第612話 依頼〈娼婦〉


 足下に転がる死体とゴミを踏み越えながらコンテナ内を移動する。薄汚れたハンモックや黄ばんだマットレスのそばには、黒ずんだ注射器やゴムチューブが無雑作に放置され、食べかけの戦闘糧食には黒光りするゴキブリがむらがっている。人間に慣れているからなのか、ラプトルが近づいても逃げる素振りはみせなかった。


 なるほど、たしかにこのコンテナは人擬きが徘徊する路上で生活するよりも、ずっと安全な場所だったのかもしれない。けれど、それだけだった。かれらは廃墟がひしめく路上と大差ない環境で生活していて、それを気にも留めていなかった。


 死体のそばに落ちていた情報端末を拾い上げたあと、何か情報が手に入れられないかカグヤに確認してもらうことにした。その結果、まだ数人のチンピラが生き残っていることが分かった。かれらは鳥籠近くの廃墟に潜み、物売りをする子どもたちを見張る仕事をしているらしい。


 トゥエルブと情報を共有すると、さっそく数体のラプトルを派遣してチンピラを処理することになった。教会の襲撃をくわだてていた略奪者たちから奪取していたドローンは、すでに教会の監視任務を与えられていたが、派遣されるラプトルと共同で作戦を遂行してもらうことになった。


 コンテナの外に出ると、腐食や金属疲労によって崩壊していた足場の代りに、木材で組まれた足場が見えた。しかしそれはラプトルの重量に耐えられそうになかったので、飛び越えてとなりのコンテナに移動する。


 そこには数名の女性がいて、隠れるように身を寄せ合っていた。彼女たちに敵意がないことを確認したあと、ラプトルに搭載されていた発声器を使って話しかける。


 急に話しかけられて驚いているようだったが、安心させるために〈守護者〉の使者だと名乗ると、我々のことを必要以上に警戒しなくなった。廃墟の街で遭遇した〝白い人工皮膚〟をまとった〈人造人間〉のことを思い出して、なんとなく口にした嘘だったが、それなりに効果があったみたいだ。


 彼女たちの身形みなりから娼婦だと勝手に決めつけていたが、それは間違いではなかったようだ。どうやら鳥籠にやってきたチンピラに時間を買われ、彼らの相手をするために連れてこられていたようだ。つまり、我々は意図せず彼女たちの仕事を邪魔してしまったようだ。


 報酬を受け取ったのか確認すると、彼女たちを保護している組織ヤクザにはすでに大金が支払われているようだったが、現場で彼女たちが手にするはずの報酬はまだ受け取っていないらしい。そして不運なことに、その報酬を渡す人間は我々の襲撃で死んでしまっていた。


 相場がいくらなのかたずねたあと、〈接触接続〉を使い彼女たちの〈IDカード〉に報酬を振り込むことにした。名も知らない娼婦にそこまでする必要はなかったが、それを言うなら、そもそもチンピラの拠点を襲撃する必要もなかった。自分の意思で始めたことには責任を持つべきなのだ。


 何も身につけていなかった女性たちが着替えるのを待ってから、一緒に子どもたちのコンテナに向かうことにした。人間がいれば、子どもたちを驚かせることもないだろうと考えたからだ。


 トゥエルブたちが周辺一帯の偵察に出かけるのを見届けたあと、恥じらう様子もなく黙々と着替えていた女性たちを観察する。いい暮らしができているのだろう、彼女たちは痩せていたが健康的な身体からだつきをしていた。いつか出会った高級娼婦のように、それなりの待遇で仕事ができているのかもしれない。もちろん、このめは例外だったのだろう。


 水筒を持参していた女性は、コーヒーに似た飲料を――少なくともカフェインが大量に含まれていた薄茶色の飲料を口にしながら、今回の仕事について愚痴をこぼしていた。


 どうして機械人形にそこまで友好的になれるのかたずねると、彼女は眉をしかめる。

「だって、あなたたちは人間を守ってくれる守護者の使いなんでしょ?」


 守護者が人間を守るという行為は、どうやらこのあたりでは‶当然のこと〟として知られているようだ。やはりあの奇妙な人造人間が関係しているのかもしれない。ついでに白い人工皮膚をまとう女性についてたずねたが、それについては話してくれなかった。なにかを知っているような表情を見せたが、彼女から得られる情報は何もなかった。


