第589話 地下施設


 白蜘蛛と再会できたことに興奮しているのか、ジュジュたちはガヤガヤとざわめきながらハクに飛びつこうとしていたが、ペパーミントによって見事に阻止されてしまう。


 彼女はショルダーバッグの収納空間から使い捨てのウエスを大量に取り出すと、ジュジュたちに注目させるように布切れをヒラヒラと見せたあと、略奪者たちの返り血にれたハクの体毛をいて汚れを落として見せた。


 するとジュジュたちは興味を持ってくれたのか、ウエスの山から適当な布切れを手に取って、我先にハクの体毛を拭きにいく。ジュジュたちにまとわりつかれた白蜘蛛は、くすぐられているように感じているのか、ムズムズと身体からだを揺らしながらクスクスと無邪気に笑う。


 ペパーミントは、ジュジュたちが目論見通りに動いてくれたことに満足すると、壁際に設置されていたコンソールを確認しにいく。あれこれと調べたあと、端末からケーブルを伸ばして接続する。


 端末の画面を覗き見ると――表示可能な数字に限界があるようだったが、少なくとも八十七万時間ほどの間、誰も隔壁かくへきの開閉操作を行っていないようだった。


 その隔壁かくへきに近づいて手で触れてみる。凍りつくように冷たく、鏡のように磨かれていることが分かった。隔壁の上部には漢数字で〝九二四〟と表記されている。もちろん、それが何を意味しているのかは分からなかった。


隔壁かくへきは開きそうか?」

 ペパーミントはまぶたを閉じて喉の奥で唸る。

「施設の管理システムには接続できたけど、私の権限では封鎖を解除することができないみたい」


「お手上げか」

「まさか」

「カグヤに頼もうか?」

「ううん、それは必要ない。私と手をつないで」


 少し疑問に感じながらも手を差し出す。彼女の指先に触れた瞬間、手のひらに静電気にも似た軽い痛みを感じる。


「レイの艦長権限を使って施設の封鎖を解除して隔壁かくへきを開くから、少しだけ時間を頂戴ちょうだい

 彼女の言葉に肩をすくめたあと、ジュジュたちとたわむれていたハクのもとに向かう。


 薄暗い照明の所為せいでハッキリと確認することはできなかったが、床に敷かれた絨毯は血液に汚れていた。ハクの体毛からしたたり落ちたモノなのだろう。

「ハク、怪我はしてないか?」


『ん、だいじょうぶだった』

 ハクは無数の脚を動かしてその場でトコトコと身体からだの向きを変える。


「大変だったみたいだな」

『ちょっと、たいへんだったかも』

「ハクが活躍してくれたおかげで、苦労することなく敵を殲滅することができた」

『せんめつ?』と、ハクは触肢しょくしで床をトントンと叩く。


「ああ、敵を残らず倒すことができた。でも、すこし前にも話したと思うけど、ハクを傷つけるような強力な武器を所持している敵がいるかもしれない。だから、もし同じようなことが起きても、俺たちのそばから離れないようにしてほしいんだ」


『んっ。きけんなこと、もうしない』

 ハクが装着しているタクティカルゴーグルを通して見えていた大きな眼が、ゆっくり青くまるのが見えた。気持ちが落ち着いているのだろう。


「約束だ。これからは、ジュジュたちのことも守らないといけないからな」

『ジュジュ、まもる……よ?』と、何故なぜかハクは疑問を浮かべながら返事をする。

「ジュジュたちの世話は大変か?」


『ん、ちょっとたいへんだった』

 ちょっと、というのはハクの口癖だ。なにかにつけて〝ちょっと〟と口にする。言葉の響きが好きなのかもしれない。


「それなら、次回からはジュジュたちに拠点で留守番してもらうか」

『してもらう。ちょっと、しょうがない』

 言葉を理解しているのか、ジュジュたちが抗議するように騒がしく鳴き始める。


 すると突然、照明が消えて壁際に設置されていた警告灯が赤く点滅するようになる。

「レイ、隔壁かくへきが開くから注意して」

 ペパーミントの言葉にうなずくと、ハクたちを連れて隔壁から離れる。


 旧文明の鋼材におおわれた重厚な隔壁が開いていくと、天井や壁が金属でおおわれた長い廊下が見えた。他の地下施設がそうであるように、文明崩壊後の世界にもかかわらず、通路は非常に清潔で換気も行われているようだった。人の気配はないが、自律型のメンテナンス機械が作動しているのか、廊下の先からかすかな動作音が聞こえる。


「行きましょう」

 得意げな笑みを浮かべるペパーミントに危険はないかたずねる。

「ないわ。というより、施設は無人だったの。〈人擬きウィルス〉に感染した人間もいなければ、混沌の領域からやってきた生物の存在も確認できなかった」

「完全に無人の施設というわけか……」


 隔壁の先に足を踏み入れると、施設の案内図がホログラムで投影される。どうやら通路の先にエレベーターがあるようだ。施設の各所に監視カメラが複数設置されているのか、エレベーターや地下の様子を確認できる映像も表示される。


