第549話 混沌の遺物
急に駆け出した少女のあとを追うように、我々は迷路じみた狭い廊下を進む。だしぬけに通路が途絶えて、荒削りの石柱が並ぶ広大な広場が目のまえにあらわれた。綺麗に磨かれた大理石調の石材が使用されていた廊下と異なり、この場所では岩肌が剥き出しの壁や床が目についた。
『レイ、コケアリたちが戦ってる!』
カグヤの声が聞こえるのとほぼ同じタイミングで、視線の先に表示された拡張現実の矢印に誘導されるようにして素早く視線を動かすと、インシの戦士と戦闘状態になっていた兵隊アリたちの姿が見えた。
「やっぱり罠だったの?」
困惑するペパーミントの言葉に少女は頭を横に振る。
「罠なんかじゃない、あれを見て」
どこからか淡い光が差し込む広場の中央には、大岩を削り出してつくられた無骨な祭壇が鎮座していて、その側にインシの民の戦士長が立っているのが見えた。しかし戦士長の黒紅色の外骨格には、まるで植物が地中に根を張るように、脈動する気色悪い肉が絡みついていた。
その甲殻の表面には粘液質の液体がてらてらと
得体の知れない腐肉が絡みついているのは戦士長だけではなかった。兵隊アリたちと交戦していたインシの戦士の甲殻にも、その腐肉が付着しているのが見えた。腐肉は戦士たちの外骨格の隙間から体内に侵入しているようだった。と、我々の存在に気がついた戦士の一体が、触手のように伸ばした腐肉をムチのように踊らせながら突進してくる。
『レイラ、伏せろ!』
闇を見つめる者の声が聞こえたかと思うと、薄闇の向こうから円盤状の物体が飛んでくるのが見えた。それは突進してきていた戦士の胴体を腐肉の触手ごと切断して、真直ぐ私に向かって飛んできた。
すぐに身を
けれど円盤状の刃はタールのような粘り気のある黒い液体に変化すると、重力に逆らってフワリと空中に浮かび上がり、引き寄せられるようにして戦士長の手元に戻る。そして瞬く間に金属質の刃に変化して、戦士長の手に握られる。
インシの民の指の関節は人間のものよりも多く、それでいて硬い甲殻に覆われていない関節部は、複数のミミズを束ねたような気味悪い造形をしていた。戦士長はその手で握っていた円盤を振り上げると、すさまじい勢いで投げつけてきた。
危険を察知したイレブンが強力な力場を展開して我々のまえに出るが、薄闇の中からあらわれた闇を見つめる者によって円盤は叩き払われる。鉄棒の一撃をうけて円盤は砕かれるが、一瞬で粘り気のある液体に変化して戦士長の手元に戻っていった。
『無事だったみたいだな、レイラ』
闇を見つめる者が鉄棒の石突で地面を叩くと、インシの戦士と戦っていたコケアリたちが我々の周囲に集まってくる。
「お互いに無事で良かったよ」と、ライフルを構えながら答える。「ところで、この場所で何が起きているのか教えてくれるか?」
闇を見つめる者は触角を小刻みに動かして、無言で兵隊アリたちに指示を出すと、包囲するようにじりじりと詰め寄ってきていたインシの戦士たちを我々から遠ざけた。
『原因は
祭壇を確認すると、確かにそこには肉塊が付着していて不気味な脈動を続けていた。
「それからインシの戦士たちは敵対するようになったのか?」
『そうだ。生体兵器であるはずのハチの化け物が、戦士たちを襲うようになったから間違いない。あの腐肉が連中を狂わせている』
「それなら」と、少女が話に割って入る。「さっさと奴らを殺して祭壇に
『奴らを殺す……か。やはり、それの中身は入れ替わっているみたいだな』
闇を見つめる者の言葉に少女はニヤリと笑みを浮かべる。
「レイ!」ペパーミントはライフルを構えると、腐肉に寄生されていたインシの戦士に銃弾を撃ち込んでいく。「さっきから気になる会話をしているけど、今は事態を悪化させないためにも、インシの戦士に対処しましょう」
