第560話 格納庫
炎と黒煙が立ち昇る軍艦から視線を外すと、空間拡張によって広さが確保されている〈ワスプ〉の機内に視線を移す。振動すら感じさせることなく
軍に所属する人間には、特別に設計された遺伝情報をもとに、戦闘に適した改良が施された
私のとなりまでトコトコとやって来たジュジュが、口吻をカチカチ鳴らしながら行儀よく座ろうとしているのを手伝っていると、マーシーが咳払いする。
「つまり神の門から出現した軍艦は、墜落時期も不確かな軍艦と同じものだったんだな」
私の言葉に彼女はうなずくと、ホログラムで再現された艦船を並べる。
『そうだね、同型艦で間違いない』
「それが本当なら、建造された時期も近いのかもしれないな……。でも疑問があるんだ。俺たちが見た軍艦の残骸は、あそこで炎上している軍艦よりもずっと古いモノに見えた」
岩壁に同化するように埋まっていた軍艦の状態から見ても――推測でしかないが、数世紀ほど昔に墜落したモノだと考えられた。
『たしかに異常だと思う』と彼女はうなずく。『でも空間の歪みに捕らえられていたのだとしたら、時間軸の違いで説明することができるかもしれない』
「捕らえられる?」
『空間に生じる
「それが〈神の門〉と呼ばれるものなんだろ?」
『混沌の領域につながる歪みも存在するから、完全に同じものだとは言えないけど、ワームホールのようなものだと考えてくれたらいい。その出入口の間には、ある地点から別の離れた地点につながる空間が存在する』
「トンネルのような場所だな」
『うん。あの軍艦は、その領域に取り残されていたのかもしれない』
すると昆虫種族を観察していたドローンからカグヤの声が聞こえる。
『軍事作戦に参加していた艦船が、なんらかの理由でそれに近い空間に侵入してしまった。そしてそこから脱出するときに、別々の時間に飛ばされてしまった。そういう解釈で間違ってない?』
眼鏡の位置を直しながら、マーシーは答えた。
『話が早くて助かるよ。もちろん私の勝手な推測でしかないけど、そこに存在する軍艦の残骸や砂漠地帯の異常性について考えると、ここで何が起きていても不思議じゃないように思えてくるんだ』
『それが事実だと仮定して話を進めるけど、マーシーはなにが問題になっていると考えているの』
『軍艦の残骸がある地域で、強化外骨格を装備した兵士たちと戦闘になったことは覚えてるよね』
人擬きウィルスに感染していた美しい女性が、瞬く間に
「生物災害か……軍艦の搭乗員が人擬きになっている可能性がある、それがマーシーの懸念なのか」
『それだけじゃない』
「と言うと?」
『兵士たちの遺伝子に加えられた大量の改変について考えると、彼らが人擬きウィルスに感染している、なんてことは考えられないの』
「……言われてみれば、たしかに不自然だな」
マーシーがうなずくと、彼女の顔に対して少し大きな眼鏡がズレてしまう。彼女は顔をしかめると、中指をつかって眼鏡の位置を直した。マーシーが眼鏡にこだわる理由は分からなかった。結局のところ、その女性はマーシーが作り出した仮初の姿でしかないのだ。でもそれと同時に、今も冷たい水槽のなかで泳いでいる彼女にとって、眼鏡が大切なモノなのだということは理解できた。
『でもね』と、彼女は続ける。『既存のウィルスが混沌の領域に存在する何かしらの影響を受けて、人類でも対処することのできない未知のウィルスに変異してしまった事例も確認されているんだ』
「あの軍艦の搭乗員が、その変異ウィルスに感染しているのだとしたら――」
『すでに全滅してしまっているかもしれないし、キャプテンの脅威になるような、恐ろしい変異体になっている可能性もある』
巨大な軍艦にちらりと視線を向けたあと、私は気になったことについて
「その変異ウィルスに俺たちが感染する危険性はないのか?」
密閉された艦内にウィルスが残っているのだとしたら、間違いなく大変なことになる。
『空気中に
「もしも人擬きに変異したクルーが生存できる環境なら、艦内にウィルスが残っている可能性も充分にあるのか……」
ふと嫌な胸騒ぎがして、気密ハッチの周囲に展開されていたシールドの状態を確認する。シールドが汚染物質に対して効果があることは、拠点に防壁を築いたときにカグヤに教えてもらっていたので、ウィルスの侵入に警戒する必要がないことは分かっていた。けれどそれでも、薄い膜の向こうに未知のウィルスが漂っているかもしれない、という状況は恐ろしい。
『もしそうなっていたら』とカグヤの声が聞こえる。『軍艦の調査は諦めたほうがいいのかもしれない』
「ハガネの鎧があるから心配する必要はない」と、私は自分に言い聞かせる。「いざとなれば、俺がひとりで調査を行う」
『これ以上の危険を冒してまで、調査にこだわる必要はないと思うけど』
「旧文明の遺物を収集している〈不死の導き手〉が、あの軍艦のことを知ったら大変なことになる」
『インシの民がいるかぎり、教団は砂漠地帯で自由に行動することはできないよ』
「廃墟の街からやってくることはないだろう。でも
人造人間とのつながりも発覚した以上、教団が砂漠に来ることはできない、なんて幻想は捨てたほうがいいだろう。
「思い出した!」と、突然ウェイグァンが大きな声で言う。
『グァン、なにおもいだした!』
ハクが誰よりも早く反応して、青年の側にやってくる。
「紅蓮の近くで、こいつらに似た虫を捕まえたことがあったんだよ」
『こいつら、ちがう。ジュジュだよ』
「そう、そのジュジュに似てる虫を見つけたから――」
『ジュジュ、むし、ちがうよ?』
