第599話 情景


 ハクたちが輸送機に乗り込んだことを確認すると、我々は〈大樹の森〉に向けて出発した。榴弾砲りゅうだんほうを搭載した多脚車両ヴィードルを整備するため、〈五十二区の鳥籠〉まで車両を輸送することも考えたが、日暮れまでわずかな時間しかなかったので教会内の安全な場所に保管されることになった。


 廃墟の街を徒歩で移動するわけではないので、日が暮れても大丈夫だろうと思うかもしれないが、大樹の森に生息する肉食昆虫の多くは、夜間でも活発に行動することが確認されていたので、わざわざ危険をおかす必要はないだろう。


 教会の警備をトゥエルブだけに任せるのは不安だったが、ラプトルの部隊が補佐してくれていたし、すでに可動式バリケードと各種センサーを周辺一帯に設置していたので、〈不死の導き手〉の戦闘部隊が襲撃してくるようなことがない限り、それほど心配する必要はないのかもしれない。


 広場に集められていた死体を焼却して、略奪者たちの死骸から回収していた装備を保管すると、垂直離着陸機でもある輸送機は教会をあとにした。


 輸送機のコクピットから廃墟と化した街並みを眺める。無人の超高層建築物が林立し、ときの流れのなかで荒廃していく様子が随所ずいしょに見られた。建物の頂上部分は雨雲におおい隠されていたが、それでも高層建築物の数々は異様な存在感を放っていた。


 旧市街は上空から見ると、多くの建物が崩壊し瓦礫がれきが散乱しているのが分かる。自然が猛威を振るい、陥没した道路には植物が生い茂り、人々の生活の痕跡を覆い隠している。地面をう若紫色の植物は、窓ガラスのない朽ち果てた廃墟に侵入し、豊かな生態系をつくりだす手助けをしていた。


 荒れ果てた廃墟の通りは不気味な薄闇のなかに沈み込んでいるが、時折、色彩豊かなホログラムが投影されて、路地に潜む変異体の姿をあらわにしていた。


 広大な都市を見回すと、倒壊した建物の残骸が積み重なり、赤茶色に腐食した鉄骨が転がっているのが見えた。道路には大きな亀裂が走り、雑草は勢いを増している。旧市街の建物の多くは生命力に満ちた植物が覆い尽くしている。それが横浜の現状だ。まさに〈廃墟の街〉の名に相応しい都市だ。


 そびえる高層建築物の間を順調に飛行していることを確認したあと、上層区画に続く空中回廊で変異体と戦闘になっていた集団の様子がモニターに拡大表示される。


 バリケードとして積み上げられた土嚢の周囲には略奪者と思われる人間の死体が転がり、横転して黒煙を噴き出す多脚車両ヴィードルの下敷きにされていた人擬きが抜け出そうとしている姿が見えた。


 変異体の巣に誤って侵入して襲撃されたのだろう。生き延びた人間は異形の化け物と激しい戦いを繰り広げていたが、人擬きは何処どこからともなくあらわれ、際限なく増えているようだった。


 雨の街に銃声が物悲しく響き渡る。かれらは誰に知られることもなく、生存のための闘いを続けていた。


 モニターに拡大表示されていた映像を消すと、雨雲の隙間から上層区画が見えた。その光景に、驚きとともに思わず感嘆の声を漏らす。今も機械人形によって管理されているのだろう、緑豊かな庭園が見え、そこには色鮮やかな花々が咲き誇っている。


 その庭園の中心には小さな池があり、その水面に名も知らない鳥が優雅に泳いでいる姿が見えた。庭園には巨大な彫像が立ち並び、ベンチや無人の売店があり、広告ドローンによってさまざまな広告が投影されていた。かつての上層区画での人々の暮らしの痕跡が垣間見える場所でもあった。


 しかし庭園のある区画に輸送機を近づけようとすると、突然、騒がしい警告音が鳴り響く。コンソールや計器類が異常を知らせながら赤く点滅する。


「レイ、あそこを見て」

 ペパーミントが指差ゆびさした場所が拡大表示されると、雨雲の間に都市を防衛するための無数の砲台が姿をあらわす。大小様々な砲が、機械的な動作で輸送機に砲身を向けるのが見えた。その反応速度と精度は、これ以上の接近を絶対に許さないという拒絶の態度にも感じられた。


