第565話 システム


 艦長席に座ると、反重力装置の作用によってわずかに浮遊するのが分かった。どうして椅子にそのような機能が備え付けられているのかは分からなかったが、自由に移動できるほうが、指揮する際には便利だったのかもしれない。


 オペレーターのためのデスクが並ぶ中央制御室は、戦闘指揮所や各種制御ステーションとつながっていて驚くほど広い空間になっていた。上層にあるステーションに用事があるときには、歩いて行くよりも飛んで行くほうが楽だと考えた人間がいたのだろう。


 けれど艦長席に備え付けられていた端末を使えば、各制御ステーションに接続して、端末を遠隔操作することができたので本当の理由は分からない。旧文明の艦長ともなれば、空中に浮かんでいなければ格好がつかなかったのかもしれない。


 玉座のように心地いい艦長席に座っていると、ひじ掛けの一部が変形して収納されていたコンソールとは別の装置があらわれる。手形のような窪みがある装置は、生体認証を行うためのモノなのだろう。


 その手形の装置は人間のためだけに用意されたモノに見えたが、実際には小指のとなりに親指のような器官がもう一本存在していた。人体改造された人間、あるいは異星生物にも対応していることが分かった。異星生物や〈亜人〉と呼ばれる異種族でも、宇宙軍の将官になれたのかもしれない。


 それは〈旧文明期以前〉に存在していた人種間による差別のことを考えると、驚くべき事実だった。旧文明期以降に人類の精神構造を根本から成熟させるような変化があったのか、あるいは別の肉体に精神を転送するという行為が一般的になったことで、肌の色や人種による差別そのものが意味を失くしてしまったとも考えられた。


 いずれにせよ、人類の意識から差別という概念がなくなったことは喜ばしい事実だった。結局のところ、異星生物から見た人類はひとつの種族でしかなく、そんな些細なモノに気を取られて争っていること自体がおろかな行為だったのかもしれない。


 そして人類を区別する定義そのものに変化が起きたことも関係しているのだろう。軍による情報統制が当然のように行われていたことを考慮すれば、それが正確な情報なのかも疑わしかったが、〈仙丹せんたん〉を服用することで半永久的な命を手に入れたグループと、宇宙軍によって改良された肉体を手にする人間、そして〈不死の子供〉と呼ばれる得体の知れない存在……。新たな人種の登場で、常識に変化があったと考えてもおかしくはないだろう。


 ともあれ私は気持ちを切り替えると、その窪みに手をのせた。〈顔のない子供たち〉からは、とくに指示はされなかったが、いつものように接触接続を行う。すると奇妙な手形が真っ赤に明滅して、手のひらに静電気にも似た刺激を受ける。


 その瞬間、膨大な情報が頭のなかに流れ込んでくる奇妙な感覚がした。突然のことに困惑したが、取り乱すようなことはしなかった。艦長席にじっと座ったまま、それが過ぎ去っていくのを待った。カグヤも情報の処理に追われているのか、彼女からの反応も得られなかった。


 言葉で説明することは難しかったが、軍艦を制御するシステムと直接つながり、人間の精神を越えた存在になれるような気がした。もちろんそれはただの錯覚さっかくで、人間を超越ちょうえつしたような全能感は、頭の中を通り過ぎていく膨大な情報と共にすぐに消えてしまう。


 でもその瞬間、たしかに得体の知れない存在の一部になれた気がした。それの正体は分からない。軍艦の全システムを制御する人工知能だったのかもしれないし、それよりもはるかに強大な存在である〈データベース〉だったのかもしれない。いずれにせよ、それは一瞬のことで、ある意味〈神〉とも呼べる存在との邂逅かいこうは瞬く間に過ぎ去っていった。


 その間、思考する速度は人間のソレを越えて、人造人間のソレに匹敵するほど速くなり、艦内のあちこちに配備されている数百体の機械人形に意識が宿ったように感じた。ひとりの人間でありながら、同時に艦内に存在するありとあらゆる人工知能を自分自身のように感じられる存在になっていた。


