第555話 儀式


 砂漠に吹く強い風に小さな身体からだを揺られながら、少女は夜の狩人が消えた空間をじっと見つめていたが、どこからともなく戦闘音が聞こえてくると、何事もなかったかのように祭壇に向かって歩き出した。私は周囲に敵がいないことを確認すると、ハクを連れて少女のあとについていく。


「もうすぐドラゥ・キリャンモの部隊がやってくる」と、少女は砂丘のなだらかな起伏に視線を向けながら言う。「遺物はレイラの手で彼らに返して」

「それは――」

「やらなければいけない大事なことだよ」と、彼女は私の言葉をさえぎる。「彼らはこの場所で何が起きたのか知る必要があるし、砂漠の異常事態に対処したことは、レイラの影響力を高めることにもつながる。ドラゥ・キリャンモは、神の門を閉じることができると証明したレイラと、その組織に最大限の敬意を払うことになる。そしてそれは、今後も砂漠地帯で彼らと共存していかなければならないレイラに必要なこと」

『私たちの影響力を明らかにするんだね』

 偵察ドローンからカグヤの声が聞こえると少女は小さくうなずいた。


『それで……』とカグヤ遠慮がちにたずねた。「女神さまは目的を達成できた?』

「神の門を閉じることはできたけれど、うしなわれた力を取り戻すことは叶わなかった」と、少女は振り向くことなく答える。

『やっぱり女神さまだったんだね。くした力っていうのは、異界で見せた能力のこと?』

「そう。それが私の目的だったから」

『女神さまが以前、私たちに警告した脅威っていうのは、闇を見つめる者が〈夜の狩人〉って呼んでた大きな獣のこと?』

「違う。ノドの獣がこの世界にあらわれることは想定していなかった」

『あの獣も混沌の領域からやってきたのかな?』

「混沌の領域に迷い込んでいた獣が、混沌の浸食に巻き込まれてこの地にやってきた可能性はあるけど、ノドの獣は混沌の勢力に属していない」

『混沌の化け物と敵対しているってこと?』

「積極的に関わることはないけれど、その必要があれば混沌の生物にも容赦はしない」


『それなら脅威っていうのは、あの戦艦のこと?』

 少女は立ち止まると、聞き取れないほどの小声でなにかつぶやく。するとドクトカゲのラガルゲがのっそりとやってくる。ラガルゲのうろこは化け物の返り血で濡れ、日の光を帯びてぬらぬらと光っていた。

 少女はドクトカゲのとなりに立つと、母親に抱っこをせがむ子供のように、私に向かって両腕を伸ばす。彼女の両脇に手を入れて持ち上げるとラガルゲの背に乗せた。少女は満足そうに鼻から息を吐いて、砂丘のずっと向こうに見えていた巨大な戦艦に視線を向ける。


「神の門によって生じた空間のゆがみは、ありとあらゆる世界に……混沌の領域を含む多元宇宙につながっている。その空間のどこかを漂流していた艦艇が、神の門に生じた異変によってこの世界に引き寄せられた。けれど神の門が引き起こす現象に〝偶然〟は存在しない。であるならば、あの軍艦がこの地にやってきたことにも意味はある。でも、カグヤが知りたかったのは、あれが私たちの脅威になるのか……」

『脅威になるの?』

「ならないし、なりようがない」

『どうしてそんなことが分かるの?』

 少女は肩をすくめると、強い日差しから肌を守るように象牙色の布で顔を覆った。


 突発的に襲いかかってくる化け物に対処しながら祭壇に向かう道中、闇を見つめる者と合流するが、彼女はすぐに兵隊アリたちを連れて恐竜じみた化け物の掃討に向かった。ハクが操る怪光線によって化け物の数は減っていたが、サソリ型の変異体も確認できたので、まだ気を抜くことはできなかった。


 断続的な爆発音が聞こえると、あまりにも巨大で遠近感がおかしくなったように感じられる宇宙艦に視線を向ける。

「カグヤ、あの戦艦の監視ができないか?」

『もうカラスに頼んであるから、すぐに状況が確認できると思うよ』

 視界に俯瞰映像が表示されると、宇宙艦に搭乗していた乗組員の姿を探すが、この異常事態に混乱しているのか、戦闘員らしき存在の確認はできなかった。


 その宇宙艦は、廃墟の街で多く見られる墜落した軍艦の残骸と設計思想が似ているように見えたので、それが人類の兵器だということは予想できたが、艦艇の種類と正式名称は依然として分からなかった。戦艦と呼ぶに相応しい多数の兵器を搭載していたので、輸送艦には見えなかったが、データベースの閲覧制限の所為で詳細は確認できなかった。