彼女の言葉にうなずくと、ライフルの弾薬を自動追尾弾に切り替えて、高い天井のそこかしこから出現していたハチの化け物に銃弾を撃ち込んでいった。
トゥエルブとイレブンも攻撃に参加し、腐肉に寄生されたインシの戦士たちに接近されないように高出力のレーザーを撃ち込んでいく。
ペパーミントと少女に近づく狂った戦士を見つけると、イレブンはマニピュレーターアームから細いワイヤを射出し、戦士の首にワイヤを巻き付けると、一気に巻き取って首を切断していった。硬い甲殻に守られていても、首や関節を完全に覆うことはできない。イレブンは昆虫種族の弱点を突いて、アームから伸ばしたワイヤを使って戦士たちの手足を切断していった。
ハクもすぐに攻撃に転じると、天井の巣穴から出現する無数のハチの化け物を殺し、そのまま巣穴に侵入していった。化け物が巣から出てこられないように、内側から巣を破壊するつもりなのだろう。
ハチの化け物に接近されないように射撃を行っていると、背後の暗闇からカタカタと嫌な音が聞こえた。
偵察ドローンが暗闇に向かって照明を向けると、黒い
スリングを使ってライフルを背中に回すと、太腿のホルスターからハンドガンを抜いた。けれどそれは無駄な行動に終わる。闇を見つめる者が投げた鉄棒が化け物の甲殻を破壊して胴体に突き刺さると、衝撃で化け物の身体は吹き飛び背後の石柱に
『ここは私に任せてくれ』
彼女は化け物の身体に突き刺さっていた鉄棒を引き抜くと、暗闇からカタカタと姿を見せる化け物のまえに立った。
私はさっと視線を走らせて援護が必要になる場所を探したが、暗闇から円盤が飛んでくるのを確認すると、すぐにハガネを起動し、瞬く間に形成したショルダーキャノンから貫通弾を発射して円盤を破壊する。
『気をつけて、戦士長からの攻撃だよ』
カグヤから受信した情報によって、暗闇に潜んでいた戦士長の輪郭が赤い線で縁取られる。その戦士長の周囲には、あのタールにも見える無数の液体が浮かんでいて、次々と鋭い刃を持つ円盤に変化していくのが見えた。
「カグヤ、手伝ってくれ!」
『了解!』
戦士長に向かって駆け出すと、無数の円盤が飛んでくる。それは味方であるはずのハチの化け物や、コケアリと戦っていた戦士たちの身体を両断しながら、すさまじい速度で飛んでくる。しかしショルダーキャノンを遠隔操作するカグヤによって、円盤は次々と破壊されていく。強力な貫通弾を使用しているからなのか、円盤は粉々に破壊されて液体に戻ることはなかった。
広場の中央に鎮座する祭壇を守るようにして立っていた戦士長は、羽織っていた象牙色の布を脱ぎ捨て、黒紅色の甲殻に覆われた異形の身体を
戦士長は鋭い突起物が並ぶ太い腕を左右に大きく広げた。すると今までつながっていた腕が割れるようにして離れ、瞬く間に四本腕に変化する。どうやら戦士長は他の個体と異なり、自由に腕を変形させられるようだった。彼は気色悪い粘液が滴っている腐肉の一部を甲殻ごと身体から引き剥がすと、グチャリと体内に手を入れ、タール状の物質を握りしめた状態で手を引き抜いた。それは瞬時に形状を変化させていき、戦士長の四本の手には槍のような武器が握られることになった。
私は
「化け物が!」
立ち止まってハンドガンを引き抜こうとしたときだった。戦士長の周囲に黒い靄が発生するのが見えた。ダンゴムシの変異体が纏っていた靄と同様の効果を発揮するモノなら、戦士長に貫通弾や射撃の
ハガネを操作し、右手首を覆っていた液体金属を移動させて肌を露出させた。手首には縄文土器にも見られる複雑で荒々しい模様が彫られている。その刺青の中には、くるりと手首に巻きつくヘビの姿が描かれていた。
「力を貸してくれ、ヤト」