 それは艦内に設置されている装置やソフトウェアも例外ではなかった。隔壁を制御する小さな端末でありながら、同時に数百を超えるモニターであり、自動攻撃タレットでもあった。思い通りに手足を動かすことができるように、戦術核兵器の発射装置を操作できたし、艦載機射出用カタパルトや姿勢制御用スラスターも制御することができた。


 その瞬間、私は旧文明の鋼材に覆われた全長六百メートルの軍艦そのものであり、あらゆるシステムを自在に操作できる人工知能の一部でもあった。


 しかしひとりの人間の手に余る膨大な情報は、川の流れが海に合流するように、やがて巨大なシステムの一部に統合されていく。それは旧文明の技術者たちによってつくられた完璧で安全なシステムだ。宇宙軍に忠実で、あらゆる場面に対処し、同時に数え切れないほどの情報を処理しながら、常にシステムを正常に動かすための自己修復を継続するシステムだ。


 今は負傷した獣のように暗がりに身を潜めて傷口を舐めているような状況だが、おそるべき免疫能力によって着実に機能の回復が行われている。損傷した装甲を修理する自律型の修理ユニットは、まるで血液中の血小板のように機能し、船体の機能を維持してシステムが正常に働く手助けをしてくれる。それは独立した一個の存在として機能するようにつくられた〝生命体〟でもあるのだ。


 けれど精神を――魂とも呼べるモノを与えられていないシステムは、植物状態の人間が生命活動を維持している状態と変わりないのかもしれない。大脳のように思考するための機能が損なわれた状態では何もできない。だから意識を持つ艦長を必要とするのだ。他種族との精神のむすびつきによって、システムを超越した存在になるために。


 全システムとの接続が完了して、それを知らせる通知が拡張現実で目の前に浮かび上がると、生体認証に使用された奇妙な装置は艦長席のひじ掛けに収納される。


 艦長席のコンソールからは、各種ステータスを表示するホログラムが投影されていて、システムの復旧状況を確認することができた。立体的に表示されるグラフや数字はシンプルなモノだったが、子どもでも直感的に理解できる優れたデザインだった。それによれば不完全な状態だったが、システムの自己修復が効率的に実行されるようになったみたいだ。


 ふと警備システムの修復を行っている〈顔のない子供たち〉のことを考える。すると反射的に〈保安管理室〉の様子が分かる映像が網膜に投射される。無数のデスクが並ぶ無機質な部屋に数名の〈顔のない子供たち〉がいて、デスクに備え付けられていた端末からケーブルを伸ばし、それを首筋の装置に接続しながらキーボードを操作している姿が確認できた。


 システムの修復は驚くような速度で進行していて、ほどなく警備用の機械人形を派遣できることが分かった。艦長としての権限によるモノなのか、艦内の状況がリアルタイムで受信できるようになっただけでなく、システムを介してあらゆる装置の遠隔操作が可能になった。もちろん操作が可能になっただけで、艦内の設備のほとんどが現在も機能不全におちいっていて、人工知能によって修復が行われている段階だった。


『艦内のデータベースによって正式に承認されたことを確認しました。レイラ艦長、指示をお願いします』

 少年から受信して内耳で再生される音声を聞きながら、仲間たちの状況を確認する。

「まずは仲間の安全を確保したい」

『承知しました。緊急を要するセクションを優先し、警備用〈アサルトロイド〉の派遣を決定、艦内に侵入した寄生体の排除を開始します』


 短い通知音のあと、艦長席の周囲に浮かんでいた複数のホログラムディスプレイに通路の様子が映し出される。警告音のあと合成音声による避難警告が艦内に流れて、ホログラムによる警告表示が通路のあちこちに投影される。すると変形機構を備えた一部の床と壁が動いて、充電装置につながれた真新しい機械人形が次々と姿をあらわす。


 軍用規格の各種装備を搭載した〈アサルトロイド〉が、規則正しい動きで装置から離れると、通路は元の状態に戻って機械人形の群れだけが残された。それと並行して非常用隔壁を操作することで、通路の封鎖と開放が行われて寄生体の群れを分散、誘導し孤立させてから各個撃破していく作戦が実行される。その過程かていでアレナの部隊や兵隊アリたちを支援するための機械人形が派遣される。


