第574話 報告(色彩)(ノドの獣)


 遺物の調査に区切りをつけた〈探し続ける者〉に案内されながら、我々はコケアリの〈砦〉に向かうことになった。


 〈探し続ける者〉の身長は二メートルを優に超えていたので、彼女と会話をしていたペパーミントは終始見上げる必要がった。〈探し続ける者〉は異様に長い首をかたむけながら、ペパーミントの話に聞き入っていた。彼女の興味を引く会話をしているのか、他のコケアリよりも長い触覚をビクビクと動かしているのが確認できた。


 短く細かい毛にビッシリと覆われた頭部の――人間でいえば鼻にあたる部分から伸びる触角がむちのようにしなるのを、ペパーミントと手をつないで歩いていた少女は興味深そうに眺めていた。


 大きな複眼や感覚器官として機能する口髭ひげ、そしてカチカチ動く大顎には昆虫的なグロテスクさがあったが、その姿に嫌悪感けんおかんを覚えることはなかった。やはり人間の言葉を理解していて、翻訳装置を介しているとはいえ、意思疎通が可能ということが大きく影響しているのかもしれない。


 〈探し続ける者〉は、修道士が身につけているようなローブをまとっていたが、それは光沢を帯びた象牙色の特殊な繊維で仕立てられていて、どこか知的で洗練された動きからは気品さまで感じることができた。〈女王の魔術師〉を名乗るだけあって、彼女には他のコケアリにない特別な教育の機会が与えられているのかもしれない。


 腰の位置に巻かれたひもベルトには、布製の袋と一緒にガラス製の綺麗な容器が吊り下げられていて、彼女の動きに合わせて瑠璃るり色の液体が揺れているのが見えた。それはコケアリの能力を高める不思議な水薬、あるいは〝ポーション〟と呼ばれるモノなのだろう。


 ふと気になって、彼女にも〈闇を見つめる者〉と同じような能力が使用できるのかたずねた。もちろん身体しんたい強化きょうかの能力も使えると彼女はカチカチと笑う。そして体表を〈生体鉱物〉の被甲ひこうで覆うことで甲殻こうかくを強化することは、とくに驚くような技術ではないという。その能力は人類によってすでに研究されていて〈不死の子供〉たちの肉体にも採用された技術なのだからと。


 不意に皮膚の一部を瞬時に硬質化することができるのを思い出す。その能力によって何度か危機ききを脱してきたが、どうしてその能力が使えるのか考えようともしなかった。記憶にない人体改造によるモノだと思っていたが、どうやらコケアリ由来の皮膚細胞群による影響だったようだ。


 〈探し続ける者〉はこけに覆われた複眼を私に向けると、詳細については知らないと話したうえで、人類がこの能力をどのように利用しようとしていたのかも教えてくれた。

 なんでも、〈精神感応〉の特性を持つ開発段階にある合金で製造された装甲服と組み合わせて使用することで、全身の神経を装甲のシステムと接続することが可能になり、反応速度をはじめとして、多くの恩恵が得られるように設計されていたようだ。


 開発段階にある装甲服とは、〈ハガネ〉のことではないのだろうか? そうであるなら、〈ハガネ〉を思いのままに扱えることにも納得できる。あまりにも肉体に適応しているのだ。無意識に〈ハガネ〉の性能を使えるのは、〈不死の子供〉にだけ支給されたという特別な肉体のおかげだったのだろう。


 人類の生物工学バイオテクノロジーについてあれこれと考えていると、ペパーミントと会話していた〈探し続ける者〉が少女の額に向かって――あり中脚なかあしに相当する器官、つまり四本の腕のひとつを伸ばすのが見えた。


 キチン質の甲殻に覆われた指が触れるか触れないかの距離まで近づくと、指先から淡い青緑色の光が発せられるのが見えた。どうやら魔術のたぐいを使って少女の状態を詳しく調べるようだ。人類の高度な〈医療診断システム〉でも見つからなかった異常も分かるという。


 少女の容態は安定しているようだ。〈インシの民〉が異種生物をあやつるために使用するミミズのような生物も死滅していて、女神が話していたように、体内に残っている〝寄生虫〟も体外に排出されるから心配する必要はないらしい。


 コケアリの過去の経験則に基づけば、通常では考えられないことだったが、〈インシの民〉の影響からも完全に切り離されているので、あとは自意識の問題だけだという。しかしあせる必要はない。


