第594話 喧噪のなかで


 水溜まりを避けるようにして買い物客で賑わう通りを歩いた。大通りに面する古い建物の外壁は傷んでおり、風雨にさらされ続けてきた痕跡をあちこちに見ることができた。歩道には用途不明の錆びた鉄屑や瓦礫がれきが積み重なり、店先にはさわがしいだけの音楽を流すドローンが飛んでいて、通りは猥雑わいざつとしていた。


 食料品を販売する出店には、得体の知れない生肉や大きな昆虫の脚が吊るされていて、大量の蠅がむらがり飛び交っているのが見えた。しかしそれを気にする者は、それほど多くいないようだ。蠅を不快に感じている人も、硬い殻に包まれた昆虫の脚を買えばいいと思っているのだろう。


 その人々の間を縫うように歩きながら、注意深く周囲を観察する。通りにはさまざまな出店が点在し、商品が雑然と並べられている。錆びついた金属板や不完全な機械部品が取引される場所では、技術的な問題に悩む人々が集まっていて、大声で雑談している姿が見られた。彼らはジャンク品を修理して売ることで、なんとか鳥籠で生活できているようだ。


 通りを行く買い物客たちの顔には、疲労感と絶望が刻まれている。彼らは飢えと日々の不安に立ち向かいながら、さながらゾンビの群れのように、この世界で生き延びるための必需品を求めて歩き回っている。汗や泥で色褪いろあせたボロボロの衣服が、その苦境を物語っているようだ。彼らは互いに悲観的な視線を交わし、無言のまま鳥籠を彷徨っている。


 と、住民たちの声が一段と騒がしく聞こえてくる。サイケデリックな音楽が騒がしく鳴り響く路地に視線を向けると、そこに多くの人々が集まっているのが見えた。怒鳴り合いながら手を振り回す者や、憤怒に満ちた表情を浮かべる者が目立つ。彼らの声は不協和なノイズとして耳に響き、嫌な緊張感で通りを満たしていた。


 その喧嘩の中心に鳥籠の警備員たちがいるのが見えた。黒い制服とボディアーマーを装着した警備員は、頭部と鼻から血を流す男を拘束していて、その周囲にいる住人たちが容赦なく男を殴っている。


 秩序を守る役割を果たすはずの警備員が、みずから暴力の中心に立ち、男をリンチしている光景にペパーミントは衝撃を受けているのか、困惑した表情で集団暴行を眺めていた。


 警備員は明らかに個人的な怒りや憎しみで暴力を振るっており、それに加わる住人や買い物客も似たような激情に駆られているようだ。人々が暴力の衝動に心を支配されている様子は、法と秩序が崩れ去ったこの世界の縮図でもあった。


「妹の死体はどこだ!」

 髭面の男性が大声でわめきながら、警備員に捕らえられていた男の顔面にブロック塀の瓦礫がれきを叩きつける。打ち所が悪かったのか、男は意識を失い倒れそうになるが、すぐに警備員に支えられる。そこに別の人間がやってきて、暴言を吐きながら鉄パイプで男を殴る。


 人々の顔には恐怖と怒りが混ざり合い、互いに憎しみ合っているようにさえ見えた。目に獰猛な光を宿し、かれらの身体からだは緊張に張り詰めている。


 近くで暴行を見ていた住人のひとりが近づいてきて、おもむろに騒動の原因を教えてくれる。彼はウンザリした表情を浮かべ、しかしペパーミントの前でいい格好をしようとしているのか、どこか得意げに話してみせた。


 どうやら警備員に捕らえられている男は連続強盗殺人の容疑者であり、幼い子どもや女性ばかりを標的にして襲っていたようだ。死体を隠すことでも知られていて、近頃は行方不明者があとを断たないようだ。


 しかし鳥籠内には多くの犯罪者がいるため、事件の真相はハッキリせず、容疑者が何かしらの事件に関わっていることは事実だったが、かれが行方不明者たちの事件に関わっているのかどうかは怪しいらしい。


 それでも住人の多くは彼が犯罪者であることに変わりはないと考えており、その怒りからリンチに発展したようだ。つまり住人は、これまで抱えていた恐怖や復讐心に駆られて集団暴行に参加しているのだ。


 さらに多くの人々が集まり、暴行を受けている男を取り囲んでいく。すでに彼の手足は折られ、顔は血まみれになり、引き裂かれた衣類から見える身体からだは痣や傷でおおわれている。リンチに加わる人々は怒りに燃え、殺されていった人々が受けた苦痛の報復を求めていた。


 ペパーミントに鼻の下を伸ばしていた自称情報通の若者に感謝したあと、喧騒から離れて狭い路地に足を踏み入れる。その路地の両側には電子機器を扱う店が連なり、今までの場所とは異なり、静かな雰囲気を持つ場所だった。


