第593話 鳥籠


 つめたい雨が降りしきるなか、雨粒が頬を冷たく打ち、濡れた髪が顔に張りつく。外套がいとうのフードを目深まぶかにかぶると、周囲に視線を向ける。風が吹きすさぶなか、通りにはゴテゴテした金属製の義手や義足を装着した傭兵が多く目についた。


 彼らの身体からだは、これまでの戦いの証とも言えるような傷跡や古い装置でおおわれ、荒廃した世界で生き抜くために支払ってきた代償が一目で確認できるようになっていた。


 その傭兵に護衛されている商人たちは、雨に打たれながら保安検査の順番が来るのを静かに待っている。かれらは身を縮こませ、冷たい雨から身を守るためにレインコートにくるまり、ウンザリした顔で耐え忍んでいる様子が見て取れた。


 しかし廃墟の街の厳しさを知っているからなのか、不満を口にする者はいなかった。少なくとも、ここでは集落の警備員によって身の安全が保障されているのだ。


 前方に視線を向けると、側頭部に旧式の〈テックスキャナー〉を埋め込んだスカベンジャーたちの装置から発せられる光が雨の中で幻想的に輝き、彼らの目に電子機器の情報を投射し続けているのが見えた。情報の多くは役に立たないモノで、廃品を回収することにしか役に立たないが、それでも彼らの仕事に欠かせないモノになっているのだろう。


 そのスカベンジャーのとなりには、運動機能を強化する義足を両足に装着した男性が立っているのが見えた。義足の装甲板はへこんでいて傷だらけだ。男の眼差しは鋭く、彼がこれまでに経験してきた苦労や絶望が刻まれているようだ。


 その男性の向かいがわに立つ女性は左腕に義手を装着していた。その金属製の腕は指先の細かな動きまでなめらかに再現されていて、自由自在に変形して内蔵した小銃で攻撃できるように改造されていることが分かった。腕のいい技師が整備しているのだろう。


 空を仰ぐと、重く垂れこめる灰色の雲と、廃墟と化した高層建築物がそびえ立つのが見えた。その威容は地上に暗い影を落としている。視線を落とすと、足元に灰色の水溜まりができていて、ゴミが浮かんでいるのが見えた。


 そこに物売りをしている子どもたちがやってくる。彼らはプラスチック製のボトルに入った茶色くにごった水や、少しでも飢えをしのぐための食品を売りつけようとしてくる。子どもたちは元気に走り回っているが、その目の奥には過酷な現実を反映しているような、どこか暗い影が見え隠れしていた。


 昆虫の串焼きを販売していた幼い兄妹がやってくる。その顔には不安と大人に対する恐怖が垣間見える。妹は無邪気に微笑んでみせたが、少年の顔や腕には殴られたような痣が複数確認できた。元締めに売り上げを搾取されているだけでなく、性的虐待も受けているのかもしれない。


「レイ、どうすればいいの?」

 これまで人間との交流がなかったからなのか、人とせっすることに慣れていないペパーミントが困惑した表情を見せる。


 彼女の言葉に気を取り直すと、兄妹に余っている戦闘糧食を分けてあげることにした。携行食を受け取った少年が困惑した表情を見せると、ふたりで食べてもいいし、それを売ってお金にしても構わないと教えてあげた。


 それから教会を根城にしていた略奪者たちから奪っていた〈IDカード〉を取り出して、周囲の大人に見えないようにしながら少年に手渡す。


「数か月の間、食べるのに困らない金額が入っている。そのお金で妹に美味しいものを食べさせてやってくれ」

 それでも少年は不安そうな表情を見せる。元締めに取られてしまうこと恐れているのかもしれない。少し考えたあと、数枚のカードを取り出して少年に手渡す。


「大人にあやしまれたら、道で拾ったと言ってこのカードを渡してやってくれ」

 最低限の金額が入ったカードだ。子どもを利用する組織に金を渡すことになるのは気に入らないが、そのカードを追跡して元締めの居場所を突き止めることができるかもしれない。


 子どもたちがいなくなったあと、周囲に視線を向けながら、警戒を怠ることなく保安検査の順番を待つ。ペパーミントは何か言いたそうにしていたが、結局なにも言わなかった。


 そこに重武装の多脚車両ヴィードルが騒がしい歩行音を立てながらあらわれる。威圧感を放つ鉛色の複合装甲におおわれていて、金属特有の冷たくて鋭い輝きを放っている。その戦闘車両は巡回しながら鳥籠を警備していて、周辺一帯に厳重な警戒態勢がとられていることが分かる。


 多脚車両の上部には銃座が設置されていて、重機関銃に手をかける警備員の姿が見えた。車両には戦闘の痕跡が見られ、装甲は錆びているが、しっかりと整備されていて多脚の動きはなめらかだ。戦闘車両は鳥籠の安全を守るための重要な存在になっているのだろう。


