第548話 変化


 どれくらい時間がたったのだろうか。長い戦闘が終わると、化け物の死骸をまたいで、ストロボライトで浮かび上がる薄暗い通路の先に視線を向ける。磨き上げられた藍鉄色の床には、我々の攻撃で息絶えた化け物の無数の死骸が横たわり、気色悪い体液をじくじくと流している。その化け物の死骸から漏れ出る奇妙なミミズを踏み潰しながら、少女は通路の先に我々を案内する。

 遺跡は深い森に覆われてしまっていたが、神殿内部の構造に変化はなく、我々は通路に設置していた照明装置を目印にしながら神殿の地下に向かう。


 生けにえの儀式に使われていた石室に入ったときだった。

「なにか変だわ」

 ペパーミントはその場に片膝をつけると床にそっと触れる。わずかに感じ取れる程度だったが、たしかに床が震動していた。しかし次の瞬間、その震動は立っていられないほどの大きな揺れに変わる。


『レイ!』

 カグヤの言葉に反応して素早く視線を動かすと、石室の壁がルービック・キューブのように形状を変化させているのが確認できた。金属と石材がこすれ合う音や、石室のどこかで噛み合わせの悪い歯車がきしむような、そんな不気味な音まで聞こえてくる。


 数十トンの重さがありそうな石壁が滑るようにして横に開くと、未知の空間に続く廊下があらわれる。石室内部の構造が変化している間も、神殿は大きく揺れて、生け贄の石壇に横たわっていたインシの戦士たちの死骸は地面に転がり落ちる。

 石室の変化を呆然ぼうぜんと眺めていたペパーミントの頭上から巨大な石柱が落ちてくるのが見えると、私は彼女を抱き寄せるようにして素早く引き寄せ、紙一重のところで巨大な石柱を避けた。黄金で装飾された石柱は床に近づくと、反発する磁石のようにフワリと動きを止め、それからゆっくりと落ちてカチリと床の窪みにハマる。


 私はペパーミントの腰にしっかりと腕を回し、互いに離れてしまわないようにしながら石室の変化に注意を向ける。

「混沌の侵食の影響なのか?」

「わからない」と、彼女は頭を横に振る。「でも異常なことが起きているのは間違いない」

 厚く重たい石壁が動いて石室の構造を変化させる。どこか非現実的な光景を見ながら、ハクと少女を側に呼び、何が起きてもすぐに対処できるように備える。しばらくすると、石材が擦れる騒音を残して、我々が石室に侵入するさいに使用した石扉が壁の向こうに隠れてしまう。


「大丈夫か?」と、抱き寄せたままだったペパーミントに訊いた。すると彼女は私の側をゆっくり離れ、地面に手をつける。

「揺れは収まったみたい……。ねぇ、トゥエルブ。通路の先に黒いもやが発生していないか調べてきてくれる?」

 トゥエルブがマニピュレータアームを動かして親指を立てると、近くで待機していたイレブンがビープ音を鳴らす。

「イレブンもお願い。でも危険だと思ったら、機体を放棄してもいいからこっちに逃げてきてね」

 二体のラプトルがレーザーライフルを構えながら通路に入っていくと、カグヤの偵察ドローンもそのあとに続いた。


『とじこめた?』と、ハクが石壁をトントンと叩きながら言う。

「ああ、退路が断たれたみたいだ」私はそう言うと、石扉に続く道を塞いだ壁に触れた。「でも、こいつを動かせるかもしれない」

 石室の構造が変化するとき、巨大な壁は滑るようにして動いていたので、少しの力を加えれば簡単に動くのかもしれない。そう思ってハクと一緒に壁を押してみたが、重厚な壁はビクともしなかった。


「無駄よ」と、ハクの側にいた少女が溜息をつきながら言う。「数十トンの重さがある石材がいくつも重なっているの。レイラとハクがどんなに頑張っても、その石を動かすことはできない」

