦や男婦の裸体がカタログ化された情報と共に表示されていた。


「まずは、ソレをどうにかしますね。職員に手渡されていたチップカードを見せてもらってもいいですか?」

 ルォシーはそう言うと、私の頭上に浮かんでいた赤色の球体を見つめる。彼女の幼さを残した大きな眸と、小さくてツンと上を向いた鼻が印象的だった。


 カードを渡すと、彼女は情報端末を取り出して〈接触接続〉で設定を変更する。

「できました。これで制限なく施設内を移動することができるようになりました」


 可愛らしい笑みを浮かべるルォシーからカードを受け取る。実際のところ、彼女は目の覚めるような美人ではなかったが、ショートボブの黒髪に人懐こい笑みは――たとえそれが愛想笑いだったとしても、男女問わず多くの人を魅了するのは間違いなかった。


 正直、愚連隊の戦闘服は彼女に似合っていなかった。けれど〝似合わない〟というのは失礼な表現だったと思う。〝彼女にはもっと相応しい服装がある〟というのが正確な表現だった。ルォシーは天真爛漫で素敵な女性だった。堅苦しい制服よりも、彼女をより美しくする服装があるような気がした。


「ありがとう」

 カードを受け取って感謝を口にしたあと、これからどこに行くのかたずねた。

「居住区画です。そこでなら、ゆっくり話ができると思います」


 買い物客や商人が利用できる区画を離れ、紅蓮ホンリェンの住人しか立ち入れないエリアに向かう。武装した作業用ドロイドが警備するゲートを通って、薄暗い通路に入ると、周囲の雰囲気が一変するのが分かった。


 通路は比較的静かで、驚くほど人が少なかった。その所為せいなのだろう、先ほどの区画とは異なる落ち着いた印象を抱くが、どことなくさびれた雰囲気が漂っていることに気がつく。施設の住人だけが使用する通路だからなのだろう。ここでは見栄を張る必要はなく、紅蓮の本当の姿を見ることができた。


 あちこちにゴミが捨てられていて、壁面パネルががされたあとや、一部の照明や換気装置が破壊されているのが見えた。それは経年劣化や住人による破壊の痕跡だったが、いずれにせよ、一部は修繕や清掃が必要な状態だった。しかし住人はその状況を受け入れているようだった。というより、あまり気にしていないのだろう。


 地下施設の住人はこの状況に慣れていて、破損した薄暗い照明の下で会話を交わしたり、通路に散らばったゴミを避けたりして歩いている。通行規制された通路の暗がりでは、危険な薬物の取引が行われていて、武装した少年少女が血走った目でこちらを睨んでいた。


 紅蓮の地下は広大で、通路は迷路のように入り組んでいる。住人にすら知られていない区画も多く存在するようだ。人口問題を抱えているのに、どうしてそれらの区画を有効利用しないのかとたずねると、ルォシーは眉間に皺を寄せる。


「探索隊が派遣されたこともありましたが、なにも得るモノがなかったみたいです。このあたりの区画は、〝最初の人々〟が利用したということもあって……えっと、最初の人々というのは、大昔に紅蓮に避難してきた人々のことです。つまり、私たちのご先祖さまですね。その人たちが生活の場として利用したのがこの区画だったみたいです。


 ですが住人が増えると、さらに広い空間が必要になりました。そこで古い区画は閉鎖されることになり、貴重な資源を節約するため、メンテナンスも行われなくなりました。ですので、このあたりには何も残っていないのです」


「人々が生活するのには、もうてきしていないってことか?」

 彼女は笑みを浮かべたあと、コクリとうなずいてみせた。

「そういうことです。現在使用されている居住区画には、あのエレベーターに乗って行きます。ついてきてください」


 黄色の塗装ががれた鉄柵を手で開いてエレベーターに乗り込むと、彼女が古いクレジット・コンソールに〈IDカード〉をかざして、使用料金を支払っているのが見えた。取引が完了すると、デジタル・ディスプレイが青く発光して短い通知音が聞こえた。すると鉄柵が閉じて、エレベーターの金属扉がゆっくり閉まっていく。


 青白い照明が点灯して、薄暗かったエレベーターが明るくなり、それまで感じていた陰鬱な雰囲気が薄まる気がした。が、環境が改善したというわけではない。壁の塗装はがれていたし、何かが腐ったような酸っぱい臭いが足元から漂っていた。その壁にれると、かすかな振動が感じられた。ゆっくり下降しているのだろう。


「エレベーターを使うのに、金が必要なのか?」

 気になっていたことをたずねると、ルォシーは口元を隠すようにしてクスクス笑う。

「普通の人は支払う必要がありますが、私たち愚連隊は必要ありません。お金はすぐに返ってくるのです」


 エレベーターが目的地に到着して、扉がゆっくり開くと、視線の先に広大な地下空間が確認できた。その一部を占めるのは巨大で厚みのある隔壁だった。鋼材で補強された隔壁の存在感は圧倒的で、地下で生活する人々の最後の希望のようにも見えた。侵入者にこの隔壁を突破されてしまったとき、それは施設の最期を意味するのだろう。


 その開放された隔壁の向こうには、猥雑わいざつな街並みと、多種多様な住居が立ち並んでいる様子が見えた。増築を繰り返して今にも倒壊しそうになっている建物や、鮮やかな色彩と植物が調和したアーティスティックな外観を持つ小屋、それに部屋として利用するために改造された貨物用コンテナが無雑作に積み上げられているのが見えた。


 さらに遠くには、シンプルだがモダンなデザインを備えた高層建築が天井を支えるようにそびえていて、窓ガラスを通して見える照明の輝きが地下空間に独特な雰囲気を与えていた。


 それら猥雑とした住居の間には狭い通路があり、多くの人々が行き交っているのが見えた。汚水が流れる通りの壁面には、大量の落書きや卑猥な絵が確認できた。鮮やかな色彩で描かれた目を引くアートがあれば、紅蓮の支配者層を批判する落書きも見られた。


 それらは意味のない稚拙な落書きにも見えたが、ある種の不満や反抗の表れのようにも感じられた。紅蓮独自の文化や人間関係の複雑さが、これらの落書きに反映されているのかもしれない。


 以前にも居住区画は見たことはあったが、歩くのは初めてのことだった。だからなのだろう、廃墟の街とも違う独特の空間に興味が尽きなかった。


 ルォシーと歩いていると、棺のようなモノを囲んで歩く奇妙な行列が見えた。彼らがどういう集まりなのかたずねると、どうやら本当に葬儀の行列だったようだ。


「あれは食料プラントにある〈転換炉〉に、故人の遺体を運んでいる最中ですね」

 彼女の言葉に思わず首をかしげる。

「その〈転換炉〉っていうのは?」


「すごく簡単に説明すると、有機物を無駄なく循環利用するための装置ですね。砂漠地帯にある紅蓮では、資源が大変貴重なんです。だから日々の生活で出る生ゴミや動物の死骸、それに人間の死体も土壌改良などに有効活用されるんです」


「作物生産の肥料にされるってことか」

 人間用に改良された〈リサイクルボックス〉のようなモノなのだろうか?


 私の問いに彼女はうなずく。

「それを受け入れられない遺族もいます。大切な家族ですから……。ですが無料で行われる葬儀なので、それなりに利用者はいます。というか、ほとんどの人が利用しています」


 砂漠に遺体を埋葬すれば危険な生物を呼び寄せる可能性もあるし、火葬するにはそれなりの燃料が必要になる。汚染された砂漠で生きてきた人々が、この結論にたどり着いたのは必然だったのかもしれない。

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