「カグヤ、トゥエルブにラプトルを一体だけ残して、あとは教会の警備に戻るように頼んでくれないか」

『べつにいいけど、子どもたちはどうするの?』

「俺に考えがある」

『考えね……』


 彼女たちの準備ができると、コンテナ内にある物資を適当にあさりながら子どもたちが生活していたコンテナに向かう。


 その途中、覚醒剤の――〈メタ・シュガー〉以外の粗悪なドラッグの過剰摂取オーバードーズで死んだと思われるチンピラの姿を目にするが、同行していた女性たちは少しも気にしていなかった。このあたりの鳥籠でも、足元に死体が転がっているのは日常的なことで、とくに珍しいことではないのだろう。


 子どもたちも例に漏れず、劣悪な環境で生活することを強いられていた。古いコンテナは雨漏りしていて、床はゴミで溢れ、薄汚れた毛布の上では昆虫を捕まえようとするネズミが走り回っている。


 銃声を耳にして混乱していた子どもたちを落ち着かせたあと、なんとか事情を説明する。子どもたちは、これまで自分たちのことを保護してくれていた組織が壊滅したことを知り、ひどく困惑して取り乱す。かれらは搾取さくしゅされて生きていたが、親代わりの人間が――たとえ最悪な人間だとしても、死んでしまったことにショックを受けているようだった。


 けれど子どもたちの気持ちに寄り添うことはできなかった。実際のところ、〈IDカード〉を渡していた兄妹もそこにいたが、折檻を受けていたのか、顔にひどい痣ができていた。どうやらカードを隠し持っていることを知られて、数人のチンピラに殴られていたようだ。


 連中は当然の報いを受けただけで、子どもたちが抱いている気持ちも、ある種の刷り込みでしかない。安定した生活を手に入れて、気持ちが落ち着けば、この最悪な日々も徐々に忘れるだろう。


 それから子どもたちのために身分を用意することにした。道すがらチンピラから回収していた〈IDカード〉の情報を削除すると、子どもたちに名前をきながら情報を登録していく。このカードで身分を証明すれば、鳥籠内で生活することもできる。危険な路上で物売りをして生活していたたくましい子どもたちだ、鳥籠内で仕事を見つけるのも難しくないだろう。


 生活基盤を整えるための資金も用意することにした。となりでその様子を眺めていた娼婦は首をかしげる。


「そこまでしてくれる守護者に会ったのは、これがはじめてだよ」

 彼女の言葉に返事をせず黙って作業を続けていたが、思い直して考えを言葉にする。

「子どもたちは守護者の保護下にある。鳥籠の連中にもよろしく伝えてくれ」


「……つまり、子どもたちに余計な手出しをするなってこと?」

 彼女はニヤリと微笑む。

「話し方だけじゃなくて、脅し方も人間そっくりなんだね」


 私が肩をすくめると、彼女は堪えきれなくなって吹き出した。なにが面白いのか分からなかったが、彼女はケラケラと笑っていた。


 仕事に出ていた子どもたちの〈IDカード〉も用意すると、それを彼女に持たせ、鳥籠まで連れて行ってくれないかと依頼した。もちろん、ラプトルに護衛をさせるから危険なことはないと伝えた。これまで友好的に接していたからなのか、彼女たちは子どもの引率を快諾してくれた。


 依頼料として、いくらか報酬を用意すると、彼女たちはさらに喜んでくれた。大盤振舞おおばんぶるまいだったが、チンピラの〈IDカード〉から回収した資金があったので、損失はなかった。


 鳥籠までの護衛は、私が遠隔操作していた機体と、トゥエルブが残してくれたラプトルに頼むことになった。二体だけだったが、先に鳥籠に向かっていたラプトルがいるので、何かあればすぐに対処してくれるだろう。


 別れを告げると、彼女たちは残念そうにしていたが、私もそろそろ仕事に戻らなければいけなかった。いずれ教会の地下施設について、鳥籠を管理する〈フジキ〉と話し合わなければいけなかったので、そのときにまた子どもたちの様子が見られるだろう。


 それにしても、今回の作戦ではトゥエルブの新たな一面を垣間見ることができた。このまま優秀な指揮官として活躍してくれるのなら、かれ専用の機体を調達するのも悪くないのかもしれない。

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