 路地には数多くの店が軒を連ねている。故障していない情報端末や機械部品が陳列され、強化ガラスケースの中には高性能な半導体チップや回路基板が並んでいる。


 しかし路地で目に入るのは買い物客よりも、商人を護衛する傭兵たちの姿だ。彼らはいかつい表情で店舗周辺を監視していて、いつでも問題に対処できるように銃器に手をかけている。彼らの存在で、この狭い路地に高価なモノが集まり、より多くの利益を生み出している場所だと理解することができた。


 路地を行き交う買い物客たちの多くは行商人なのだろう、慎重に店舗を選びながら歩いている。彼らは興味深そうに商品を眺めたり、価格交渉を試みたりしているが、同時に不信や警戒の眼差しを向けていることが分かる。この路地には価値のあるモノが集まるが、それを信用し過ぎてもいけないのだろう。


 その狭い路地を歩いていると、突然ひとりの女性が近づいてくる。彼女は妖艶ようえんな笑みを浮かべ、整った顔立ちに魅惑的な肢体したいを持ち、高級娼婦であることが容易に想像できた。


 彼女の垢ぬけた姿は、薄暗い路地に不釣り合いな魅力を放っている。端正な顔立ちでありながらも、微笑みに宿る謎めいた色気が魅力的で、滑らかな肌は清潔で透明感を持ち、絹のような触り心地を連想させる。薄くて華やかなメイクは彼女の美しさを引き立て、鮮やかな唇がほんのりと色づいている。


 黒髪は豊かに波打ち、輝くようなつやがある。その髪が揺れるたびに、周囲の人々は目を奪われ、その美しさの虜になる。また彼女の胸元は控えめに露出されていて、その豊かな膨らみは異性を魅了して視線を引き付ける。彼女の身体からだの線は、女性の美しさを象徴するような完璧なシルエットを作り出していた。


 その美しい娼婦が、優雅でしなやかな身体からだを近づけながらささやく。

「これから三人で楽しまない?」彼女は自信満々な笑みを見せる。

 ペパーミントが首をかしげて、三人で何をするのかたずねる。高級娼婦は意外そうな表情を見せたあと、彼女の耳元で囁くように質問に答えてくれた。


 ペパーミントが気まずそうな笑みを浮かべるのを見たあと、丁寧に彼女の誘いを断る。ひとりだったら誘いに乗っていたが、今は目的に集中しなければいけなかった。


 その代わりというのも変な話だが、それなりの金額を支払うから、貴重な遺物を取り扱う店について教えてくれと頼んだ。高級娼婦は顔をしかめたあと、それとなく振り返った。彼女を護衛する傭兵が近くにいるのだろう。さすがに稼ぎ頭の高級娼婦をひとりで歩かせるほど鳥籠の人間は愚かではない。


 それから彼女は情報端末を取り出す。そして長くて綺麗な指で端末の画面なぞると、我々が求めていた情報を表示してくれた。


 その店は看板のようなモノを出さず、ひっそりと営業しているようだ。他の店舗よりも品揃えが豊富だから、希少な遺物を見つけられる可能性が高いと彼女は言う。


 彼女に感謝して約束の金額を端末に送金したあと、教えてもらった情報を頼りに狭い路地を進んでいく。ついでに危ない場所も教えてもらっていたので、チンピラがたむろしている場所には近づかないようにした。


 雨よけに長い布が張り巡らされた薄暗い路地に入る。目立った看板や案内はなく、そこはひっそりとしていて、他の通りとは異なる陰気な雰囲気が漂っていた。人々の視線や会話も控えめで、周囲の建物はますます荒廃していき、路地の一部は完全な暗闇に包まれていた。


 しばらく進むと、小さな建物が見えてくる。一見すれば周囲の廃墟と変わりないが、しっかりとした構造を持ち、崩れる気配はない。入り口に雇われた傭兵の姿はないが、注意深く観察すると、監視カメラとセントリーガンが設置されているのが確認できた。


 その店の入り口に近づくと、どこからともなく傭兵が姿を見せる。彼らは不審者を排除するための厳重な警戒態勢をとっていて、我々の動きを注意深く監視している。偽の情報をつかまされたのだろうか?


 そこで、高級娼婦から店のことを教えてもらった事と、探している部品のことを伝えた。傭兵たちは互いに視線を交わし、一瞬の沈黙のあと、小さくうなずいた。どうやら彼女は我々に誠実だったようだ。


 金属製の錆びついた扉がゆっくり開いたあと、店内に足を踏み入れる。通路は暗く照明も控えめで、古い部品や機械が陳列された棚が見える。けれど希少な電子部品や珍しい装置はどこにもない。


『いらっしゃいませ、なにをお探しでしょうか?』

 音声合成による機械的な女性の声が聞こえたかと思うと、通路の暗闇から機械人形が姿を見せる。のっぺりとした装甲を持つ人型の機械で、我々に向かって丁寧なお辞儀をするのが見えた。

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