第618話 紅蓮


 紅蓮ホンリェンの地下施設に続く大通りは商人や買い物客で混雑していて、行き交う人々は強い日差しと砂塵から身を守るため、ガスマスクを装着したり、顔に布を巻きつけたりして鼻と口元をおおっていた。それらの布は様々な色や模様を持ち、人々が個性を表現しているようにも見えた。


 風になびく布から覗く眸が、砂漠の厳しい生活に疲れたような表情を見せているのが印象的だった。その商人たちの車列を追いかけるように、整備された道を進んでいく。


 全天周囲モニターを通して見える住居は、赤茶色に腐食したトタンやボロ布でおおわれていて、そのトタンの表面には風や砂の侵食によって様々な模様が浮かび上がっているのが確認できた。ここでも廃墟の街と何も変わらない。人々はどんなに過酷な環境でも生きていくたくましさを身につけていた。


 空を仰ぐように視線を上げたあと、偵察ドローンの位置を確認する。周辺一帯には紅蓮の警備隊が使用するドローンも複数飛行しているので、かれらを刺激しないように配慮する必要があった。カグヤの指示によって偵察ドローンが飛行高度を上げるのを確認したあと、市場に視線を戻す。


 行商人の露店や、鮮やかな色彩を持つ布で装飾された天幕が連なっているのが見えた。香辛料の香りや調理された料理の匂いが漂っているのだろう、食欲を刺激する光景があちこちで見られた。


 また装飾品や織物、工芸品などが整然と並べられている露店も確認できた。それは廃墟の街では見られない珍しい光景だった。磨かれた宝石が陽光に照らされ、より美しく輝いている。商人たちは熱心に商品を宣伝し、客の気を引こうとして熱心に声をかけ、価格交渉のやり取りが行われていた。


 それらの喧騒のなかでは、多脚車両ヴィードルの駆動音や警告音を鳴らす様子も見られた。機械人形の動作音や機械の雑音も混ざり合っているが、機械人形は静かに移動し、かれらの存在感は周囲の喧騒とは対照的だった。旧式の機械人形は人々に罵倒されようと、丁寧に道を譲り、市場の安全を守るために監視を続けていた。


 一方、商人たちを護衛する傭兵集団は我が物顔で通りを歩き、その手にある武器で人々を威圧していた。彼らの目は疑心に満ちていて、買い物客の多くは傭兵に近づくことを避けていた。


 そして、客引きをする娼婦たちの姿も多く見ることができた。健康的な褐色の肌を持つ女性たちは上品だが官能的な衣装に身を包み、魅惑的な仕草や微笑びしょうで通行人を誘惑していた。その美しさとあでやかさは、砂漠の厳しさとは対照的であり、紅蓮が人々に欲望と安息を提供してくれることを象徴しているようだった。


 鳥籠の中心に近づくほど、大通りは人々で溢れかえり、砂漠の猛暑を忘れさせるような活気で満ちていた。ここでは様々な言語が飛び交い、人々の笑い声や交渉の声が一体となって響き渡っていた。紅蓮は台湾や大陸からやってきた人々が築いた歴史ある鳥籠だったが、アジア系以外の多くの人種が混在している。


 独自の文化や風習を持ち寄り、他の鳥籠では見られない色彩を市場に与えていた。彼らはそれぞれ異なる言葉を話し、多様な衣装や装飾品を身にまとっていた。砂漠という過酷な環境で人々が生き抜くため、人種の枠を超えた共同体としてさかえてきたのだろう。市場は多様性と共生の象徴になっていて、異文化の交差点として機能しているようでもあった。


 その証拠に、店舗の看板には様々な言語が並び、それぞれの店が異国情緒あふれる商品を提供しているのが確認できた。アジア系の店主が電子機器を販売する露店があれば、中東系の店主が武器を販売する店、金髪に青い眸の女性が衣類を販売するなど、多様な商品、そして料理が販売されている様子が見られた。


 人々の肌や言語以外からも、この鳥籠に多様な人種が集まっていることを感じ取ることができた。けれど鳥籠を支配しているのは台湾系の人々なので、外部の人間には想像もできない苦労があるのかもしれない。


 たとえば宗教問題や独自の文化にもとづく仕来しきたりなど、文化的多様性が持つメリットだけでなく、負の側面についても考えなければいけないのだろう。


 そんなことを考えながら市場を観察していると、子どもたちが多脚車両ヴィードルの近くに来ているのに気がついた。見慣れない多脚車両だったからなのか、子どもたちは装甲に顔を近づけるようにして楕円形のコクピットを覗き見ようとしていた。


