第588話 教会


 教会に足を踏み入れた瞬間、嫌な腐敗臭が鼻についた。やはりと言うべきなのか、略奪者たちによって占拠されていた教会は荒れ果て、見る影もない状態だった。野蛮な略奪者によって信者たちのための長椅子や講壇は破壊され、彫像や壁には卑猥な落書きが残され銃創が穿うがたれている。床にはゴミが溢れ、泥や血の跡が赤黒く残っていた。


 高い天井からは錆びた小銃や戦闘車両の装甲板、それに宗教的象徴をして造られた機械人形の残骸が吊り下げられていた。それは大理石の彫像の頭部や腕を持ち、女性用の下着で飾られていた。


 その場に立ち止まって物音に耳を澄ませながら周囲を見回した。しかし生物の気配はなく、教会内には略奪者たちの悲惨な亡骸が転がっているだけだった。


 白蜘蛛の仕業なのだろう。教会の床や壁には鋭い爪痕が残され、糸で吊るされた死体からは血液が滴り落ちている。大量の薬莢が床に残っている状況から推測するに、攻撃を受けたハクが不機嫌になって必要以上に暴れたのだろう。


 地面に横たわる多くの死体はひどく損傷していて、血塗ちまみれで悲惨な状態になっていた。それらの死体には、爪で引き裂かれたような大きな傷痕が残っている。死体のそばには自動小銃やバールのようなモノのほかに、切断された手足が散らばっている。それらの凶器には、略奪者たちの血液や頭皮が付着していて、容赦なく攻撃されたことがうかがえた。


 火のついたドラム缶のなかに詰め込まれている死体もあれば、頭部に糸が絡まって窒息したと思われる死体が転がっているのを目にした。襲撃のさいに混乱していたのか、同士討ちによる無数の銃弾を受けて息絶えた死体も血溜まりのなかに転がっていた。その様子は、さながら地獄絵図のようだった。


 略奪者たちがハクの攻撃によって全滅したことに安堵しつつも、ライフルを構え、慎重に教会内を探索することにした。廊下のそこかしこに息絶えた略奪者たちの身体からだの一部が転がっている。ジュジュたちは興味深そうに床に落ちていた髭面の頭部を眺め、小さな声で鳴きながら意見を交換し合っている。


 ペパーミントはタブレット型端末を使って施設の状況を確認しているのか、前を見ずにフラフラと歩いていたので、彼女の手を取って歩く必要があった。さすがにジュジュたちの面倒までは見切れないので、カグヤに頼んで偵察ドローンを使って見張ってもらうことにした。ここでジュジュが迷子になったら大変なことになる。


 慎重に歩みを進めながら周囲を注意深く観察する。教会内部は暗く、脅威が潜んでいるような雰囲気があるが、すでに略奪者たちは全滅していたので、そこまで神経質になる必要はないのかもしれない。


 焼けた木材と布の臭い、そして血の臭いを感じながら廊下を進む。壁には弾痕による傷や飛び散った血液が付着している。もちろん、数人の略奪者たちの死体も転がっている。その廊下には、手触りのい木目の美しい椅子が並び、静かな祈りの場を提供する個室が用意されていることが確認できた。


 通路の先にある円形の礼拝堂には、献金のために備え付けられた端末と祭壇があり、聖餐器や大きな聖書が埃を被った状態で放置されていた。


 その礼拝堂の中央にある巨大な彫像は、槍を構えた美しい女戦士をかたどったものだった。教会の入り口にも戦士の像が設置されていたが、戦争に関係のある――たとえば、戦争で犠牲になったモノたちに祈りを捧げる場だった可能性もある。あるいは単純に、戦争に大きく関わった宗教団体の施設なのかもしれない。


 ペパーミントは部屋の隅に放置されていた機械人形を見つけると、所持していた端末からケーブルを伸ばして接続し、機械人形の状態を確かめるが動く気配はなかった。神父を補助する役割を与えられた機械人形だったのか、武器の類は装備していなかった。


 礼拝堂を離れて教会内を探索していると、ひときわ荒れ果てた部屋にたどり着いた。その部屋は、略奪者たちの凶行の現場になった場所でもあった。


 街でさらってきた人間を収容するための檻が壁際に設置されていて、床には糞尿と赤黒い血液のみがこびりついていた。入り口に使われていた金属製の扉は破壊され、銃弾や刃物で傷つけられたような跡が壁に残っている。ハクがやってきていたのだろう。ペパーミントとジュジュたちに廊下で待っていてもらうと、ひとり拷問部屋に入っていく。


 テーブルには拷問器具や引き裂かれた衣服、犠牲者たちの下着や情報端末、IDカードなどが無雑作に積み上げられている。檻のなかには男性や女性の遺体が腐っていくままに放置されている。彼らの表情は苦痛にゆがみ、裸の身体からだには拷問された痕が確認できた。檻が設置されていた壁には、犠牲者たちが残した血塗ちまみれの手形があちこちについていた。


