第587話 旧市街
つめたい雨は止むことがなく、荒廃した都市を更に
もちろん、それは廃墟に埋もれた鬱々とした都市が見せるただの錯覚だった。人擬きに傷つけられていない人間は、そのまま時間のなかで腐っていくだけだ。けれど何か間違いがあって人擬きに変異したら面倒なことになる。だから止めは刺していく。
ハンドガンを抜くと、道路に横たわっている略奪者の頭部に銃弾を撃ち込んでいく。死体撃ちは気持ちの
雑草に
植物が
通りには土嚢や錆びついた重機関銃が残されていて、建物は雨漏りがひどく、ツル植物が侵入していたり、壁紙が剥がれ落ちていたりして、あまりにも荒れ果てている。
それは寂しげな光景だったが、どこか
それは、あるいは
「……やれやれ」
溜息をついたあと交差点に視線を向けると、道路標識から投影されるホログラムのガイドが見えた。どうやら近くに〈多層都市〉の――複雑に階層化された都市の上層区画に通じる道があるようだ。そこでは手付かずの遺物を手に入れることができる。
しかし、より多くの脅威が潜む危険な領域の探索を試みる人間はいない。命知らずの略奪者たちでさえ、下層区画から離れようとしない。
「どうしたの、レイ?」
ペパーミントが首をかしげる。
「なにか気になるモノでも見つけたの?」
「……ただ、この景色が――」
そこまで口にしたが、自分が何を言おうとしていたのか分からなくなった。すでに失われてしまった記憶に思いを馳せて、感傷的になっていたなんて女々しいことは言えないし、言うつもりもなかった。
「いや、何でもない。汚染地帯が近くにあるのを確認したから、ここからは慎重に進もう」
彼女は眉を寄せるが、それ以上質問することはなかった。
つめたい風が吹くたびに鉄骨が
まるで互いを
けれど悪意が渦巻く廃墟の街では、あまりにも危うい種族だ。〈インシの民〉に保護されていたからこそ、この過酷な世界で生き延びることができたのかもしれない。
そのジュジュたちが、勝手に
『レイ』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。
『横倒しになった建物の先に、大きな虫がいるのを確認した。〈大樹の森〉でも見かけなかった種類の昆虫で、人間にとって脅威になる存在なのか分からないから注意して』
偵察ドローンから受信していた映像を確認すると、軽自動車ほどの体長を持つ甲虫の姿が確認できた。
また
それはカミキリムシに似た昆虫にも見えたが、明らかに肉食性の凶暴な生物で、スズメバチのように攻撃的な姿をしていて近づくことすら
「他の道を探そうか?」
ペパーミントは不安そうな表情を見せるが、ハクと合流するためには、このまま大通りを進む必要があった。迂回することも考えたが、降り止まない雨で道路は冠水していて使えない。
通りを塞ぐように派手に倒壊した建物の間を抜けて道路の反対側に出ると、カグヤが発見していた巨大な甲虫が近くにいるのが見えた。が、幸いにも襲われることはなかった。その昆虫は地面に横たわる略奪者の死体に夢中になっていて、こちらに長い触覚を向けるだけで、それ以上の動きを見せることはなかった。
さすがのジュジュたちも巨大な昆虫の危険性を理解しているのか、体毛を逆立てながらゆっくりと肉食昆虫から距離を取った。
ある程度の安全が確保できる場所まで移動したときだった。遠くから銃声が聞こえて、通りに爆発音が響き渡った。逃げ出した略奪者たちが人擬きと戦闘を繰り広げているのかもしれない。肉食昆虫は音に驚くと、巨大な半透明の
驚異が去ると、道路を挟んだ通りに出る。途中、沈んだ地下鉄駅の入り口を見つけた。ここでも人間が生活していたのか、錆びついたスチールフェンスと木材で簡単なバリケードが築かれているのが見えた。しかし水没したことで使われなくなったのだろう。
略奪者たちの拠点は、赤レンガが
建物入り口の大扉の左右には、古代ギリシャを思わせる大理石の巨大な彫像が立っていて、教会に入る者を威嚇するように見下ろしていた。スパルタの英雄だろうか、槍と盾を持った戦士の裸の胸に真っ赤な血液が飛び散っているのが見えた。敵拠点を襲撃したハクの仕業だろう。すぐ近くには手足を切断された略奪者たちの死体が横たわっている。
「カグヤ、ハクと連絡は取れたか?」
『うん、教会の奥で面白いモノを見つけたみたい』
「面白いモノ?」思わず首をかしげる。「またジャンク品でも見つけたのか?」
『ううん、
「そういえば……」と、ペパーミントが思い出したように言う。
「この
「それなら、この教会の地下にはまだ発見されていない旧文明期の施設があるのか……」
以前、ペパーミントの工場で見た路線図の画像を視界に表示すると、たしかに現在地の地下に施設があることが分かる。
『鳥籠に向かう前に確認していく?』
腕を組んであれこれと考えたあと、カグヤの質問に返事をした。
「実際に旧文明の施設があるなら、レイダーギャングに占拠させるわけにはいかない」
『レイダーが戻ってくることはないと思うよ』
「さっきの連中が戻ってこなくても、他の組織がやってくる可能性はある」
実際のところ、旧文明期の技術で建造された教会は周囲の建物よりも堅牢で、拠点にするのに適しているように見えた。
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