第547話 集合精神


 昆虫種族は口吻こうふんをカチカチ鳴らして、しきりに何かを伝えようとしていたが、少女は適当に「うんうん」とうなずいてから遠くに見える尖塔せんとうを指差した。

「あそこに行きたいんだけど、私たちを案内してくれる?」

 甲虫たちはガヤガヤと何かを話したあと、ついて来いと言わんばかりに、我々の先頭に立って草原を進んでいった。その後ろ姿は、まるで遠足に向かう幼い子供たちの行列にも見えたが、黒い外骨格に覆われた昆虫種族と一緒に行動するのは奇妙な感覚がした。

 しかし外骨格の隙間からねずみ色のフサフサした長毛が生えている所為せいなのか、インシの戦士が側にいるときのような生理的嫌悪感は抱かない。


「労働階級って言ってたけど」と、ペパーミントが小声で少女にたずねる。「私たちが襲われる危険性はないの?」

「ないよ」と少女はキッパリと言う。「あれはとても優しい生き物で、甘い蜜とお喋りが大好きな種族なんだ。武器を使って他者を傷つけるような考えは持たないし、それが意味することも理解できない。戦闘種族であるインシの民のために働くのは、この乾燥した砂漠で好きなだけ甘い蜜を手に入れられるからなんだよ」


 先行する甲虫に視線を向けると、カチカチと口吻を鳴らし、短い触覚を揺らしながら話に熱中している様子が確認できた。大きな昆虫であることを気にしなければ、ワイワイと談笑している姿は可愛らしくもあるのかもしれない。


「あの種族は、インシの民の奇妙なミミズで操られていないってこと?」

 ペパーミントの質問に少女はしばらく考えたあと、コクリとうなずいた。

「もっと複雑な生命形態だよ。ジュジュは自由気ままな種族で、争いに関心がないのと同じくらい、争いに巻き込まれてしまうことや、他者に縛られることを好まない。もっとも、あれは死を恐れないから、脅しや暴力に屈することもなければ、何かを強制することもできない。たとえ目の前で仲間を皆殺しにされても、少しも動揺しないんだから」

「ジュジュ?」

「あの種族の名前だよ」


「死を恐れない生き物か……」と、ペパーミントは何かを考えながら言う。「だからインシの民の言いなりにもならないのね。それなら、あの子たちの知能はどうなっているの?」

「知能はとても発達してる。ハイブマインドなんだよ」

「おしゃべりが好きなのに、集合精神?」

「ペパーミントだって、ひとりであれこれと思考するでしょ。ジュジュは群れで会話しながら思考する生き物なんだよ」

 ペパーミントは昆虫種族の後ろ姿をじっと眺めて、それから言った。

「たしかに複雑な生き物みたいね。インシの民と共存しているのは、甘い蜜が手に入るからって理由だけなの?」

「そうだけど、種族全体がインシの民のために働いているわけじゃない。あれは神の門を通って、こちら側の世界にやってきた氏族のひとつに過ぎない」


 ジュジュと呼ばれる昆虫種族の金属光沢を帯びた漆黒色のしょうを眺めながら、私は少女に訊ねた。

「インシの民の労働階級には、あの昆虫種族以外の生物も?」

「いるよ。もうドラゥ・キリャンモの都市で見かけたと思うけど、機械と生物が融合したような奇妙な生き物も、労働階級に属している」

 機械の脚を持つ奇妙な生物の姿を思い浮かべる。

「人間の頭部を利用していたから、生体と機械を融合させた機械人形だと思っていたけど、あれもひとつの種族だったのか……」

「うん。身体を構成する生体材料の選り好みはしないから、あり余ってる人間の頭部を有効活用していたんだと思う」


「それで、あの子たちはあそこで何をしているの?」

 ペパーミントが指差した先にはジュジュの集団がいて、草原のあちこちに立つ白い大岩の表面を削っているのが見えた。

「インシの民のために食料を確保してるんだよ」と、誰もが知っていて当然のことのように少女は答える。「インシの民が神殿を探しているときに、偶然この場所を見つけて、ジュジュに回収を頼んだんだと思う」

「インシの民は岩を食べるの?」

「岩に似てるけど、あれは〈白蛆の祝福〉って呼ばれているモノなんだ。小麦粉みたいに水でこねて、やわらかくしたものを食べるんだ。甘くて生きるのに必要な栄養素を簡単に補給できるから、多くの種族が食べてるモノなんだよ」

