第550話 夜の狩人


 激しく痙攣し波打つ腐肉から刀を引き抜くと、赤黒くて気色悪い体液とガスを噴き出しながら肉塊はしおれていった。次々と吐き出される汚物のなかには、動物の骨や内臓に加えて、太い血管や筋繊維の断片が雑ざっている。それらはヌメヌメとした体液に濡れていて、悪臭を放ちながら地面に広がっていった。


 その中にはインシの民のモノだと思われる外骨格の一部も含まれていたが、なかには人間の頭蓋骨に酷似したモノも雑ざっているのが確認できた。しかしその頭蓋骨には、水牛が持つツノのようなものがついていて人間の頭蓋骨ではないことが確認できた。混沌の侵食に巻き込まれた亜人が他にもいるのかもしれない。


 そのグロテスクな臓器や腸の切れ端からは、腐肉の触手が我々に向かって腕を伸ばすように踊っていたが、トゥエルブとイレブンは容赦なく火炎放射で焼き払っていく。すると腐肉はたちまち触手を引っ込めて、焼けただれ体液を噴き出し、不快な音を鳴らしながら萎れていった。

 すさまじい悪臭を含んだ黒煙は広場に吹き込む風に運ばれ、深い暗闇のなかに沈み込んでいた天井に吸い込まれるようにして消えていく。


 肉塊にヤトの刀を突き刺したとき、刀身を伝っても言われぬ力が――ある種の快楽と全能感を伴った力が体内に流れ込んでくるのが分かった。そのまま刀を振るい続け、快楽に身を任せたくなるような感覚だ。

 けれど私は、そのフワフワとした気持ちいい感覚を振り払い、刀を液状のヘビに変化させる。ヘビはするすると手首に巻き付くと、皮膚に沁み込むようにして刺青の状態に戻っていった。


 ヤトの刀はこの世のものならぬ力と全能感を与えてくれるが、制御することのできない力を使い続けることは危険すぎる。それに、悪意を持ったものたちから遺物の気配を隠すことのできる技術が不完全である以上、無理をすることはできない。


 体内に残された渇きにもうずきにも似た奇妙な感覚にとらわれないように、目のまえの脅威に集中する。背中に回していたライフルを素早く構えると、足元に広がる腐肉を焼き払っていった。火炎放射は極めて大きな効果を発揮し、瞬く間に腐肉を炭の塊に変えていった。


 戦士長に寄生していた腐肉の処理を終えると、兵隊アリたちと協力してインシの戦士にまとわりついている腐肉にも対処していく。兵隊アリが振るう鉄棒で昆虫種族の甲殻が砕けると、戦士たちの体内に寄生していた腐肉はあらたな宿主を探す寄生虫のように、コケアリたちに向かって触手を伸ばす。が、イレブンは触手を掴むと、すかさず火炎放射で戦士を焼き払っていく。

 対処の方法さえ間違えなければ、狂った戦士たちはそれほど危険な相手ではなかった。それよりも上空から襲いかかってくるハチの化け物に苦労することになった。


 寄生されていた化け物は銃撃などで身体の一部が欠損しても、腐肉によってすぐに傷口が覆われてしまい、失くした器官の代りに活動を継続した。やはり炎で処理しないといけないみたいだ。自動追尾弾によるフルオート射撃を中断すると、ショルダーキャノンを使って金属製のネットを撃ち出し、ハチの化け物を次々と撃ち落としていく。が、接近して焼き払うためには、ムチのように振るわれる触手に対応しなければいけない。

 ハクが吐き出す強靭な糸とワイヤネットを使って化け物を拘束し、完全に動きを封じ込めたことが確認できると、火炎放射で化け物を確実に処理していった。


 カチカチと大顎を鳴らし、重低音な羽音を響かせながら接近してくる化け物に対処しながら、ずっと気になっていたことをカグヤに質問した。

「地上の様子がどうなっているか分かるか?」

『安心して。地上で展開しているインシの部隊は、恐竜じみた化け物の相手に専念していて、アレナたちと敵対するような様子はみられない』

 返事が聞こえると、炎に焼かれ萎れていく化け物のすぐ横に拡張現実のディスプレイが表示される。反対側が透けて見える半透明のディスプレイには、ウェイグァンの派手なヴィードルが化け物と交戦している様子が映し出されていた。

「腐肉に寄生された戦士を殺しても、インシの民は俺たちと敵対しないのか?」

『うん。理由は分からないけど、遺跡内にいる戦士たちの存在は完全に無視されているみたい。集合精神から切り離された時点で、仲間としての……あるいは同族としての概念そのものが失われているのかもしれない』


