第584話 廃墟


 灰色の雲が垂れこめた廃墟の街は薄暗く、どこか陰鬱いんうつな雰囲気が漂っている。川沿いに浮かんでいる旧文明の〈浄水装置〉が吐き出している雨雲の所為せいなのか、相変わらず冷たい雨が降り続いている。


 兵員輸送型コンテナのハッチが開くと、ジュジュたちがワラワラと通りに出てくるのが見えた。雨が降っていたので、びしょ濡れになるのを心配していたが、ジュジュたちの体毛は水をはじく性質を持っていたので、大雨でも降らない限り心配することはないだろう。とは言っても、危険な地域にいるので自由に動き回らせるわけにはいかなかった。


「ハク、ジュジュたちが勝手に何処どこかに行かないように見張っていてくれないか」

『ん、ハクにまかせて』


 ハクは小さな昆虫種族に向かって、ほとんど視認することのできない細い糸を吐き出して、かれらの手首や脚首に糸を絡ませていく。すべてのジュジュが糸でつながると、その糸を触肢に巻き付けていく。ハクの姿は、まるでリードにつないだ犬のれを散歩させている飼い主みたいだった。


 糸の強度を確かめるために引っ張ってみたが、しっかりしていて切れる心配はなかった。それもそのはず、ハクの糸は鋼の何倍も強度があり、同時に伸縮性もそなえているのだ。しかし糸につながれたジュジュたちは、あまり気にしていないのか、普段通りに落ち着きなく走り回っていた。


 糸が絡み合ったら大変なことになるだろうと思っていたが、ハクの判断で簡単に切断できる糸なので、それほど神経質になることもないのかもしれない。


「レイ、準備できたよ」

 レインコートを羽織はおったペパーミントがコンテナハッチから姿を見せる。都市に溶け込む落ち着いた色合いの外套がいとうは、〈環境追従型迷彩〉を備えているだけでなく、銃弾の軌道をらすことのできる〈磁界〉を瞬間的に生成可能な〈指輪〉の技術を取り入れて改良されていたので、信頼性の高い装備になっていた。


「ライフルは持ったか?」

「もちろん」


 彼女は笑みを浮かべたあと、可愛らしい仕草しぐさで背中を見せるようにくるりと回ってみせる。ショルダーバッグも肩に提げていたが、軽量で扱いやすいので邪魔になることはないだろう。


「ハクも準備できたか?」

『んっ、もちろん』

 ハクがビシッと脚を持ち上げると、なぜかジュジュたちもバンザイをするように、両腕を大きく上に持ち上げて奇妙な踊りを披露してくれる。


 輸送機は装甲の一部を〈環境追従型迷彩〉で擬装して、半壊した廃墟のなかに隠していたので、簡単に見つかることはないだろう。もしも何か起きても自動迎撃システムが作動して、重機関銃で脅威を排除してくれるし、カグヤの遠隔操作で退避させることもできるので心配する必要はない。


 目的の〈鳥籠〉に続く大通りには、ゴミと廃車が積み上げられていて道路がふさがれていたが、ほかにどうしようもなかったのでゴミ山のなかを歩く。日用品や家具が散乱しているのを見ながら、静かな雨音が響く通りを進む。それらの品々は、かつてこの街に暮らしていた人々の痕跡でもあったが、どのような生活を送っていたのかを垣間見ることはできない。


 廃墟が立ち並ぶ通りは不気味な雰囲気に支配されている。建物の壁は崩壊し、窓ガラスは割れ、壁は落書きだらけだった。しかし砂漠で生きてきたジュジュにとっては、何もかもが目新しい光景だ。


 ジュジュたちは街の陰鬱いんうつな雰囲気など気にせず、いつものように騒がしく走り回っている。鉄屑やゴミを拾って得意げにするジュジュがいれば、道路にできた地割れの中に転がり落ちて、ハクに助けられるジュジュもいて、見ていて飽きることはなかった。


 足場の悪い場所を歩くときには、ペパーミントが足元に散らばる瓦礫がれきやゴミで転ばないように彼女の手を取って歩いた。ゴミの山を越えて通りに出ると、樹脂製のコンテナボックスが散乱してあたり一面に日用品が散らばっているのが見えた。血溜まりや鮮血が飛び散ったあとがあることから、廃墟の街で交易を行っている行商人が襲撃されたことが分かった。


 大通りには、これといった特徴のない巨大な男性の彫像が倒れていて、その反対側を覗き込むと、案の定、大量の空薬莢が散乱していて、大破した大型多脚車両ヴィードルから黒煙が立ち昇っているのが見えた。


