第602話 宇宙船
薄闇のなか目が覚めると、網膜に投射されるインターフェースで時間を確認する。
マーシーが用意してくれた部屋は無駄なモノがなく、リラックスできる落ち着いた雰囲気の場所だった。壁面や天井には、やわらかな光を発する照明パネルが設置されていて、色調や明るさを自在に調整できるようになっていた。
白い壁面の一部にはホログラムにも対応したディスプレイパネルが組み込まれており、〈データベース〉のライブラリから動画や音楽の再生、それから各施設の情報を表示できるようになっていた。ベッドは未知の素材で――すくなくとも私の知らない素材で作られていて、使用者の
そのベッドは快適な眠りをサポートするため、独自の機能が搭載されているらしく、体温や心拍数などを自動的に計測し、睡眠の質を分析し改善してくれるようだ。もっとも、それほど睡眠時間を必要としない〈不死の子供〉の肉体には効果がなかったようだ。
また、シャワールームにはディスプレイパネルが組み込まれた透明なガラスが使われていて、内部の様子が分かるようになっていたが、プライバシーを確保するために適切な場面で自動的に曇りガラスに切り替わるようになっていた。
なぜ、そのようなデザインが採用されたのかは分からないが、でもとにかく部屋のインテリアは洗練されたモダンさと先進的な要素が組み合わさっていた。調度品はシンプルかつ機能的でありながら、無駄のないデザインが特徴だった。気持ちを落ち着かせたければ、どこかの惑星の自然風景を映し出すホログラムさえ投影できたのだ。
部屋を出る前に、栄養補給に必要なタンパク質を合成する装置〈プロテイン・ディスペンサー〉を手に取る。小さなカートリッジに原料が入っていて、スイッチを押すと装置内部で分解、再構築して様々な味の合成食品を生成してくれるモノらしい。
カートリッジの差し替えだけで、必要な栄養素を手軽に補給することができるので、それなりに人気の商品だったようだ。それに〈国民栄養食〉を販売する企業の商品だったので、品質は保証されているのだろう。
準備ができると部屋を出て、
彼女は人造人間として扱われることを嫌っていたし、彼女の人間性については誰よりも知っていると自負していたので、今さら生まれがどうのこうのと議論するつもりはなかった。
ちらりと周囲に視線を向けると、通路の壁や天井が無機質な白い鋼材で
日本語で〈主幹エレベーター〉と表示されたホログラムが天井付近に見えてくると、閉じていた気密ハッチが自動的に開いて、床の中央に敷かれた誘導ラインが点滅するようになった。その光を追うように歩いてエレベーターホールに向かう。
通路の左右には士官用個室につながる気密ハッチが並んでいるが、人間の姿はなく、ひっそりと静まり返っている。
その通路には無重力状態を想定した可変式の手すりが設置されている。これらの手すりは船内の重力状態に応じて自動的に収納、展開され、利用者の身長や体型に合わせて適切な高さに移動するようにできていた。
等間隔に照明パネルがついた手すりは頑丈で安定感があり、利用者のことを考えて、驚くほど親切に作られていることが分かる。日本人が設計したのかもしれない。
通路に配置されている照明も人工的な光ではあったが、やわらかく心地よい雰囲気を与えている。宇宙船という閉鎖空間で人々の心を落ち着かせるための配慮なのだろう。壁面に埋め込まれた小さなモニターには、宇宙船内の情報を的確に伝えるため地図や警告が表示されていた。時折、色鮮やかな自然風景を表示して無機質な通路を彩っている。
各モニターには、環境の状態もリアルタイムに表示されていた。気温、体感湿度、酸素濃度などのパラメーターがグラフや数字で分かり易く提示されていて、安定した環境を維持するためのシステムが機能していることを知らせていた。異常な
散歩がてら格納庫に向かって歩いていたが、落ち着いて船内を見ると、今まで見えてこなかったモノが見えてくる。〈母なる貝〉は数世紀もの間、脅威に満ちた〈大樹の森〉にあり続けたが、損傷や経年劣化は確認できなかった。それは、マーシーがどれだけこの宇宙船を大切にし、愛情をもって適切に管理してきたのかよく分かる出来事でもあった。
しばらくして格納庫までやってくると、私と同じように眠りを必要としないカグヤが、無数のドローンを操作してコンテナを調べている様子が見えた。彼女の仕事を手伝うため、適当なコンテナのなかに入って積荷を確認することにした。
空っぽのミリタリーケースを手に取ると、〝武器を手に入れる権利は、自由を手に入れる権利〟といったやや過激なキャッチコピーが投影される。そのケースを放り捨てると、奥のほうに積まれていたボックスに手を伸ばす。そこには〈販売所〉でも手に入る簡素な衣類が詰め込まれていた。
現在の人々の生活は旧文明の施設から提供される物資によって成り立っている。しかしそこで得られるモノの多くは、人々が過酷な世界で生きるための最低限の物資だけであり、根本的に生活を改善させるモノは提供されなかった。
人々が数世紀もの間、文明崩壊後と変わらない生活を続けるのも、それが原因だったのかもしれない。旧文明期の技術者がその気になれば、人擬きや変異体を殲滅させる兵器を遺せたのかもしれないし、人々が飢えに苦しみ、争うことなく平等に食料を得られるシステムも構築できたはずだ。
けれど、現実の世界はそうはならなかった。まるで誰かの意思が介在しているように、人々は争い続け助け合うことなく、残忍さに磨きをかけ互いに殺し合っていた。
しかし現在では、旧文明の〈販売所〉でも手に入らないような兵器や貴重な技術製品が出回るようになっていた。誰かが遺物を――軍や統治局の管理外にあるモノを発掘できる場所を見つけたのかもしれない。
それは変化の
そして未知の遺物……。もしもそれが横浜にあるのなら、その最大の供給地になりえるのは〈砂漠地帯〉にある発掘現場だろう。荒涼とした砂の大地には、今も手付かずの遺物が眠っている。やはりあの場所は我々の手で管理しなければいけない。
物思いにふけり時間すら忘れて黙々と作業していると、ジュジュたちの鳴き声で格納庫内が騒がしくなる。ハクが遊びに来たのだろう。
作業の手を止めてコンテナから出ると、空のボックスに入って遊んでいるジュジュたちの姿が見えた。マシロの真似をして、半透明の
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