 その軍艦の側面の映像が拡大表示されると、人間の背丈ほどある無数の気密ハッチが開いて、小型ドローンが次々と飛び出していくのが確認できた。おそらく修理ドローンのたぐいなのだろう。装甲のあちこちから立ち昇る黒煙と炎に向かって飛んで行くのが見えた。


『それで』と、カグヤはずっと気になっていたことを少女にたずねる。『その身体はどうなっているの?』

「もう気がついていると思うけど、この身体の持ち主はとうの昔に死んでいる」

 少女はそう言うと、遺跡のにえの間で裂いた首筋をゆっくりと撫でた。

『短剣で切り裂いたときに死んだの? それとも――』

「違うよ。この子は廃墟の街で〈人間狩り〉の集団に捕まったあと、砂漠でインシの民に献上された。死んだのはそのときで、今日じゃなかった」

『人間狩り……彼女は奴隷だったってこと?』

「見当がついているみたいだから、わざわざ言うことじゃないと思うけど、この子はレイラの拠点で保護している亜人の同胞だよ」

『亜人って、リンダの一族のこと?』


 少女はうなずいたあと、顔面を覆っていた布をめくる。

「人間離れした容姿をみれば一目瞭然でしょ」

『たしかに〈アシェラーの民〉に似た雰囲気と気配があるけど……』

「もちろんそれも偶然じゃない。すべての物事には意味がある」少女はそう言ってラガルゲの背中をポンポンと叩く。「彼女を捕まえた人間狩りは、彼女を救おうとした一族の執拗な追跡を振り切って砂漠地帯にやってきた。けれどそこでドラゥ・キリャンモの一団に捕まってしまう。残忍な人間狩りといえど、戦うためだけに存在しているような昆虫種族にはかなわない。だから彼らは必死に命乞いをして、自分たちが所有している最も価値のあるモノを献上することで許してもらおうと考えた」

『価値があるモノ?』

「もちろん少女のことよ。でもそれは叶わなかった。ドラゥ・キリャンモは彼らに力を示すことを求めた」


『あの儀式めいた決闘を強制したんだね』と、偵察ドローンはカメラアイを発光させた。

「そう。彼らは負けて、たちまち皆殺しにされてしまった。でも少女は戦士ではなかった。だからその場では殺されなかった。他にも使い道があったから」

『インシの民の身体として?』

紅蓮ホンリェンからやってくる商人と交渉するさいには、人間の身体のほうが便利だって知っていたから」

あわれな少女は殺されてインシの民のうつわにされた。どの道、彼女に救いはなかったんだね』

「そうでもないよ。少なくとも彼女は苦しまずに死ねたんだから」

『どうやって殺されたの?』

「これを体内に入れられて」

 少女はそう言うと、眼球とまぶたの隙間から出てきたミミズのようなひも状の生物を、指に絡めてゆっくり引き抜いた。それは少女の手の中でうごめいていたが、やがて干からびてちりに変わる。


「彼女は眠るように死んだけれど、肉体はいつでも使用できるように、彼らの都市で保管されていた」と少女は続ける。「そして強制的に活動を再開させられた肉体は、生け贄の間で再び生死の境をさまようことになった」

『女神さまがしろにしていた土人形が壊れたとき、少女に憑依したってこと?』

 カグヤの問いに少女はうなずく。

「傷口の治療やら体内の生物の対処で、いろいろと大変だったけど、肉体との相性は悪くなかったから大きな問題はおきなかった」

『ヒメはどうなったの?』

「体内の生物はいずれ干からびて体外に排出されるけれど、ドラゥ・キリャンモの意識は残る。もっともそれは残滓のようなもので、集合精神からは完全に切り離されてしまっているから、別の人格として捉えたほうがいいのかも」

『女神さまは、その肉体にとどまらないの?』

「ええ。散々な結果に終わったけれど、ある程度の目的は達成できたし、この世界にとどまる必要がなくなったからね」


 地下に流れ込んだ大量の砂によってできた傾斜を下って祭壇に向かう。すると我々の姿を見つけたジュジュたちがワラワラと駆け寄って来て口吻こうふんを鳴らす。残念なことに小さな昆虫種族の言葉は理解できなかったので、ジュジュたちが我々に何を伝えたかったのか分からなかった。あるいは、恐竜の化け物からジュジュたちを守ったことに感謝してくれていたのかもしれない。