 その多脚車両の周囲には、〈アシストスーツ〉を身につけた警備部隊が展開している。無骨な装甲と機械的な骨格が目立つアシストスーツは、明らかに労働者用の装着型補助装置だったが、戦闘用に改造されているだろう。部隊は統率が取れていて、かれらの視線は冷徹で警戒心に満ち、どれほど戦いに慣れ親しんでいるかを物語っている。


 しばらくして保安検査の順番がやってきた。入場ゲートに設置された装置に近づくと、髭面ひげづらの傭兵がペパーミントにいやらしい視線を向ける。男の顔には野蛮な欲望がにじんでいるように見えたが、彼女は顔をしかめるだけで、これといった反応を見せることはなかった。面倒事を避けるためだろう。


 警備員に〈IDカード〉を手渡して、生体情報を確認するためのボディスキャナーの前に立つ。古臭い機械はスキャンのための光線を発して、カードに登録されていた情報が間違っていないが確認するためにもちいられる。とはいっても、それほど高度な装置ではなく、本人確認と武器の所持を確認するだけの機械だ。


 警備員は慣れた手つきで〈IDカード〉を端末に挿し込む。すると装置が静かに起動して、数秒後にはスキャンが完了する。


 どうやら前回の仕事で名が知られるようになっていたのか、カードに登録されていた情報を確認した途端、彼らはそれまでの厳しかった態度を一変させ、穏やかな雰囲気で我々対応してくれるようになった。警備員のなかには、〈浄水装置〉の異常から鳥籠を救った英雄だと言って握手を求める者もいた。


 やがて鳥籠への入場が許可されると、鉄の扉がギシギシと音を立てながら開いていくのが見えた。鳥籠に足を踏み入れ、広い大通りに立つ。人々が行きう通りは活気に満ちていたが、荒廃した建物やえぐれた路面が陰鬱な印象を与えていた。


 多くの買い物客が通りを歩いていて、各々が目的を持って忙しそうに動き回っている。彼らの衣服や身なりは、過酷な世界での生活を反映していて、人体改造による義手や義足を身につけた人々が歩く姿も目に留まる。彼らは自身の肉体を強化し、この過酷な環境で生き残るために最善を尽くしている。


 通りにはさまざまな出店が連ねている。商人組合に所属する者たちが、スカベンジャーから仕入れた商品を粗末なテーブルに陳列している。彼らは生活必需品や希少な物品を売り、それによって生計を立てている。


 その中には、かつての文明の機械部品や貴重な電子機器を見つけることもできるが、その多くはゴミだ。錆びた自動小銃や修理を待つ機械部品、古い書物や壊れた情報端末など、人々は自分の必需品や興味のあるモノを求めて通りを歩いている。


 奇抜な恰好をした一団の姿も見られた。彼らは鮮やかな色の衣装や派手な装飾品を身につけ、広告用の投影機を背負い、すでに存在しない商品の宣伝映像を垂れ流しながら通りを練り歩いていて目立つ存在になっていた。


 ここでも通りを行く人々は――当然のことだったが、武装した警備員によって監視されている。厳重な警戒態勢をとっているため威圧的でもあるが、かれらの姿勢は、この集落が危険な外部世界と一線を画し、人々が安心して生活できる場所であることを示しているのかもしれない。


 その賑やかな通りでも、幼い子どもの姿が多く見られた。けれど子どもらしさはなく、厳しい現実に直面していて、生き抜くために重労働を強いられていた。


 小さな手に重い荷物を抱えている子どもがいれば、ゴミや廃品の回収など、過酷な仕事をするために鳥籠のさまざまな場所で働いている子どもたちがいる。その小さな手には傷やひび割れがあり、年齢にそぐわない硬い皮膚をしている。顔には大人顔負けの苦労を経験した深いしわが刻まれていた。


 大人が彼らの仕事を監督し、厳しい労働環境で指示を出しているのも見られた。彼らは一日中働いていて、飢えや病気との戦いを強いられながらも、生きるために必死に働いている。周囲の大人たちは、子どもたちが重労働をしなければ生きていけない現実を受け入れているように見えた。


 しかし大人を一方的に責めることはできないのかもしれない。彼らもまた、自身の生活と家族のために働かねばならないし、彼らもそうやって大人になった。だからこそ、その労働を当たり前のように受け入れているのかもしれない。そもそも倫理観がことなるのだ。そして少なくとも、外で働く子どもたちと異なり、鳥籠で働く子どもたちには正当な報酬が支払われているようだった。


「でも――」と、ペパーミントはつぶやく。

「それでも私はこの鳥籠が嫌い」

 彼女の言葉に肩をすくめると、部品を求めて通りを歩いた。

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