 ペパーミントは端末を操作して投影されていたホログラムを消すと、手元の端末でそれらの情報が閲覧できるように設定した。


 背後の隔壁かくへきが閉じたことを確認し、通路を歩いていると、自律型の掃除ロボットがコバンザメのように壁に張り付いて掃除している姿が見られた。


 その他にも床を磨く小型の掃除ロボットや、照明装置を修理している〈メンテナンスドロイド〉の姿も見ることができた。より人型に近い機械人形で、作業用ドロイドよりも洗練された機体だった。


 それらの機械人形は、施設全体に設置された〈空間充電〉を利用して動作しているらしく、人間のいない施設でも与えられた役割を忠実にこなしていた。


 そのメンテナンスドロイドは我々の存在に気がつくと、仕事の手を止め、機械的な合成音声で丁寧な挨拶をして通り過ぎていった。機械人形を追いかけようとしていたジュジュたちをつかまえたあと、通路の先に進む。


 通路の天井には何本もの配管が設置されていて、素通しガラスを通して見ることができた。配管は赤や黄色、青と緑色といった色で塗装され区別されていて、いくつもの太いケーブルが綺麗に束ねられている様子も確認できた。


 通路を進むにつれ、空気が綺麗に、そして新鮮になっていくのが感じられた。施設の換気システムが効果的に機能しているのだろう。周囲は完全に無音ではなかったが、ゆっくりとした時間の流れる静謐せいひつな空間になっていた。


 通路の先にエレベーターが見えてくると、ジュジュたちがガヤガヤと駆けていく。エレベーターは通常、上下に移動するモノだったが、そこに設置されていたモノは〈斜行エレベーター〉と呼ばれるモノで、テーブル状の床面が、文字通り〝斜め〟に移動するように造られたモノだった。


 そのエレベーターにジュジュたちが乗り込んだことを確認したあと、ペパーミントの操作でエレベーターを動かす。床面がスムーズに動き始めると、ジュジュたちは慌てふためくが、ハクに笑われるとピタリと動きを止めて、疑問を浮かべるようにハクを見つめる。


 そのエレベーターの周囲には壁のようなモノはなかったが、シールドの薄膜が展開され、転落防止用の柵が床面からせり上がるのが確認できた。


 ペパーミントは柵に手を置いてわずかに身を乗り出すと、エレベーターが地下深くに進んでいく様子を見守る。疑問を浮かべて硬直していたジュジュたちも、彼女の周囲に集まると、エレベーターが薄暗い照明の中を静かに降りていく様子を眺める。


 通路の両側には太い配管や配線が張り巡らされているが、廃墟で見られるような湿気によるカビやこけは確認できない。エレベーターが通過する通路は汚れもなく換気され、清潔な状態が保たれている。地下深くに降りていくにつれ、周囲の機械音は小さくなり、やがてエレベーターは巨大な隔壁かくへきの前で停止する。


 その隔壁かくへきの表面には、軍用施設の立ち入りに関する警告が大きく表記されていて、〈深淵の娘〉や異星生物の入場を制限する警告文も多数確認できた。それは旧文明期の他の施設では滅多に見られない警告だった。隔壁は重くて頑丈そうで、核攻撃を想定した重要防護施設だということがうかがえた。


 案内図が正しければ、この先は地下鉄駅につながる区画になっている。巨大な隔壁がゆっくり開くと、上階の通路とは異なる独特の空気感が漂っていることに気がつく。


 鮮やかな照明が天井に埋め込まれ、無機質だが、それでいて何処どこかモダンな空間を思わせる場所になっている。床は白いタイル張りで、金属で覆われた壁や天井に照明が反射している。地上に広がる荒廃した世界とは対照的な穏やかで洗練された空間だった。


 この区画も綺麗に掃除され空調が効いているのか、暑くも寒くもなく快適だった。また隔壁かくへきのすぐ近くには物資の〈販売所〉があり、食料品や飲料水、医薬品に加え〈兵器工場〉から運ばれる火器などを取り扱っているようだ。


 そこで購入できる商品は、他の店のように整然と店頭に並んでいるのではなく、専用の端末を介して購入できるようになっている。端末のディスプレイに商品の画像が表示されて、そこで注文をすると商品が自動的に出てくるようだ。それは〈ジャンクタウン〉にある〈軍の販売所〉でも見られる仕組みだったので、とくに驚くようなことではなかった。


 ホログラムで投影される案内図を確認すると、他にも施設があるようだった。網膜に投射されている〈インターフェース〉で時刻を確認したあと、簡単な探索を行うことにした。

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