第587話 旧市街


 つめたい雨は止むことがなく、荒廃した都市を更に陰鬱いんうつな雰囲気で包み込んでいた。足元には空薬莢や無反動砲の筒が散乱していて、空気中には――戦闘があったからだろうか、どこか不穏な気配が漂っている。大通りには略奪者たちの死体が無雑作に転がっていて、一瞬でも目を離すと、人擬きになって襲いかかってくるようにも感じられた。


 もちろん、それは廃墟に埋もれた鬱々とした都市が見せるただの錯覚だった。人擬きに傷つけられていない人間は、そのまま時間のなかで腐っていくだけだ。けれど何か間違いがあって人擬きに変異したら面倒なことになる。だから止めは刺していく。


 ハンドガンを抜くと、道路に横たわっている略奪者の頭部に銃弾を撃ち込んでいく。死体撃ちは気持ちのい行為ではないが、誰かがやらなければいけないことだった。


 雑草におおわれた廃車や巨大な構造物の瓦礫がれきを避けながら進むと、荒廃が進んだ地区に入った。〈旧文明期以前〉の建物が多く残る旧市街地だろう。そこでは植物に侵食されて、すでに自然にかえりかけている道路や建物を見ることができた。


 植物が繁茂はんもした狭い路地には、もろく崩れそうな建物が点在している。その中には、かつて人々が探索の拠点にしていた場所もあるのだろう。窓ガラスは割れ、外壁は崩壊し、得体の知れない雑草や草木が生い茂っている。


 通りには土嚢や錆びついた重機関銃が残されていて、建物は雨漏りがひどく、ツル植物が侵入していたり、壁紙が剥がれ落ちていたりして、あまりにも荒れ果てている。


 それは寂しげな光景だったが、どこかはかなさを感じられる美しさが存在していた。それらの建物を見るたびに、心が震えるような、言いようのない気持ちに襲われた。


 それは、あるいは郷愁きょうしゅうだったのかもしれない。どこかで見たことのある懐かしさを含んだ光景に、もう取り戻すことのできない過去を想い、深い孤独感を覚えているのだ。


「……やれやれ」

 溜息をついたあと交差点に視線を向けると、道路標識から投影されるホログラムのガイドが見えた。どうやら近くに〈多層都市〉の――複雑に階層化された都市の上層区画に通じる道があるようだ。そこでは手付かずの遺物を手に入れることができる。


 しかし、より多くの脅威が潜む危険な領域の探索を試みる人間はいない。命知らずの略奪者たちでさえ、下層区画から離れようとしない。


「どうしの、レイ?」

 ペパーミントが首をかしげる。

「なにか気になるモノでも見つけたの?」


「……ただ、この景色が――」

 そこまで口にしたが、自分が何を言おうとしていたのか分からなくなった。すでに失われてしまった記憶に思いを馳せて、感傷的になっていたなんて女々しいことは言えないし、言うつもりもなかった。


「いや、何でもない。汚染地帯が近くにあるのを確認したから、ここからは慎重に進もう」

 彼女は眉を寄せるが、それ以上質問することはなかった。


 つめたい風が吹くたびに鉄骨がきしみ、半壊した建物が不気味な音を立てて揺れ動く。いつ崩壊してもおかしくない建物の間を進む〈ジュジュ〉たちも不安なのか、ささやくような小さな声で鳴いていた。


 まるで互いをはげまし合っているようにも見えたが、そんな状況でもお喋りを続ける様子はとても興味深かった。〈集合精神〉でありながら、れで会話しながら思考する種族だということが良く分かる。


 けれど悪意が渦巻く廃墟の街では、あまりにも危うい種族だ。〈インシの民〉に保護されていたからこそ、この過酷な世界で生き延びることができたのかもしれない。


 そのジュジュたちが、勝手に何処どこかに行って迷子になってしまわないように注意しながら、ゴミと瓦礫がれきが散らばる道路を進む。かすかな雨音と静寂に包まれた路地には、ゴミ以外にも戦闘車両や機械人形の残骸が転がっている。


 瓦礫がれきが丁寧に積み上げられたバリケードの近くには、人間の骨や野生動物の頭骨が散乱しているのが見えた。その一部は、かつてこの場所を拠点にしていた人々の骨なのかもしれない。人擬きや昆虫の餌になり、骨しか残らなかったのだろう。