 その部屋にはホログラムの投影機が設置されていて、強姦され、拷問されていく人々を記録した立体映像が投影されていた。生きたまま皮を剥がされる青年の姿や、赤熱した鉄の棒を膣に突き入れられる女性の姿が、檻のなかにいる人間に恐怖を与えるためだけに投影されている。


 時折、略奪者の姿が投影されて、「私は今日、六人殺した」「俺は一晩で三人の女を犯した」「商人が貴重なライフルを隠し持っていたから、殺して奪い取ってやった」などと得意げに語る映像も映し出されていた。略奪者たちが記録した凄惨な行為に気分が悪くなるが、怒りの矛先を向ける相手はもう何処どこにもいない。


 拷問部屋を出るとき、手足を切断された略奪者の死体が目についた。近くに落ちていた情報端末を拾いあげて確認すると、若い女性ばかりが拷問される様子を記録した無数の映像が保存されているのが確認できた。


 気持ちを冷ますようにゆっくり息を吐き出したあと、廊下で待ってくれていたペパーミントたちと合流する。拾った情報端末は拷問部屋に残してきた。いずれ破棄しなければいけないが、たかぶっていた気持ちを落ち着かせる必要があった。略奪者たちが拠点で行ってきた残虐な行為について知っていたなら、簡単に殺すようなことはしなかった。


 薄暗い廊下を進むと、血塗れになって倒れていた略奪者のひとりがムクリと起き上がるのが見えた。男は重傷を負っていて、右腕が皮一枚でかろうじてつながっている状態だった。しかし痛みを感じている様子はなく、手に持ったナイフを握り締めながら襲いかかってきた。


『変異が始まってるんだ……』

 カグヤが言うように、すでに男の意識はなく、ただ本能に従い無意識に襲いかかってきているだけだった。廃墟の街で人擬きと戦闘したさいに負傷して、そのまま拠点に逃げてきたのかもしれない。男は獣のように咆哮しながら飛び掛かってきた。


 すかさずライフルを構えると、フルオートで銃弾を叩き込む。略奪者はその攻撃に耐えられず、銃弾が命中した箇所からズタズタに破壊されていく。しかし変異の影響なのだろう、男は地面をうように、グロテスクな身体からだをズルズルと引きりながら接近してくる。


「レイ」

 ペパーミントの言葉にうなずいたあと、冷静に男の頭部に銃弾を撃ち込んで処理する。すると別の個体が近くの部屋から飛び出てきて、何度も転びながら駆けてくるのが見えた。人擬きの額に照準を合わせて銃弾を撃ち込む。化け物はそのままつまづいて倒れると、二度と起き上がることはなかった。


 人擬きに変異した略奪者が出てきた部屋を確認すると、血液で汚れた不衛生なマットレスが敷かれた無数の寝台が見えた。


「処置室だったのかもしれないわね」部屋を覗き込んだペパーミントが言う。

 たしかに彼女が言うように、治療のために使われていた部屋だった。そこかしこに大量の注射器や医療器具が捨てられていて、床は血や吐瀉物としゃぶつで汚れていて腐臭が漂っていた。


 となりの部屋を確認すると、略奪者たちの物資が保管されていることが確認できた。隊商を襲撃して手に入れたモノなのだろう。木箱や小さなコンテナボックスが所狭ところせましに積み上げられているのが見えた。


 錆びついた金属棚には古びた銃器や弾倉が並べられている。ライフルを手に取ると状態を確認する。多くは旧式の火器で、整備すらされていないような代物だった。古い銃身には傷や錆があり、大きく変形していて使い物にならない。


 コンテナのなかには未開封の食料品や飲料水、それに缶詰が保管されていて、簡単な医療キットも見つかった。その中にはまだ使えそうなモノもある。さらに探索していくうちに、古い薬品や廃棄物を詰めたドラム缶を発見する。ペパーミントは化学物質を保管していたコンテナを見つけて困惑する。略奪者たちが危険な物質を所有していたことに驚いたのだろう。


 やがて地下施設につながる隠し通路を見つける。例によって本棚の裏に隠されていたが、ハクが見つけたときに本棚が取り払われていた。その通路は薄暗く荒れ果てていたが、略奪者たちに発見されていなかったため、ゴミや泥汚れはほとんど見られなかった。


 廊下の両脇には、古びた調度品や壁画、それに彫像が設置されていた。中世の宗教画だろうか、美しい裸体の女性を囲むように飛ぶ小さな天使の鮮やかな色彩や、細密な描写は見惚れるほどだった。ペパーミントも端末から視線を上げると、古い壁画や美しい彫像を眺めていた。


 その先に重厚な隔壁かくへきが設置された空間が見えてくる。そこには返り血で体毛を真っ赤に染めたハクがいて、我々を出迎えるように脚を大きく振っていた。

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