 ジュジュたちはハクの体毛にしがみついて腹部に登ろうとするが、ハクの周囲に浮かんでいた球体から漏れ出る冷気にあてられて、身体を硬直させながら地面に落ちていった。しかし硬直が解けると、すぐにハクのあとを追いかけ体毛にしがみついていた。危険な行為に思えたが、楽しんでいるふしがあったので放っておくことにした。


 付近一帯の化け物を掃討したからなのか、トゥエルブが操縦する輸送機はすでにアレナたちの掩護に向かっていて姿が確認できなかった。

「無事でよかった」と、ペパーミントがホッとした表情を見せる。「気がついたらヒメもいなくなっていて、すごく心配したんだよ」

「私は大丈夫」

 少女は笑顔をみせると、私に向かって腕を伸ばした。少女をラガルゲの背中からおろしてあげると、彼女はインシの民の祭壇に向かって歩いて行く。祭壇は変化していて、左右に立っていた方尖柱ほうせんちゅうはなくなっていた。石棺にも見える飾り気のない長方形の黒い石壇があり、骨でつくられた長剣が無雑作に置かれていた。


 アレナが指揮するヤトの部隊とウェイグァンが率いる愚連隊の状況を確認しながら、宇宙艦の監視を続けていると、インシの戦士がやってくるのが見えた。全滅した地上部隊の代りに派遣された戦闘部隊には、我々と行動していたインシの戦士長に似た個体が複数確認できた。


 大きな身体に黒紅色の外骨格、そしてスズメバチを思わせる攻撃的な形状をした頭部は、遺跡で腐肉ふにくに寄生された戦士長と見分けがつかないほど似ていた。我々が勝手に戦士長と呼んでいた個体はインシの民の戦士階級のなかでも、それほど珍しい個体ではなく、数多く存在する平凡な個体でしかなかったのかもしれない。


 数人の戦士長に率いられながら姿を見せたインシの戦士は五十体ほどの数になっていたが、アレナたちと合流して化け物の排除を開始していた部隊の姿も確認できたので、二百体を優に越える昆虫種族がオアシスの周囲に集まってきていることになる。

 インシの民の都市では見かけなかった大部隊だったので、正直に言うと彼らの登場に私はひどく驚いていた。あの場所以外にも、インシの民が支配する巨大な都市が存在している。そのことは予想できたことだったが、さらに警戒する必要性があると感じた。


 ドクトカゲに乗っていた戦士長たちは、ゆっくりした動作で下乗げじょうすると、我々の前にやってきてひざまずいてみせた。すると五十体を越える戦士たちもその場に一斉に跪いた。突然のことに困惑していると、少女に名を呼ばれた。

「遺物を渡して」と、彼女は小声で言う。

 ラピスラズリで装飾された美しい柄を右手にのせて、ゾッとするほど鋭い刃に左手の義手をえるようにして長剣を持ち上げると、戦士たちの先頭で跪いていた戦士長に向かって歩いていく。どこか儀式めいた行動だったが、私は真面目に自分の役割を演じることに専念する。


 戦士長の前に立ち、インシの民の遺物である長剣を差し出すと、戦士長は四本の腕を伸ばしてしっかりと遺物を受け取った。すると整列していた戦士たちが左右に割れるようにして動いて、木製の仮面を装着した生物がやってくるのが見えた。その生物は猿のように全身が朽葉色の毛皮で覆われていたが、その仮面はインシの民がつけていたものだったので、インシの民と関係のある種族、あるいは少女のようにうつわにされた亜人の肉体なのかもしれない。


 その生物は戦士長が手にしていた長剣に――まるで聖職者が貴重な遺物を聖別するように、得体の知れない透明な液体を振りかける。そして頭を下げ、うやうやしく長剣を受け取ると、それを祭壇にのせた。すると奇妙なことが起きた。

 地面がぐらりと揺れたかと思うと、祭壇の後方、地中から尖塔せんとうがあらわれて空に向かって伸びていくのが確認できた。やがて崩壊したはずの神殿が、完全な状態で我々の前に姿をあらわすことになった。

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