ウェイグァンはいちいち訂正するハクに苦笑しながら情報端末を操作した。するとハクのタクティカルゴーグルにいくつかの画像が表示される。
『グァン、すごい。ジュジュ、にてる!』ハクは興奮してベシベシと床を叩く。
「だろ!」と、ウェイグァンは笑顔になる。
『私にも見せてくれる?』カグヤのドローンが音もなく近づくと青年は驚いたが、すぐに情報を共有してくれた。
カグヤから送られてきた情報を確認すると、小さな昆虫を手にのせているウェイグァンの画像が拡張現実で浮かび上がる。黄土色の甲虫はフサフサの体毛に覆われていて、たしかにジュジュに似ていた。
もっとも、ジュジュは黒い外骨格を持っていたし、フサフサの体毛は
「……日本では〈ライオンコガネ〉って呼ばれていたのか。でも、アフリカに生息する甲虫がどうして横浜に?」
疑問を口にして顔をあげると、私を睨んでいるマーシーの顔が見えた。
『ねぇ、キャプテン』と、彼女は腰に手をあてる。『危険な場所を調査しようとしているんだよ。もう少し緊張感を持ってほしいんだけど』
「すまない」
『べつにいいけど』と彼女は頬を膨らませる。
「話を戻すけど――」
『どうぞ』と、彼女はトゲを含んだ声で言う。
「……軍が使用する特別なネットワークにつながれた軍艦なのに、どうして俺の存在に反応しなかったんだ。ほら、マーシーは俺が軍に所属していたことにすぐ気がついただろ?」
人擬きに変異した兵士たちと戦闘になったときにも、友軍に対する攻撃について警告を受けたことを覚えている。
質問に答えたのはカグヤだった。
『軍のネットワークから切断されているんだと思う。データベースに接続されていたら、友軍に対して攻撃なんてしないし、レイのIDにも反応していたのかも』
「でも人工知能らしきものは、俺たちに警告射撃を行った」
旧文明期の魔法のような技術の数々を見てきた。それなのに人工知能だけが与えられた単純な命令だけを――異様な事態に直面しているのにも
ハクがやってくると、私のとなりで大人しくしていたジュジュを
『ジュジュ、むしだった?』
「ジュージュ、ジュッジュー」と、昆虫種族は口吻を鳴らす。
『ジュジュ、なにもの?』
ハクの言葉にジュジュはグズる子供のようにモゾモゾと身体を動かす。
「ジュジュ、ジュージュ。ジッ、ジュ!」
『ちょっと、むずかしいかもしれない』
ハクは嫌がるジュジュを連れて、闇を見つめる者の側に行くと、翻訳機をつかってジュジュの鳴き声を理解できる言葉に翻訳しようとした。
『キャプテン?』
「すまない」マーシーに視線を戻すと、軍艦の危険性について質問した。
『たしかに人類の兵士にすら脅威になるような、致命的な悪疫が発生している場所に接近することは危険だと思う。でもギリギリのタイミングで連絡してきたのはキャプテンだよ。それに私は最善の努力をしているつもりだよ』
「いや、マーシーを責めているわけじゃないんだ。少ない情報で色々と考えてくれているから、むしろ感謝しているんだ。ただ、このままワスプに乗っていてもいいのか不安になったんだ」
『それは大丈夫。カグヤに協力してもらってワスプの操作権限はすでに奪取してある。安全性が確認できないような状態でハッチを開いたりしない。それでも戦闘の準備はしておいてね。推測が間違っていなかったら、未知のウィルスに感染してしまったクルーに襲われるかもしれないから』
彼女の言葉にうなずくと、巨大な軍艦に視線を向ける。五十メートルほどの高さがあるのだろうか、壁のように
「俺たちはどこに連れていかれるんだ?」
武器を搭載したドローンが隊列を組んで飛んで行くのを見ながら
『格納庫だよ』と、マーシーは答える。『その性質上、常に滅菌と浄化作業が行われていて、汚染されていない空気が循環するようになっているから危険性はないと思う』
しばらくするとワスプは動きを止める。少し間があって、つなぎ目ひとつない軍艦の装甲に亀裂があらわれるのが見えた。その亀裂が縦に割れると、また別の亀裂があらわれる。そして巨大な隔壁が船体から迫り出すように姿を見せる。その隔壁が左右にスライドするように開いていくと、ワスプのためのリフトを残して装甲の隙間に引きこまれていく。そのリフトにワスプが乗ると、巨大なレールにつながれたクレーンがあらわれて、先端に取り付けられた機体回収アームによってワスプは固定される。
「本当に大丈夫なのかよ」と、ハクの側に立っていたウェイグァンが心配そうにつぶやく。
格納庫だと思われる広大な空間に向かって移動するワスプの機内からは、等間隔に並べられた無数のワスプや、射出用カタパルトとしても機能すると思われる機体固定用パレットに載せられた多数の戦闘機らしきモノも見えた。
「空間拡張か……それにあの機体、今にも動き出しそうだな」
私の率直な感想にカグヤが反応する。
『そうだね。この格納庫にある機体は、どれも完璧に整備されているみたい』
格納デッキまで運ばれると機体から回収アームが外され、ワスプの機体下部から着陸脚が展開される。
「マーシー、格納庫の様子は?」と、閉じていく隔壁を見ながら訊いた。
『今のところ生物の反応は検知できていない』
「空気の状態は?」
『ワスプのセンサーによれば、汚染は確認できない。これは予想通りだね』
「艦内の様子を知るには、どうすればいい?」
『適当なコンソールを見つけて、管理システムに接続する必要がある』
「わかった」
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