小声でそう呟くと、手首に巻き付いていたヘビがするすると移動して、手のひらまでやってくるのが見えた。そのヘビは皮膚から染み出すようにして、手のひらにプツリと浮かび上がり、フワフワと空中にこぼれていく。それはやがて美しい刀を形作り実体化される。
ゾッとするほど鋭い刃は、刀身に触れる空気を切り裂くように
私は飛び込むようにして接近してきていた戦士長の懐に入ると、肩口から胴体を切断するため刀を振り下ろした。しかし戦士長は四本の腕に握られた槍を器用に使って刀を打ち払う。斬撃は避けられてしまうが、戦士長が握っていた槍はスパッと切断されて使い物にならなくなる。
すると戦士長は粘り気のある液体に戻った物質を地面に捨て、腰に装着していた革製のベルトから、骨の刃を持つ短剣を引き抜いていった。四本の腕に握られた短剣からは、背筋の凍るような威圧感を受けた。おそらくあの刃も〈混沌の遺物〉なのだろう。
戦士長に斬りかかると、刀の一撃は短剣で打ち
斬撃を避けながら、ショルダーキャノンから貫通弾を撃ち込むが、戦士長は弾丸をものともせず、次々と打ち払っていく。と、目のまえに飛び込んできた戦士長の蹴りを受けて、すさまじい勢いで後方に跳ね飛ばされる。
広場に並ぶ石柱に背中を打ちつけて肺の空気を吐き出す。けれど無意識に形成したハガネの装甲のおかげで、重傷を負うようなダメージは受けなかった。装甲がなければ、
片膝をつけ、すぐに立ち上がる。視線の先には、触手のように腐肉を踊らせる戦士長の姿があった。
「カグヤ!」
私の思考電位を拾ったカグヤの操作によって、ショルダーキャノンから重力子弾が撃ち出される。正直、遺跡の被害なんて考慮している余裕はなかった。すさまじい速度で撃ち出され直進する光弾は、しかし戦士長が纏う黒い靄に呑み込まれ消えてしまう。
「重力子弾もダメなのか?」
戦士長が繰り出す斬撃を受け流しながら、攻撃の隙を
『効果はあったよ』と、すぐにカグヤの声が聞こえた。『戦士長を守っていた靄の一部が消えたのを確認した。重力子弾が周囲の空間に与える影響からは逃れられなかったんだよ』
「それなら」
至近距離で重力子弾を連続で撃ち込むと、カグヤの仮説を証明するように、黒い靄が次々と消えていくのが見えた。黒い靄が
戦士長の身体を破壊した光弾はそのまま広場を横切り、無数の化け物を巻き込みながら、はるか遠くに見えた壁を貫通して消えていった。あとに残されたのは赤熱してドロドロに融解する岩肌だけだった。
戦士長は重力子弾の直撃を免れたが、手足と胴体の半分を失い地面に倒れ伏していた。
『やったの?』
「いや」カグヤの言葉に頭を振った。「まだ終わってない」
空気をつんざく咆哮が聞こえると、戦士長の体内から腐肉が溢れ出すのが見えた。それは周囲に転がる化け物の死骸を取り込みながら肥大化して、巨大な肉の塊に変化していく。
異変に気がついた兵隊アリたちが鉄棒を叩きつけるが、気色悪い体液に覆われた腐肉に打撃は通用しなかった。それどころか、巨大な腐肉は四方に触手を伸ばして兵隊アリたちを攻撃し始めた。
私は右手で握りしめていた刀にちらりと視線を落とした。先ほどの戦闘で特殊な塗料が剥がれたのか、ヤトの刀身は本来の輝きを取り戻そうとしていた。
「もう時間がないな……」
深く息を吸い込むと、肉塊に向かって駆け出す。
空気を切り裂きながら進むヤトからは、まるで歓喜の歌声をあげるような甲高い音が聞こえてくる。その音に怯えているのか、腐肉は私に向かって無数の触手を叩きつけようとする。が、それらの触手は闇を見つめる者と、支援にやってきたハクの攻撃で打ち払われる。
「これで終わりだ」
ヤトが突き刺さると、腐肉の塊はワナワナと身を震わせ、そして世にも悍ましい断末魔の叫びをあげた。
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