 それに神の〈しろ〉になっていたことも考慮しなければいけない。女神との接触で〝神性〟を宿したことによって、少女の肉体にどのような変化がもたらされるのか、それは誰にも分からないことなのだから。


 広大な空間を持つ坑道に出ると、ひび割れた岩壁のあちこちにみずから発光する不思議な鉱石が埋まっているのが見えた。それはコケアリの支配領域で見られる一般的な光景だ。ここまで来ることができれば、敵性生物の奇襲に警戒する必要はなくなる。

 むせかえるような甘ったるい匂いに顔をしかめていると、目的の砦が見えてくる。


 古代文明の巨石遺跡を思わせる高い防壁の周囲には、黒蟻にまたがった兵隊アリの精鋭部隊が展開していて、剃刀の刃すら通さないほど隙間なく組み合わされた防壁の頂上にも兵隊アリたちの姿が確認できた。〈インシの民〉の遺跡を発端ほったんとした異常事態は落ち着いたと聞いていたが、女王が派遣した戦闘部隊は残っているようだった。


 〈探し続ける者〉が調査していた〈混沌の遺物〉が関係しているのかもしれない。もしも混沌の領域につながる〈神の門〉が自然発生するような事態になっても、すぐに対処できるための配慮だ。しかしこれだけの数の戦闘部隊が残っているということは、〈門〉が開くという根拠があるのかもしれない。


 金属製の巨大な門を通って砦内に入る。そこからは赤茶色の体表を持つ兵隊アリの部隊に案内されながら、〈闇を見つめる者〉が待つ広間に向かう。発光器官を備えた無数の昆虫が明るく照らす広間の中央には、大理石調の石材を削り出して作られた円卓と椅子が用意されていて、そこで話し合いが行われることになった。


 数日ぶりに再会した〈闇を見つめる者〉は我々の訪問に対して感謝の言葉を口にしたあと、コケアリの坑道で何が起きているのか話してくれた。

 〈インシの民〉の遺跡を中心にして坑道を侵食していた〈混沌の領域〉の影響は残っていたが、兵隊アリたちの活躍で混沌の先兵である〈混沌の子供〉たちを含め、〈混沌の追跡者〉などの多くの敵性生物が排除されていた。


 素早く対処できたこともあって、広範囲にわたって世界の改変そのものは行われなかったので、地形が大きく変化したり、生態系に影響を及ぼしたりするような混乱は起きなかったようだ。


 しかし混沌の影響を受けた区画では、〈あちら側〉の世界との接点ができてしまうので、超自然的に〈神の門〉が発生してしまう可能性があるという。だから数年の間、混沌の影響を受けた区画はコケアリたちによって閉鎖され、管理されることになる。


 残念ながら遺跡の管理者である〈インシの民〉は坑道で起きていることには無関心で、この件でコケアリに協力する気はないらしい。コケアリも〈インシの民〉とは関わりたくないようだったので、そのことに関して〈インシの民〉に抗議するつもりはなかった。


 責任の所在は明らかだったが、混沌に関係する微妙な問題なので、コケアリたちもこれ以上ややこしい問題にしたくないのだろう。


 それから〈闇を見つめる者〉が不在だった間、兵隊アリの部隊を指揮しながら坑道を調べていた〈探し続ける者〉から興味深い話を聞くことができた。


 長らく使用されていなかった坑道を調査していた部隊は、偶然、地底湖のようなモノを見つけた。坑道の深い場所で水域が形成されることはめずらしくないのだが、その地底湖は燐光りんこうを帯びていて、暗闇に淡い光を浮かび上がらせていたという。


 廃墟の街の地下にある坑道ということもあって、コケアリは汚染物質が流れ込んだ水源だと考えたが、どうも様子がおかしかったという。というのも、別の水域から流れてきた洞窟魚がその地底湖に入ると、まるで生命力を奪われるようにして、またたく間に干からびて消失するという光景を何度も見ることになったからだ。それが何の変哲もない汚染水だとしたら、そんな現象は起きない。


 そして不思議なことは続く。

 報告を受けた〈探し続ける者〉が現場にやってくると、異変をしらせてくれた兵隊アリの部隊が消えていて、地底湖も深く暗い穴を残して消失していた。〈探し続ける者〉は兵隊アリの言葉を疑わなかった。


 そもそもコケアリは人間とことなり嘘をくという概念そのものが存在しない。彼女たちは女王に対して常に誠実せいじつ忠実ちゅうじつなのだ。そして同胞はらからである姉妹たちに対しても、彼女たちはこの上なく忠実だった。