「ここで待っていてくれ」

 すぐ近くの建物を確認しに行くと、大量の瓦礫がれきとゴミのなかに商人たちの死体が放置されているのが見えた。


 女性は強姦されたあとに殺されたのか、下半身裸の状態で横たわっていた。死後硬直で股を開いたまま死んでいたが、比較的損傷の少ない死体だった。けれど男性の死体は見るも無残で、散々拷問されたあとに殺されていて、全身傷だらけの状態で手足も欠けていた。


「こいつはひどいな……」

 荷物の中から手のひらに収まる小さなドローンを取り出す。

「カグヤ、周囲の索敵を頼む」

『了解。まだ近くに敵が潜んでるかもしれないから、あまり目立つことはしないでね』

「わかってる」


 カグヤの偵察ドローンがフワリと浮き上がって飛んで行くのを見届けたあと、横倒しになった巨大な彫像の陰まで戻る。ジュジュたちは緑青ろくしょうおおわれた銅像が気になるのか、ハクと相談するように小声で何かを話をしていた。


「なにか見つけたの?」ペパーミントが眉をひそめる。

「商人たちの死体を見つけた」


 彼女に状況を説明しながら周囲に視線を向ける。すると、すぐ近くに放置された廃車のなかに、人間の骨が残されているのが見えた。ゴミ袋に酒瓶、経年劣化でボロボロに砕けたプラスチックが山と積み上げられ、不用品が車内に散乱している。動物の死骸も放置されているのか、吐き気を催す腐敗臭が漂ってきていた。


 と、そのときだった。街の上層区画から瓦礫がれきが降ってくるのが見えた。道路の一部だろうか、瓦礫が直撃した建物は大きく崩れて砂煙が立ち昇る。落下の衝撃によって落雷のような轟音が廃墟に木霊こだますると、その音に反応して、街のあちこちから〈人擬き〉の叫び声が聞こえるようになった。


 すると小さなジュジュが駆けてきて、バタリと転ぶのが見えた。ペパーミントがジュジュを抱きあげると、「ジュージュ、ジュジュ!」と鳴きながら、しきりに廃車の下を指差ゆびさしているのが見えた。


 しゃがんで確認すると、顔面の皮膚が崩壊した人擬きがい出てこようとするのが見えた。腐敗液にまみれた醜い化け物の顔面には、大きな眼が三つほど余分についていて、それをキョロキョロと動かしながら我々の様子をうかがっている。


 ハンドガンを抜いて弾丸を撃ち込むと、人擬きは動かなくなった。

『このあたりは人擬きが少ないけど、それでも注意しないとダメだね』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、周囲の状況についてたずねた。


『レイダーギャングは近くにいないみたいだね。ただ、雨の所為せいで痕跡が見つからないだけなのかもしれないから、警戒は続けたほうがいい』

「了解、そのまま周囲の索敵を続けてくれ」


 鳥籠に報告するため〈IDカード〉を回収して、死体を焼却したあと、廃墟の陰鬱いんうつな通りを進む。荒廃した道路のあちこちに水溜まりができていて、歩くたびに水が飛跳とびはねる。それが気に入ったのか、ハクが水溜まりをビチャビチャと叩くと、ジュジュたちも集まって水遊びを始める。


 時折、上層区画から瓦礫がれきが落下してくるのが見えた。その音が付近一帯に響き渡ると、呼応するように人擬きの声が聞こえた。近くに瓦礫が落下するようになると、建物の壁に張り付くようにして、飛んでくる破片から身を隠すことにした。


 半ば倒壊した建物の中からは、滝のように雨水が流れ落ちる様子が見られた。壁が崩れ、天井が抜け落ちていたため、雨がそのまま建物内に流れ込んでいるのだろう。


 しばらく建物の陰に隠れて上層区画の崩壊が落ち着くのを待った。雨水が流れる音があたりを包み込んでいて、その場所に立っていることが心地よかった。雨に打たれることは嫌いではなかったし、雨音は気持ちを落ち着かせてくれた。だからなのか、廃墟の陰鬱いんうつな景色にもかかわらず不安を感じることはなかった。


 音が聞こえなくなると通りに出て、鳥籠に向かって移動を開始する。狭い路地に入ると、ゴミのなかに機械人形の残骸が埋まっているのが見えた。有効活用することのできる部品がないか調べようとして近づいたときだった。いち早く敵の存在に気がついたハクが、ジュジュたちを廃墟に避難させる。

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