『わなだった?』

 ハクが訊ねると、少女は高い天井に視線を向ける。

「そうね。これは侵入者に対する罠だと思う」

『ハク、ヤバい?』

「大丈夫よ。私が一緒にいるんだから」

 少女は腰に手を当てると得意げな笑顔を見せる。けれどハクは少女の言葉が信じられないのか、他に通路がないかトコトコと探しに行った。


「カグヤ、そっちの様子は?」拡張現実で表示されるディスプレイを確認する。

『黒い靄は見当たらないけど、どこまで行っても同じような通路が続いているだけだよ』

 たしかに映像には通路につながる通路しか映し出されていなかった。

「それも侵入者のための罠なのかもしれないな……。カグヤ、ひとまずこっちに戻って来てくれないか」

『そうだね。神殿の構造が変化して迷子になったら大変だし、一度そっちに戻るよ』


 カグヤの言葉にうなずくと、石柱の浮き彫りを調べていたペパーミントの様子をちらりと確認する。彼女は情報端末を使って模様の記録をとっていた。

「ところで」とカグヤに訊く。「地上にいるアレナたちは無事か?」

『地上の部隊に対しても、獣の変異体からの襲撃が相次いでいるみたい』

「地下で起きている大規模な変化がキッカケになったのかもしれないな……」

『うん。でも負傷者は出ていないから、心配しなくてもいいかも。愚連隊も元気だし』

「地上に展開しているインシの民の部隊は?」

『今のところ敵対するような動きは見せてないけど、引き続き警戒を緩めないように注意しておくよ』


 しばらくしてトゥエルブとイレブンが戻ってくると、我々は警戒しながら薄暗い通路に侵入した。ペパーミントと少女を守るように、二体のラプトルが後方の警戒をしてくれていたので、私とハクは前方の動きに集中することができた。


 暗い廊下を歩いていると、生体兵器のもとに誘導されているような嫌な感覚がしたが、我々に選択肢はなかった。交差点まで来ると、左に真直ぐ伸びる通路に入っていった。次の交差点に差し掛かると右に曲がり、ひたすら道なりに歩いた。

 通路の突き当りまで来ると、道幅の狭い左回りのスロープになっているのが確認できた。我々はそこで立ち止まると、引き返して別の道を探すが相談するが、結局そのまま進むことを選んだ。結局、正しい道が分からないのだから、迷っていても仕方がないのだ。


 闇の中から這い寄る得体の知れない気配や、背筋が凍るような視線を感じながら廊下を歩き続けると、徐々に通路の幅が広がり、ガランとした広場につながっていることに気がつく。生体兵器の襲撃にうってつけの場所だ。この場所では今まで以上に警戒したほうがいいのかもしれない。

 我々の周囲に立ち込めている暗闇に注意しながら広場を進むと、大量の化け物の死骸が照明装置によって浮かび上がる。


「レイ、あれを見て」

 ペパーミントが指差す先に、直立した状態で息絶えていたコケアリの死体が見えた。そのコケアリはハチにも似たグロテスクな化け物にみつかれ、鋭い針で刺され、身体をズタズタに破壊されながらも無数の化け物を道連れにしていた。

「兵隊アリだな……闇を見つめる者たちもこの場所を通ったみたいだ」


 あちこちで激しい戦いが行われていたのか、広場では戦闘の痕跡が多く見られた。

「それにしても広い場所ね」と、ペパーミントがうんざりしながら言った。

 我々はすでに数百メートルほどの距離を歩いたはずだが、広場の出口は一向に見えてこなかった。やっと広場の中央辺りまでやってきたかと思うと、黒曜石でつくられた石壇がポツンと置かれていることに気がついた。


 少女はその石壇の前で立ち止まると、周囲に転がる化け物の死骸をじっと見つめながら言った。

「ねぇ、レイラ。化け物の死骸を一箇所に集めたいんだけど、協力してくれる?」

「理由を訊いても?」

「ちょっとした儀式を行うために必要なの」

 しばらく少女のことを見つめたあと、私はうなずいた。それがどんな儀式であれ、さらに事態が悪化することはないだろう。


 ハクに手伝ってもらいながら化け物の死骸を集めると、少女は死骸に向かって祈るように手を合わせた。彼女の身体が淡い燐光を帯びて輝き出すと、石壇の周囲に積み上げられた無数の死体が、まるで映像を早送りするように腐敗して、ドロドロとした体液を流し、そして骨になって瞬く間に朽ちていくのが見えた。

 あとに残されたのはヘドロのような汚物で、それらは綺麗に磨かれた黒曜石の石壇に向かってズルズルと移動しながら融合していく。そして石壇にベチャベチャと付着すると、その表面をけがすように奇妙な脈動をはじめた。


