第617話 疑念


 未探索の領域で〈深淵の娘〉の死骸を発見した翌日、ジュジュたちと一緒に〈エリア十八〉までやって来ていたハクは、無菌テント内の安全な場所まで運ばれていた〈深淵の娘〉の死骸を興味深そうに眺めていた。


 はじめてソレを目にしたときには興奮している様子だったが、今では姉妹の死骸があることを不思議に感じているようだった。


「やっぱり、彼女がこの場所で死んでいた原因は分からないの?」

 ペパーミントの質問に、ハクは腹部をカサカサと揺らす。

『ハク、ちょっとしらない』

「でも、ハクのお姉さんなのは間違いないんでしょ?」


『ん、まちがいない』

 白蜘蛛は何かを考えるように、その大きな眼で死骸を見つめたあと、ベシベシと地面を叩く。そのさい、近くにいたジュジュに砂が飛び散る。ジュジュは不満を口にするように口吻こうふんを鳴らすが、ハクは聞こえないフリをしていた。


 ペパーミントはサナエの背中に張り付いていたジュジュを抱き上げて、そっと地面に降ろしたあと、考えていたことを口にする。


「レイが見た白日夢のなかで、増援を要請しようとしていたって話を聞いたけど、それって〈不死の子供〉の部隊に所属していた〈深淵の娘〉のことだったんじゃないのかな?」


 カフェインがたっぷり含まれたインスタントコーヒーを飲みながら考える。

「たしかにあのとき、ウミは〝多足の毛玉〟って呼んでいたけど……。ペパーミントは、あの〈深淵の娘〉がそのときの増援だって考えているのか?」


 彼女は、当然でしょ? という表情で私を見つめたあと、無菌テントのなかで横たわる死骸を見つめる。


「でも、気になることがあるの」

 ピリピリ痺れる舌に違和感を覚えながらたずねた。

「もしかして、死骸の状況?」


「ええ。〈深淵の娘〉について詳しい情報がないから何とも言えないけれど、あの死骸は今にも動き出しそうなほど保存状態がいいの。生物である以上、カビや菌類、微生物の働きによって死体は腐っていく。だけど、この死骸は――」


『たしかに異常だね……』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

『どこからか侵入してきた可能性はない?』


 ペパーミントは無意識に下唇を舐めたあと、懐中時計を手にした白ウサギのように神経質そうにうなってみせた。

「廃墟の街に〈深淵の娘〉のがあることは知っているけど、砂漠地帯にもあるのかしら?」


『あるんじゃないのかな?』と、カグヤはいい加減に言う。

『インシの民は、〈深淵の娘〉の存在について知っていたし、ハクのことも普通に受け入れていたでしょ?』


「砂漠のどこかに、彼女たちの棲み処があるのかもしれない……」

 私は黒い死骸を見つめながら、あれこれと考える。カグヤが言うように、これが事故だとしたら、姉妹たちが彼女の行方をさがしている可能性がある。


紅蓮ホンリェンに行けば、〈深淵の娘〉の棲み処について、なにか手掛かりが得られるかもしれない」

 私の言葉に、ペパーミントは眉をひそめる。


「ハクの姉妹だから、レイが何かしてあげたいって考える気持ちは理解できる。でも、〈深淵の娘〉はとても危険な生き物で、〈不死の子供〉だからって安全というわけでもない」


「わかってる。それにハクがいれば意思疎通が可能なことも知っている。だから彼女たちの棲み処を探してみようと思う。この遺跡で――超構造体メガストラクチャーで何をしていたのか分かるかもしれない」


「そうね」ペパーミントは溜息をつく。

「たしかに〈深淵の娘〉が、この場所で死んでいた理由が気になる……。紅蓮ホンリェンには、ハクたちと一緒に行くの?」


「いや、ひとりで行くよ。ハクにはペパーミントたちの護衛を任せる」

「本当にひとりで大丈夫なの?」

「ああ、少なくとも鳥籠なら、化け物に襲われる心配はない」


「化け物には襲われないかもしれない。けど、あの鳥籠は人口密度が高くて、それだけ野蛮なヒトも多くいる。気をつけないとすぐに面倒事に巻き込まれてしまう、そうでしょ?」


