第592話 雨に煙る


 居住区画と医療施設の状態を手早く確認し終えると、我々は本来の目的である鳥籠に向かうことになった。地下施設につながる隔壁かくへきは、部外者がシステムに接続できないように設定してから厳重に閉鎖して、略奪者や危険な変異体が侵入できないように、教会の通路も適当な棚で隠すことにした。


 地下施設で発見したいずれの区画も人が使っていた痕跡はなく、荒らされた様子もなく完全な状態で保存されていた。


 その理由は依然いぜんとして判明していないが、旧文明期の施設で見られるような脅威が潜んでいるという兆候も確認できなかったので、ただ単純に人々の避難が間に合わなかっただけなのかもしれない。いずれにしろ、我々にとっては価値のある発見だった。


 教会から出て、雨が降り続いている廃墟の街に立つ。カグヤに要請していた機械人形の戦闘部隊はすぐにやって来るということだったので、輸送機の到着を待たずに鳥籠に向かうことになった。


 しかしこの先は人通りの多い場所に出ることになるので、人々の混乱を避け、余計な面倒事に巻き込まれないために、ハクとジュジュたちには教会で待っていてもらうことにした。


『おるすばん、いや!』

 ハクは教会で待機することを嫌がっていたが、トゥエルブがやってくることを知ると、すぐに気が変わった。


『トゥーブ、ちょっとまぬけ。ハク、いっしょにいる』

「助かるよ。ジュジュたちの世話も大変だと思うけど、すぐに鳥籠から戻ってくるから頑張ってくれ」

『がんばる』

「何かお土産は欲しいか?」


 ハクが身体からだを斜めに傾けると、背に乗っていたジュジュがコロコロと転がり落ちる。

『さんどいっち』

「サンドイッチか……」


 カフェで見たホログラムが忘れられなかったのだろう。

「わかった。おいしいサンドイッチをたくさん買ってくるよ」

『ん、かたじけない』


 ハクたちと別れると、ペパーミントとふたり、雨に打たれながら荒廃した道路を進む。さすがにハクだけでは心配だったので、教会にはカグヤの偵察ドローンも残してきた。何かあればすぐに知らせてくれるだろう。


 道路は気の遠くなる時間の流れとともに亀裂が入り、断片的にえぐれている箇所が目立つ。その道路脇には、かつて繁華街だったことがうかがえる建物の瓦礫がれきが散乱していた。半壊した建物の壁はて、窓ガラスは割れ、建物自体が不気味にゆがんでいる。


 倒壊の恐れがあるので、距離を取って歩く必要があった。〈環境追従型迷彩〉で姿を隠すことはできても、生き埋めになってしまってはどうしようもない。


 途中、墜落して数世紀は経ったであろう航空機を目にする。その機体は、時の経過と共に植物に侵食されていて、今や植物によっておおわれていた。雨水が破損したキャノピーからコクピット内に降り注ぎ、錆びて凹んだ装甲の表面に水が溜まっている。周囲には植物が繁茂はんもしていて、緑色の葉が錆びた金属との対比を作り出している。


 雨が降るたびに機体の周りに水溜まりができていたのか、水草が浮いているのが見えた。機体の表面にはこけが繁茂し、ある種の集合生命体のように見える。その異常な植物の侵食によって機体の一部が変形しているのを見ながら通り過ぎる。すでにスカベンジャーたちによって部品が持ち去られていたので、そこで得られるモノは何もなかった。


 雨に煙る空を仰ぎ見ると、高層建築物にかる空中歩廊でネオンの看板やホログラム広告が明滅しているのが見えた。投影機が故障しているのか、明るくまたたいては消えていて、すでに広告として意味をなさないものになっていた。かつてそこには人々の生活があり、活気があったことが想像できた。しかし今では廃墟になり、その存在は過去の幻影と化している。


 雨水が溜まったみぞには、錆びた多脚車両ヴィードルや機械人形の残骸が見られ、牡丹色ぼたんいろの雑草が生い茂っている。そこには緑に苔生こけむした外骨格を持つ大型昆虫がいて、溝に流れ落ちる水を見つめ続けていた。


 路地に入って半壊した店舗に足を踏み入れると、荒れ果てた建物から静寂と暗黒が忍び寄ってくるように感じられた。かつての賑わいは見る影もなく、鬱々とした空気が立ち込めている。


 苔生した壁紙はがれ落ち、汚泥と蜘蛛の巣が建物の隅々に広がっている。窓の近くには雨水によって形成された水溜まりがあって、鏡のように外の景色を映し出している。その建物は浸水していて、一部は完全に水没していた。窓や壁の隙間からは雨水が滝のように流れ落ちていて、水の流れる音が響き渡っていた。