『レイ』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

『横倒しになった建物の先に、大きな虫がいるのを確認した。〈大樹の森〉でも見かけなかった種類の昆虫で、人間にとって脅威になる存在なのか分からないから注意して』


 偵察ドローンから受信していた映像を確認すると、軽自動車ほどの体長を持つ甲虫の姿が確認できた。つやのある黒紅色くろべにいろの硬い外骨格には白い斑点があり、鞘翅さやばねの付け根はフサフサした体毛に覆われているのが見えた。


 また鋸歯状きょしじょうの突起物が並ぶ脚や腹部も灰色の細かい体毛にビッシリおおわれていて、ムチのようにしなる触角しょっかくは胴体よりも長く、つねに小刻みに揺れ動いているのが確認できた。


 それはカミキリムシに似た昆虫にも見えたが、明らかに肉食性の凶暴な生物で、スズメバチのように攻撃的な姿をしていて近づくことすら躊躇ためらわせた。


「他の道を探そうか?」

 ペパーミントは不安そうな表情を見せるが、ハクと合流するためには、このまま大通りを進む必要があった。迂回することも考えたが、降り止まない雨で道路は冠水していて使えない。


 通りを塞ぐように派手に倒壊した建物の間を抜けて道路の反対側に出ると、カグヤが発見していた巨大な甲虫が近くにいるのが見えた。が、幸いにも襲われることはなかった。その昆虫は地面に横たわる略奪者の死体に夢中になっていて、こちらに長い触覚を向けるだけで、それ以上の動きを見せることはなかった。


 さすがのジュジュたちも巨大な昆虫の危険性を理解しているのか、体毛を逆立てながらゆっくりと肉食昆虫から距離を取った。


 ある程度の安全が確保できる場所まで移動したときだった。遠くから銃声が聞こえて、通りに爆発音が響き渡った。逃げ出した略奪者たちが人擬きと戦闘を繰り広げているのかもしれない。肉食昆虫は音に驚くと、巨大な半透明のはねを広げて、前肢ぜんしを使って死体の一部を抱えて何処どこかに飛んでいく。近くに棲み処があるのかもしれない。


 驚異が去ると、道路を挟んだ通りに出る。途中、沈んだ地下鉄駅の入り口を見つけた。ここでも人間が生活していたのか、錆びついたスチールフェンスと木材で簡単なバリケードが築かれているのが見えた。しかし水没したことで使われなくなったのだろう。


 略奪者たちの拠点は、赤レンガがえる壮麗そうれいな外観の教会を思わせる造りの建築物だった。というより、あれは旧文明期に建てられた教会なのだろう。よりにもよって略奪者たちは、ある種の人間にとって聖域として扱われてきた教会を根城にすることを選んでいた。


 建物入り口の大扉の左右には、古代ギリシャを思わせる大理石の巨大な彫像が立っていて、教会に入る者を威嚇するように見下ろしていた。スパルタの英雄だろうか、槍と盾を持った戦士の裸の胸に真っ赤な血液が飛び散っているのが見えた。敵拠点を襲撃したハクの仕業だろう。すぐ近くには手足を切断された略奪者たちの死体が横たわっている。


「カグヤ、ハクと連絡は取れたか?」

『うん、教会の奥で面白いモノを見つけたみたい』

「面白いモノ?」思わず首をかしげる。「またジャンク品でも見つけたのか?」

『ううん、隔壁かくへきで閉鎖されてるけど、どうやらエレベーターがあるみたい』


「そういえば……」と、ペパーミントが思い出したように言う。

「このあたりにも、〈兵器工場〉につながる路線があるみたい。ハクが見つけたのは地下鉄駅につながる通路なんじゃないのかな」


「それなら、この教会の地下にはまだ発見されていない旧文明期の施設があるのか……」

 以前、ペパーミントの工場で見た路線図の画像を視界に表示すると、たしかに現在地の地下に施設があることが分かる。


『鳥籠に向かう前に確認していく?』

 腕を組んであれこれと考えたあと、カグヤの質問に返事をした。

「実際に旧文明の施設があるなら、レイダーギャングに占拠させるわけにはいかない」

『レイダーが戻ってくることはないと思うよ』


「さっきの連中が戻ってこなくても、他の組織がやってくる可能性はある」

 実際のところ、旧文明期の技術で建造された教会は周囲の建物よりも堅牢で、拠点にするのに適しているように見えた。

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