 機械人形による保安巡回に関する警告音声が流れるなか、光沢金属を持つ白い装甲に覆われた機械人形は通路を移動し、変異体が確認できた場所まで最短距離で移動する。それらの機体の周囲には、常に警告表示が投影されていて周囲に危険な状況であることを知らせていた。


 コウモリダコにも似た紫黒しこく色のグロテスクな化け物の姿が見えると、マニピュレーターアームに組み込まれた強力なレーザーガンによる攻撃を開始する。通路に赤色の閃光がまたたくと、おぞましい姿をした化け物の触手は焼き切られ両断されていく。地面に転がるソレは跳ねるように痙攣けいれんし、気色悪い体液を撒き散らしていく。


 遠距離からの攻撃に対応するため、変異体は強酸性の体液を吐き出すが、それらの吐瀉物としゃぶつがアサルトロイドの装甲を傷つけることはなかった。機体の周囲に展開している力場によって生成されるシールドよって、機械人形は保護されていた。シールドを生成する際に使用されるエネルギーは、空間伝送型電力供給システムによって常に給電きゅうでんされているので、エネルギーの使用量を心配する必要がなかった。


 圧倒的に優勢な状況に変化が起きたのは、寄生体がコケアリの遺体に取り付いたときだった。寄生体のブヨブヨとした身体からだは、まるで溶けるようにして粘度の高いドロドロとした液体に変化すると、兵隊アリの外骨格の隙間や口から体内に侵入していく。


 するとコケアリの遺体は徐々に光沢のない紫黒しこく色に染まり、失われた手足や体表からは粘液質のうごめく物体によって形成された触手があらわれ、失われた部位の代りとして機能する器官に変化していった。


 その異様な変化は、コケアリの遺体に取り付いていない寄生体にも伝播でんぱして、気がつくとコケアリとコウモリダコが融合したような生物が通路を徘徊するようになる。そして恐ろしいことに、それらの出来損できそこないの生物はコケアリの身体能力を持ち、俊敏に動き、恐るべき怪力で機械人形に襲いかかるようになった。

 異形のコケアリに変異した寄生体が繰り出す打撃は、機械人形がまとっているシールドを容易たやすく貫通し、機体を破壊していた。


 どのように情報が共有されているのかは分からなかったが、遠く離れた別の区画でアレナの部隊と交戦していた寄生体も次々と身体を変異させて、異形のコケアリに姿を変えていった。下半身に無数の触手を生やしたコケアリの化け物は、まるでタコのように、吸盤のある触手を動かしてヤトの戦士たちに迫る。


 すぐに掩護が必要だ。そう考えた瞬間、狙撃が可能な兵器を搭載した機械人形の情報が目の前に投影される。強力な兵器を使用して接近される前に寄生体を処理することができる機体だ。


 席を立つと、先ほどからデータベースに接続して情報処理の手伝いをしてくれていた少年の脇に手をいれて、小さな身体からだを持ち上げると艦長席に座らせた。少年は情報の処理に追われて集中しているのか、無反応だった。


 それから保安設備を制御するための専用端末があるデスクまで歩いて行く。少年が座る艦長席は、私のあとにフワフワとついてくる。目的のコンソールを見つけると、コマンドを直接入力して目的の機械人形を動かすためのシステムを強制的に再起動させる。

 機械人形の起動を確認すると、部隊の掩護に向かうことを少年に伝える。瞳をチカチカと明滅させていた少年は、小さくコクリとうなずいて作業を継続した。


 少年を連れていくことも考えたが、皮膚の下に金属の骨格を持っていたとしても寄生体との戦闘は困難だと判断し、中央制御室に残していくことにした。寄生体はこの区画を無視して部隊を攻撃しているので、少年が化け物に襲われる心配はないだろう。


 一部の区画で攻撃タレットに関するシステムの復旧が確認できると、すぐにそれを起動して寄生体を攻撃させる。そしてカグヤに部隊の状況を確認してから、寄生体の大群に襲撃されているアレナの部隊の支援に向かうことにした。


 中央制御室を離れても艦長としての権限が失われることはない。拡張現実によって表示される無数のディスプレイのおかげで艦内の様子が分かるので、不測の事態にも対処できるだろう。

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