「ひとりで行動しないように注意するよ」

 空になった紙コップを潰してゴミ箱に入れたあと、無菌テントに侵入するため足元の砂を掘り返していたジュジュを捕まえる。小さな昆虫種族はフサフサの体毛から砂を飛び散らせながら暴れるが、すぐに大人しくなって動かなくなる。


 そのジュジュをハクの背に乗せたあと、これから紅蓮に行くことや、ペパーミントたちの護衛をハクに頼みたいことを話した。


 ハクは珍しく不満を口にすることなく納得してくれたが、その理由は分かっていた。というより、ハクの魂胆を見抜いていた。見回りをすると言って、アサルトロイドたちが巡回警備するエリアを探索するつもりなのだろう。


 どうしても探索がしたくなったら、すでにジャンナたちが調査した区画だけにしてくれと頼んだ。もとよりハクの任務は護衛であり、遊ぶことではなかったのだ。しかし遊ぶなと注意しても、ハクの好奇心を抑えることはできないだろう。であるなら、安全な区画で遊んでもらうことにした。


「その約束を守ってくれるなら、護衛の合間に探索することを許可する」

 ハクはカサカサと腹部を振ったあと、ベシベシと砂を叩く。

『りょうかい。ハク、やくそくまもってあそぶ』

 そもそも遊ぶことが前提になっていたが、とりあえずヨシとした。


 ジャンナから発掘調査が済んでいた区画の地図と情報を入手したあと、ハクの端末に送信する。これでハクが装着するタクティカルゴーグルに、安全な区画が表示されるはずだ。


 朝食に携行していた〈プロテイン・ディスペンサー〉を使って栄養補給したあと、ひとり地上に向かう。ちなみにディスペンサーが生成する合成食品は、国民栄養食と変わらない食感と味がするブロック状の固形食だった。実際のところ、期待していたモノではなかったのでガッカリした。これなら国民栄養食を食べているのと変わらない。


 多脚車両ヴィードルに乗り込んだあと、システムを起動して目的地を設定する。砂漠仕様の車両ではないが、頑丈な車体とタイヤを持ち、どんな地形にも対応できるように設計されているので、移動に関して心配する必要はないだろう。


「行こう、カグヤ」

『了解』


 全天周囲モニターを通して荒涼とした砂漠を見つめる。その広大な砂漠では、なだらかな曲線を持つ砂丘がどこまでも広がるさまが見えた。砂の粒が細かく、陽光が反射してキラキラと輝いている。強い日差しはまぶしく、生物の気配は感じられない。


 風が吹くと砂が舞い上がり、砂丘の表面に描かれた砂紋さもんが絶えず変化していく幻想的な風景が見られた。時折、タイヤが砂に埋まりそうになるが、無数の脚を使って抜け出すと、車両を前に進める。


 どんなに綺麗な風景でも、数十分も見つめていると飽きてくる。周辺一帯の監視を上空のドローンに任せると、旧文明期以前の映画をモニターの隅に表示させて、それを見ながら暇をつぶすことにする。輸送機での移動に慣れてしまった所為せいなのだろう、砂漠の広大さを軽視していたのかもしれない。


 やがて巨大な岩山の裂け目が視界に入る。渓谷けいこくの両側にそびえる切り立った崖は、まるで巨人の手によって削り取られたかのような迫力があった。堅牢な岩壁は不規則な形状をしていて、高さは五十メートルを優に超え、圧倒的な威容を放っている。


 その岩壁には赤茶色の乾燥した土が見られ、時間の経過とともに風食ふうしょくが起きた様子が確認できた。不思議なことに、そこには濡れた土のような黒い帯状の地層も見られた。まるで川が流れていたかのように見えるが、この砂漠の地に水の痕跡があるのは不思議なことだった。


 道幅は徐々に広がっていき、腐食した鉄板でおおわれた貧相な小屋を目にするようになる。それらの小屋は岩壁に沿って建てられていて、岩肌に足場が組まれている場所では、地上から数十メートルの位置に無数の小屋が築かれているのが確認できた。その頃になると、紅蓮ホンリェンに向かう行商人たちの車列が見られるようになった。

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