 数日後、また別の坑道を調査していた部隊によって不思議な地底湖が見つかる。しかし前回と同様の現象が繰り返され、〈探し続ける者〉が現場に到着するころには、地底湖は跡形もなく消えていたという。


 彼女は地底湖の捜索する部隊を編成すると、不可思議な〈色彩しきさい〉を放つ水源を本格的に調査することにした。しかし現在でも地底湖の所在はおろか、本格的な調査をすることもできていないという。


 さいわいなことに、地底湖は水脈から離れた位置に出現しているので、生命を奪い尽くす水源は廃墟の街にはたどり着いていないと考えられた。だから調査する機会はやってくると楽観していた。


 そこでカグヤが思い出したように、鳥籠〈紅蓮ホンリェン〉から得た奇妙な話について報告することになる。砂漠地帯を移動していた紅蓮の行商人が、見慣れないオアシスを発見したという。そのことを紅蓮に報告すると調査員が派遣されることになったが、くだんのオアシスはどこにも存在しなかった。


 調査員は行商人の言葉を疑ったが、隊商で働く人間全員が同じモノを見たと証言したので、調査は続けられることになった。それからというもの、行商人からオアシスの発見についての報告が相次いだ。だが結果は同じだった。調査員が派遣されるとオアシスは消えてしまっていた。


 移動する地底湖とオアシスに関係があることは明白だった。坑道でも捜索が行われることになるが、地上でも被害者があらわれる前に、本格的にオアシスの捜索をしたほうがいいだろう。今なら輸送機と〈ワスプ〉を使って捜索することもできるので、それほど時間をかけずに見つけられるだろう。


 それから〈ノドのけもの〉と呼ばれた異形の生物についてもたずねたが、残念ながらコケアリは、彼女たちが〈夜の狩人かりゅうど〉と呼ぶ生物について多くを知らなかった。あれが吸血鬼に似た性質を持つ生物であること、そして不死の存在であることは分かった。


 しかし〈ノドの獣〉が持つ不死という特性は、なにかの比喩ひゆ暗喩あんゆたぐいではなく、また人擬きのようにいつわりの不死の存在でもないようだ。


 あれは〈こちら側〉の世界に存在する生物と根本的に異なる〝非生物〟でありながら、同時にある種の――神のような完全性を持つ生物であるともいえる存在だ。


 たとえば〈重力子弾〉を使用することで、跡形もなく肉体を消滅させることはできるかもしれない。しかし実際には〈ノドの獣〉という概念を消し去ることはできない。それは〈こちら側〉の世界にとどまり、混濁こんだくのなかで復活のときを静かに待つ。そしてときがきたら姿をあらわし、世界に憎しみを振り撒く。〈ノドの獣〉とは、そういう存在だという。


 つまり他者によって認識された概念的存在であるがゆえに、消失することのない魂と肉体を与えられた存在ともいえるのだ。我々が存在すると認識しているモノを消すことはできない。あるいは〈ノドのけもの〉という概念を知る知性生物が消え去れば、〈ノドの獣〉も消失するかもしれない。


 しかしそれは現実的な解決方法ではないだろう。〈混沌の領域〉を含め、数千の惑星で存在が知られ、文献も多く残されているからだ。そして〈ノドの獣〉を知る数十億、あるいは数百億の知的生物を殺すことはできない。


 まるで呪いのような恩寵おんちょうを受けた不滅な存在である生物に対して、あわれみに似た感情をいだいたが、〈不死の子供〉と呼ばれる存在である以上、それを他人事として考えることはできない。


 コケアリたちは砂漠に消えた〈夜の狩人〉の捜索に協力してくれることになったが、正直な感想として、見つけたからといってどうすることもできない存在なので、放っておいたほうがいいと考えるようになっていた。


 それから働きアリと作業用ドロイドによって共同で進められていたトンネル工事について話を聞いた。混沌の勢力によって頻発ひんぱつしていた襲撃が落ち着いたこともあって、作業は順調に進められているようだった。保育園の拠点とトンネルでつながったら、次は〈大樹たいじゅの森〉にある拠点に向かってトンネルを掘り進めることになるだろう。


 そしてコケアリの女王と会談する予定になっていた〈インシの民〉について話が移る。その会談には私も参加することになるので、コケアリたちの地下都市を訪問することになりそうだった。

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