 水没していた場所には、得体の知れない腐肉やゴミが漂っている。その近くを通るときには、ペパーミントと手をつないで、落下しないように注意深く移動する必要があった。水底に潜むものや、人擬きが突然あらわれるかもしれないから気を緩めることはできない。


「さっきの話だけど――」

 建物を出ると、ペパーミントは拡張現実で投影される地図を確認しながら言う。

「やっぱりイーサンたちと相談したほうがいいと思う。部隊の編制や機械人形の整備とか、調整しないといけないことが多くて、私ひとりでは決められない」


「わかってる。ちゃんとイーサンたちと相談するよ。それに、実は他にも計画していることがあるんだ。だから何処どこかで集まって話し合ったほうがいいと思っていたんだ」

「無茶な計画じゃないといいけど」

 彼女の言葉に肩をすくめると、暗い通りに視線を向けた。


 雨が降りしきるなか、街はさらに薄暗く陰鬱いんうつな雰囲気に包まれていく。旧文明期以前の建物の壁面には、水が浸み込んでやカビが繁茂はんもして不気味な模様もようを描いている。街全体が暗く、どこか物悲しい雰囲気が漂っているのだ。そしてそれは広範囲にわたって雨を降らせている旧文明期の〈浄水施設〉の所為せいでもあるのだろう。


 風が吹くたびに半壊した建物がきしんで、まるで街自体が身動きしているかのように感じられた。時折、上層区画で光がまたたいて、銃声とともに変異体の不気味な鳴き声が聞こえてくる。いるはずのない場所から人間の気配が感じられる。ひょっとすると、建物を管理する機械人形が変異体と交戦しているのかもしれない。


 闇の中でうごめくものたちの存在を感じ取ると、心が不安と恐怖で揺れ動くのを感じる。ペパーミントも言い知れない恐怖にさいなまれているのだろう。彼女は顔を青くしてライフルに手をかけ、周囲に視線を走らせる。


 薄闇の中で発光するホログラム広告が狭い通りで瞬いているのが見えた。その光が周囲を一時的に明るく照らし出すたびに、街の薄暗さが一層際立つ。覚醒剤じみたエナジードリンクの広告映像は、廃墟の街につかの間の幻想を作り出していく。


 路地を離れ交差点に近づくと、略奪者に襲撃されたと思われる人間が倒れているのが見えた。スカベンジャーだろうか、彼らの死体はすでに他の生物の餌食になっていて、タヌキに似た多脚の生物がむらがっているのが見えた。


 その奇妙な変異体を刺激しないように通りを進むと、橋が見えてくる。時間の経過と共に朽ち果て、部分的に崩落していて、錆びた鉄骨や破損した橋の一部が落下して、水面に突き刺さっているのが見えた。


 水はにごっていて、汚染物質や毒々しい色合いの廃棄物が漂っている。腐敗した生物が浮かんでいるのも見えた。その川の所為せいだろう、周辺一帯には吐き気をもよおす悪臭が漂っていた。


 慎重に足を踏み出し、崩れかけた橋を渡ろうとする。腐食した鉄骨が歪んでいるのが見える。引き返すことも考えたが、目的地はすぐ近くだったので、そのまま橋を渡ることにした。


 よどんだ空気の中で聞こえるのは、静かに水面を叩く雨音だけだ。欄干らんかんから見下ろすと、川岸の土手に草が生い茂り、そこに潜む小動物の無数の眼が光を反射しているのが見えた。


 橋を渡ると集落の入場ゲート付近に到着し、厳重な警備態勢が敷かれているのが見えた。灰色の高い壁の姿は圧倒的で、外部の脅威から住人を守るための最後の防壁として充分に機能していることが分かる。


 壁の上にも重武装の警備員が展開していて、入場ゲート周辺の監視と警戒をしている。彼らは経験豊かな兵士のように見えるが、そのなかには傭兵もいるのだろう。野蛮な目つきの男たちは、鳥籠の安全を守る使命感に燃える警備員とは対照的な存在に見えた。機会さえあれば、嬉々として人を痛めつけるような連中だ。


 入場ゲート付近には、多くの人々が列をなして検査が行われるのを待っている。人々は雨のなか、〈IDカード〉を手にし、厳格な保安検査を受けるために我慢強く辛抱している。


 かれらの表情には疲労と不安が浮かんでいる。この荒廃した世界で生き抜くために必要な物資を手に入れるため、危険をおかして来たのだろう。ペパーミントと一緒にその列に加わると、検査の順番が来るのを待つことにする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る