 外側からは複座型コクピットの内部を見ることはできなかったが、こちらがわからは子どもたちの間の抜けた表情が見えていて、思わず笑ってしまう。


 その子どもたちが車両の脚に巻き込まれて怪我をしないように短い警告音を鳴らす。すると子どもたちは無邪気に笑いながら逃げていく。が、警備隊の注意を引いてしまったのか、武器を手にした数人の男がこちらに近づいてくるのが見えた。とくに隠れる理由はなかったが、面倒事を嫌い商人たちの列に入り、さっさと目的地に向かう。


 地下施設につながる広場では厳重な警備態勢が敷かれていて、武装した機械人形や戦闘車両が広場の周囲に配置され、威圧的な存在感を放っていた。機械人形と多脚車両が鋼鉄の脚で練り歩き、施設の安全を守るために休みなく働いている。


 広場の進入を制限するために、コンクリートブロックが障壁として並べられていた。それぞれのブロックは隙間なく積み上げられ、人間や車両の通行を規制している。検問所も設営されていて、警備隊の人間が商人や車両の確認を行っている様子が見えた。乱雑として、どこか無秩序な市場と異なり、広場は言い知れない緊張感に包まれている。


 その広場の中心に真っ黒な円柱が立っているのが目に入った。高さ三十メートルにも及ぶ柱は青い空に伸びるようにそびえ立ち、まるで異次元からあらわれたかのような不思議な魅力を放っていた。柱の先端からは、シールドとして機能する薄青色の薄膜が半球状に広がっていて、広場を包み込んでいた。


 旧文明の技術によって生成される薄膜は透明感がありながらも、何か未知の力を秘めているかのような印象を与えた。人々はそれを見つめ、その謎めいた存在に敬意を払いながら検問所に向かう。


 検問所では厳重な身元確認が行われる。警備員は入場を希望する商人から〈IDカード〉を受け取り、身元と武器を所持しているか慎重に確認していく。さらに犯罪歴の有無も精査される。


 驚くことに、ここでは警備員が賄賂を受け取ることもなければ、資産があるからと言って優遇されるようなこともない。この厳格な手続きは、地下施設の安全を守るために欠かせないものであり、誰もが公平に調べを受けることになっていた。


 多脚車両ヴィードルを止め、彼らの指示に従って検問所に近づく。はじめは威圧的な態度を見せていた警備員だったが、私の素性が明らかになると、彼らの表情に変化が見られた。態度は軟化し、言葉遣いや立ち居振る舞いから敬意が感じられるようになった。


 ウェイグァンの愚連隊が広めた噂や、砂漠で行商人たちを警備する機械人形などの評判や功績が広まっているのだろう。警備員や周囲の商人たちが態度を変えていく様子は、これまでの努力が――徐々にだが、実を結んでいることを感じさせた。


 問題がないと判断されると、入場許可を与えられることになる。地下施設の入場が許された商人たちは喜び、笑顔を見せながら検問所を出ていく。新たな商機がつかめるかもしれないことに興奮しているのだろう。彼らにとって紅蓮で商売することは、人生をより良くするための大切な一歩なのかもしれない。


 多脚車両ヴィードルに乗り込んで入場ゲートを越えると、四方を鋼材で補強されたコンクリートの床が見えてくる。そこは床全体がエレベーターになっていて、多くの人々が一度に乗れるスペースが確保されていた。


 その床面は奇妙なほど綺麗な状態が保たれていて、鋼材やコンクリートは堅牢で頑丈な印象を受けるが、地面は磨かれたような輝きを放っていた。砂や塵が通り抜けられないシールド技術が使われているのだろう。それによって、地下施設の清潔さを保っているのかもしれない。


『それで』と、カグヤが言う。

『誰に話を聞くつもりなの?』


「以前、ウェイグァンの事務所に案内してくれた女性だ」

『えっと、たしかルォシーって名前の可愛らしい子だったね』


「ああ、インシの民について知っていたみたいだし、〈深淵の娘〉の棲み処についても、何かしら情報を持っているかもしれない」


『ジョンシンには会って行かないの?』

「彼も忙しい身だ。あまり迷惑をかけたくない」

『了解、それじゃ彼女の居場所を探してみるよ』

 カグヤの言葉にうなずくと、エレベーターが静かに動き出すのが見えた。

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