 汚物から白い蒸気のようなモノが漏れ出し、周囲に立ち込めていく。やがてその霧の中から奇妙な化け物が姿をあらわした。すぐにライフルを構えると、少女が化け物をかばうように前に出る。

「待って! 私たちの敵じゃない」

 銃口を下げて奇妙な化け物の姿を注意深く観察するが、その異様な姿は、どこから見ても危険な生物にしか見えなかった。


 朽葉色の外骨格に覆われた細長い胴体に、枯れ枝のような細い脚が無数に生えた化け物は人間の大人ほどの背丈しかなかったが、カマキリじみた頭部を持っていた。その姿は以前、異界の女神が従えていた『アジョエク』と呼ばれる化け物に似ていた。しかしその化け物は細長い身体に不釣り合いな、風船のように大きく膨らんだ異様な頭部を持っていた。そのいびつな姿をした化け物が脚先の爪をカタカタと鳴らしながら動くと、肥大化した頭部は脈動して紫紺色に明滅した。


「なにをしたの?」

 驚愕するペパーミントを余所よそに、少女はなんでもないことのように言った。

「助けを呼んだの」

「助けを……? あの生物もインシの民の労働階級なの?」

 ペパーミントの質問に少女は困ったような顔を見せた。

「違うよ、彼らは労働階級でも隷属種族でもない。私たちを助けてくれる存在なんだよ」

「言葉が通じるの?」

「うん。ここで少し待ってて、話をしてくるから」

 無数の化け物の死骸から誕生した三体の昆虫種族は、少女が近づいてくると、頭部と複眼を発光させながら顎を鳴らす。少女は彼らの言葉を理解しているのか、広場の先を指差しながら何かを伝えていた。


『また変なのか出てきたね』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

「そうだな……」

『そう言えば、私たちのことを襲撃した亜人の生き残りも神殿内に侵入したみたいだよ』

「あの毛皮に覆われた背の高い種族か」

『うん。私たちのことをひっそりと追跡して、そのまま神殿に入ってきたみたいだけど、人数も少なかったから、もう生体兵器に殺されたと思う』

「俺たちを攻撃してきたとはいえ、やつらも混沌の侵食に巻き込まれた被害者だな……」

『うん。ちょっと気の毒だね』


 少女との話し合いが終わると、昆虫種族は異様に肥大化した頭部を明滅させながら前方の空間に黒い靄を作り出していく。

 カチカチと大顎を鳴らし、淡い光が蒸気となって複眼から漏れ出していくのが見えた。彼らが発生させた黒い靄が徐々に消滅すると、空間に縦の亀裂が生じるのが確認できた。それはまるで扉を開くように、ゆっくりと横に開いていった。が、次の瞬間、昆虫種族の頭部は次々と破裂して気色悪い体液が周囲に飛び散った。


 頭部を失った細長い身体がドサリと倒れると、少女は目の前の出現した空間の裂け目に近づく。ペパーミントが慌てて彼女の手を取ると、少女は笑顔を見せる。

「大丈夫、危険なモノじゃない。あれはね、目的地に素早く移動できるように、一時的につくりだされた門なんだよ」

「移動? あの昆虫種族の命をつかって、異界につながる神の門を発生させたの?」

「さすがに別の次元には移動できないけどね。でもこの世界なら、どこにでも自由に移動することができる」

「その門はどこにつながっているの?」

「神殿の深部だよ。ついてきて、門が閉じる前にあっち側に行かなくちゃいけない」


 少女のあとを追うように、我々は門の中に入っていった。空間を移動するさいには、痛みもなければ、抵抗のようなモノも感じなかった。扉を開いて別の部屋に入るのと変わらない。しかし実際には、我々は一瞬で神殿の最深部まで移動することができたようだ。


 興味津々といった様子でハクが門を越えると、空間に生じていた亀裂は収束して、瞬く間に我々の目の前から消えてしまう。それは現実味の欠けた奇妙な現象だったが、もはや慣れてしまって驚くことはしなかった。けれどペパーミントは違った。

「本当に空間転移ができた……」

 彼女が呆然としながら門が消えた空間を見つめていると、薄暗い通路の先から激しい戦闘音が聞こえてくる。

「戦闘? こんな場所で誰が戦っているの?」

 少女が駆け出すと、我々も彼女のあとを追って通路の先に向かう。

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