「……ハイブマインドか。インシの民は俺たちが想像していたよりもずっと複雑な種族なのかもしれないな」

『でも』と、カグヤは続ける。『今は好都合だよ。腐肉に寄生された戦士たちを遠慮なく排除することができるんだから』

 カグヤの言葉に苦笑していると、暗がりに潜んでいた化け物が跳びかかってくるのが見えた。すかさずハンドガンの銃口を向けると、戦士の胸部に貫通弾を撃ち込む。甲高い射撃音と共に戦士は派手に吹き飛ぶが、すぐに起き上がろうとしてグチャグチャに破壊された上半身を起こす。その戦士の頭部を破壊するため、続けて貫通弾を数発撃ち込み、弾薬を切り替えて死骸から伸びる腐肉を焼き払う。


 それからハクに協力してもらいながら、ハチの化け物が巣にしている場所を探し、効果範囲を調整した反重力弾を使って巣の出入り口を破壊していった。しばらくすると生体兵器の増援はなくなり、腐肉に寄生された戦士たちだけが広場に残されることになった。その戦士も数が少なく、時間をかけることなく排除することができた。


 最後まで抵抗を続けていた戦士が炎と黒煙に包まれたのを確認すると、闇を見つめる者は腐肉に覆われた祭壇に複眼を向けた。脈動する腐肉からは無数の触手が伸びていて、兵隊アリたちが接近するのを妨げていた。トゥエルブは祭壇もろとも腐肉を焼き払おうとしていたが、イレブンがビープ音を鳴らすと動きを止め私に判断を仰いだ。


『どうするつもりだ?』

 闇を見つめる者の言葉に、少女は肩をすくめる。

「あれも焼き払ってちょうだい」

 祭壇について重要な情報を持っていると思われる少女が言うのだから、我々が心配する必要はないだろう。少女の言葉にうなずくと、祭壇にまとわりついていた腐肉を焼き払った。その腐肉が大量の体液を噴き出して萎れてしまうと、黒大理石調の石材でつくられた祭壇の全体像が見えてくる。


 綺麗に磨かれた石材の表面には、金を基調とした小さく細かな模様がビッシリと彫られていた。その一部は文字のようにも見えたが、データベースに登録されていなかったので、文字だと断定することができなかった。

 その精緻な模様のなかには、甲殻類の節足動物を思わせる異形の生物や、大型の四肢動物だと思われる生物の姿も彫られていた。神殿の通路で我々を襲撃したカニの化け物に似た個体も確認できたが、それがなにを意味しているのかは理解できなかった。


 石棺を思わせる長方形の石壇の左右には、六メートルほどの高さがある方尖柱ほうせんちゅうが据えられていた。広場のあちこちにも石柱は立っていたが、それらは荒削りで、高さも形も不揃いだった。しかし我々の目のまえにある柱は、驚愕すべき技術で削り出され、畏怖すら感じさせる壮麗さを持ってそこに存在していた。


 柱にはそれぞれ別の生物の――おそらく異界に生息すると思われる生物の姿が彫られていた。片方には巨大な翼をもった蜥蜴とかげにも似た生物の姿が、荒々しくも繊細な浮き彫りで表現されている。それは神話や昔話に登場する空想上の生物〈ドラゴン〉を思い起こさせた。そのドラゴンの足元には、絢爛豪華な装飾が施された竜の頭が刻まれた玉座が置かれている。


 もう一方の柱には、手足のように進化したいびつひれを持つ奇妙な魚の姿が彫られていた。古代魚のアロワナにも似た生物は、咆哮するように恐ろしい牙が並ぶ口を大きく開いていた。ひれにも腕にも見える器官の先には、巨大な鉤爪がついていて、その爪の被害に遭った生物の、おそらくクジラだと思われる生物の死骸も精密な技巧で彫られていた。


『興味深い』と、闇を見つめる者が言う。『ふたつの異種文明の、まったく異なる意味合いを持つ宗教的な遺物が、混沌の侵食によって混在して、あたかも実在した祭壇かのように存在している』

「たしかに驚くような事実だね」と少女はうなずく。「でも今は未知の文明に思いを馳せるよりも、やらなければいけないことがある」


 少女の指示で祭壇に残っていた肉塊を焼き払うと、大理石調の黒い石板を動かして、祭壇に祀られていた聖遺物を探した。けれど少女が求めていたモノは見つからなかった。というより、祭壇には何もなかったのだ。