 予期せぬ訪問者の姿に驚いているのか、上層区画の警備システムが立ち上がり、無数の監視ドローンが雲間からあらわれるのが見えた。それは驚くような速度で飛行し、またたく間に輸送機に接近してくる。


 艶のない赤紫系の濃い鳥羽色からすばいろの機体で、旧式の機体と異なり、小さなプロペラや固定翼は確認できない。水晶にも似た六角柱の形状で、その姿は機械的で美しくもあり、冷徹な存在感を放っている。それらのドローンは高度なセンサーやカメラを搭載しているのか、輸送機の動きを徹底的に監視し、どこかに情報を送信しているようだった。


 しばらくすると複数の監視ドローンが輸送機の周囲を取り囲み、警戒態勢を取るのが見えた。ドローンの目的はハッキリとしなかったが、我々が上層区画に侵入しようとすることを阻止しているのかもしれない。各機体は互いに連携し、緻密な飛行パターンを繰り返しながら、輸送機の周囲を飛行し続ける。


 ペパーミントは好奇心が抑えられなくなったのか、機体のセンサーを起動して、監視ドローンの情報を取得できないか試していた。その機体の存在は、上層区画の秘密や貴重な資源がどれほど厳重に保護されているかを裏付けていた。


 輸送機が無断で飛行禁止区域に進入しようものなら、たちまち警備システムが反応して容赦なく攻撃されることになるのだろう。


 輸送機を操縦していたペパーミントはドローンから投影される警告表示に従い、上層区画から距離を取る。騒がしかった警告音が聞こえなくなると、輸送機は再び安定した高度を保ちながら廃墟の街の上空を飛行する。いずれ探索しなければいかない領域だったが、少なくとも、今はまだその時ではない。


 しかし〝異星種族〟を隔離していた〈浮遊都市〉では、これ以上の厳格な警備態勢が敷かれているのは確実だろう。であるなら、それを突破する方法を考えなければいけない。もちろん、探索しないという選択肢は存在しない。そのときになれば、戦闘艦を使って無理矢理にでも浮遊都市に侵入する覚悟だった。我々には宇宙の情報が必要なのだ。


 やがて高層建築物が姿を消し、高さ百メートルにも及ぶ巨大な樹木じゅもくが林立する地域に侵入していく。樹齢千年を超える巨木が立ち並ぶセコイアの森にも似た圧倒的な威容を誇り、ほかに類のない独自の景観を作り出している。


 輸送機が高度を落とすと、その下に広がる景色が明らかになる。大樹たいじゅの間から見えるのは、文明崩壊後に森に埋もれた街の様子だ。かつては大都市だったのだろう、今では大樹の根や巨大な植物に覆われ、自然が再び支配領域を取り戻したかのような光景が広がっている。


 大樹の根や植物は建物や道路を覆い隠し、文明を呑み込んでしまったかのように見える。樹木の葉は太陽の光を遮り、木漏れ日が緑に苔生した高層建築物に穏やかな光を浴びせていて、ツル植物は倒壊した建物や道路に広がり緑の絨毯を作り出していた。


 百メートルを優に超える大樹たいじゅの姿は圧倒的で、墓石のようにそびえていた高層建築物とは異なり、森の守護者のように見えた。太く頑丈な幹が天空に向かって伸び、枝葉が茂り、太陽の光を遮るほどだった。その自然の壮大さは、荒廃と闇に包まれた廃墟の街とは対照的で、生命力の象徴のようでもあった。


 その森は自然の美しさと静寂に支配されていたが、人間にとって脅威になる昆虫たちが生息する危険な場所でもあった。これらの昆虫は驚くほどの大きさで、人間よりもはるかに巨大な個体が頻繁に見られた。


 半透明の美しいはねを広げ飛行する昆虫のれは上空からでも目立つ。その体表は優美でありながらも異様な形状をしていて、鮮やかな色彩や模様が見え、まるで芸術作品のようでもある。が、それは人間には絶対に創り出せない美でもあるのだろう。


 それら異様な昆虫が大樹たいじゅの葉や樹皮の上をい回り、たしかな存在感を示している。ひとつひとつの個体が大きいだけでなく、その数は膨大で、れをなして飛びかっていた。その光景はまさに驚異的で、上空から見ると地球とは思えない景色を作り出している。


 大樹の間を飛行し〈宇宙船母なる貝〉の聖域に近づくと、ハクたちの様子を確認しに行くことにした。

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