「どういうこと……?」

 大気を震わせる咆哮が聞こえたのは、少女が眉間にシワを寄せたときだった。


 広場の最奥に視線を向けると、暗闇の向こうから小さな影が近づいてくるのが見えた。驚いたことに、それは年若い人間の姿をしていた。

 衣類を身につけていない裸の青年は背が高く、痩せ細った身体はゴツゴツした骨が浮き出ていて不気味だった。薄汚れた肌は死者のように血の気がなく青白い。けれど暗闇で妖しく瞬く真紅の瞳だけは、爛々らんらんと輝いている。

 その眸に見つめられると、首筋に刃物を突き付けられたような殺気を感じた。けれど青年から攻撃されるようなことはなかった。相変わらず遺跡内の空気は冷たく、陰鬱いんうつで、死んだように静まりかえっていた。


「どうして〈ノドの獣〉がいるの?」

 得体の知れない青年の登場に少女が取り乱すのも無理もない。我々だって困惑しているのだ。混沌に侵食された遺跡の深部に裸の青年があらわれると誰が想像できるだろうか?

 しかし我々は素早く行動し戦闘に備えた。死者のような姿をした青年が普通の人間であるわけがない。おそらく混沌の領域から迷い込んだ亜人のたぐいだろう。


「あれは私たちの敵なの?」

 青年に銃口を向けていたペパーミントの問いに返事をしたのは、闇を見つめる者だった。

『簒奪者の末裔で、恐ろしい夜の狩人。私の側から絶対に離れるな、あれは今まで戦ってきた化け物とは根本的に違う存在だ』

 彼女は鉄棒の石突で地面を叩くと、無言で兵隊アリに指示を出して、いつでも青年に攻撃ができるように準備させた。


 コケアリたちは一斉に鉄棒を構え、夜の狩人と呼ばれた青年を威嚇する。しかし青年は痩せ細った身体をゆらゆらと揺らしながら、祭壇をじっと見つめ、理解不能な言葉を口ずさむだけで、とくに反応を示すことはなかった。


 青年の青白い横顔を見つめていると、彼は不敵な笑みを浮かべる。その表情には、獲物を見つけた狩人の歓喜と残忍さが見て取れた。

 ふと青年は真顔になると、裸足でペタペタと歩いてくる。病的な姿をしているが、その足取りは軽い。と、青年の身体から、ごきりと嫌な音が聞こえてきた。その瞬間、彼はニヤリと笑みを浮かべ、地面に手をつけるように前屈みになる。


 すると青年の背中、薄い皮膚を突き破るようにして太い骨が飛びだすのが見えた。それは瞬く間に皮膚に覆われ、展張しながら皮膜を伸ばして翼を形成していった。変化はそれにとどまらず、およそあり得ない角度で足の骨が折れ曲がっていくのが見えたかと思うと、獣のように変形した脚の指の間が裂けて鋭い鉤爪が突き出す。

 骨ばった青年の顔も見る見るうちに変形して、まるで獰猛な肉食獣のように、鼻面が伸び、耳元まで裂けた口には鋭い牙が見えた。全身の皮膚は青黒く変色して、黒い毛皮に覆われていく。


 青年は我々の目のまえで異形の生物に変身してみせた。しかしそれは変身というより、禍々まがまがしい悪魔的な概念を持つ〝変態〟そのものだった。

 わずかに人間の骨格を残す飛膜を持った怪物は、巨大なコウモリにもオオカミのようにも見えたが、すぐに暗闇に身を隠してしまったため、どんな姿をしているのかハッキリと確認することはできなかった。

 暗視装置を起動して怪物の姿を探すが、まるで夜の闇をまとっているかのように、完全に暗闇に姿を隠していた。


 すさまじい速度で黒い影が近くを通り過ぎたのが見えたかと思うと、前方に立っていたコケアリの下半身が体液を噴き出しながらドサリと地面に転がる。すると薄闇の向こうから金属的な甲高い音が聞こえた。コケアリが握っていた鉄棒が地面に落下したのだろう。


 真っ暗な影が迫ってくるのが見えると、ハクは眼を真っ赤に発光させながら飛びかかる。しかしハクの攻撃は簡単に避けられ、気がつくと別のコケアリが体液を噴き出しながら地面に倒れる。足音すら聞こえなかった。夜の狩人と呼ばれた獣は、銃弾のように速く、羽根のように軽かった。

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