「祝福……? まるで旧約聖書に登場するマナみたいな食物ね」

「興味があるなら見せてあげるよ」


 少女は昆虫種族のもとに駆けていくと、身ぶり手ぶり何かを伝えた。するとジュジュたちは口吻をカチカチ鳴らしたあと「ジュッジュ、ジュージュ」と、不思議な声を出した。

 しばらくすると大岩の表面を削っていた昆虫種族が数体、トテトテと小走りで向かってくるのが見えた。ツル植物を編んで作られたカゴを短い前肢ぜんしでしっかりと持っていて、そのカゴの中には粉っぽい白い砂のようなモノが入っていた。

「これが〈白蛆の祝福〉だよ」と、少女は微笑む。


「ジュージュ、ジッジュジュ」と、昆虫種族は私にカゴを差し出した。

 クリクリした複眼に見つめられながら、私はフワフワの粉に手を伸ばした。少しだけ手に取って鼻に近づけると、知っている匂いだと気づいた。それはいつも食べているブロック状の栄養食の匂いにそっくりだったのだ。


「これって……」指先につけた粉を舐めたペパーミントが言う。「ねぇ、白蛆ってなに?」

 気がつくと我々の周りには小さな昆虫種族が集まってきていて、ガヤガヤと騒がしくしていた。少女が話していたように恐れ知らずで、数体のジュジュはハクの脚に掴まり、そのままハクの腹部によじ登ろうとしていた。


 ハクは昆虫たちの動きに困っているようだったが、嫌がるような素振りは見せなかった。ジュジュたちの様子を楽しそうに眺めていた少女はペパーミントの質問に答える。

「白蛆について説明するのは、ちょっと難しいかな……でも、白蛆の眷属なら廃墟の街にもいるみたいだよ。レイラも会ったことがあるでしょ?」


 妖しく発光する少女の瞳に見つめられたときだった。ノイたちと一緒に倒壊した高層建築物の内部を歩いていたときのことを、鮮明なイメージを伴って思い出すことができた。あのとき、瓦礫に覆われた地面のずっと深いところで、巨大な生物がうごめいている気配を感じた。あの正体不明の生物が白蛆と呼ばれるモノの眷属だったのだろう。


「ねぇ、レイ」と、ペパーミントは眉を寄せながら言う。「それはどんな生物だったの?」

「巨大な生物だったよ。ミミズにもイモムシにも似た奇妙な身体を持っていた」

「環形動物の変異体なのかな? その生物と〈白蛆の祝福〉にはどんな関係があるの」

 ペパーミントの質問に少女はニヤリと笑みを見せる。

「あの岩のように見える物体は、白蛆の身体から何らかの理由で剥がれ落ちた肉が硬質化したものなんだよ」

 嫌な予感は当たってしまうものだが、その粉末状の食物が国民栄養食と関係ないことを心のなかで祈った。しかしペパーミントは余計なことを言う。

「旧文明期の食品工場では、その白蛆の眷属が飼われていたりするのかな?」

「……どうだろう」と、私は曖昧な返事をした。


 と、そのときだった。何処からともなく腹に響く重低音が聞こえてきた。我々の周囲で騒がしくしていた昆虫種族にも聞こえたのか、ジュジュたちは一斉に丸くなると、フサフサの体毛に覆われた毛玉のようになって、コロコロと転がり散り散りになって何処かに逃げてしまう。

『レイ、神殿のほうから何かが急接近してくる!』

 カグヤの言葉に反応して神殿の方角に視線を向けると、いつの間にか草原が深い森に変化していることに気がついた。しかし環境の変化に構っている余裕はなかった。ハチに似た化け物の群れが重低音を響かせながら接近してくるのが見えた。


 それはいつかインシの民の地下遺跡で遭遇していた化け物だった。遺跡を警備するために配備されていた生体兵器だったことは覚えている。我々はすぐに攻撃を開始すると、異形の化け物に接近される前に大群を処理していく。

 トゥエルブとイレブンは的確な射撃で次々と化け物を撃ち落とし、ペパーミントも自動追尾弾を使って化け物を射殺していく。しかし数が多く、瞬く間に数十メートルほどの距離まで接近されてしまう。


 フルオートで自動追尾弾を撃ち込んでいた私はライフル背中に回すと、太腿のホルスターからハンドガンを抜いて、効果範囲を制限した反重力弾を撃ち込んでいった。インターフェースに表示されていた残弾数は見る見るうちに減っていったが、残弾数を気にしている余裕はなかった。

 やはりインシの民と別れてしまったことがマズかったのだろう。遺跡は我々を危険な侵入者として認識し、排除するための動きを見せている。


 ハクが吐き出した糸が空中で網のように広がって、ハチの化け物を立ちどころに捕まえて、そのまま地面に落とす光景を見ると、私も弾薬をワイヤネットに切り替えて、接近してくる化け物に金属製の強化ネットを撃ち込んで次々と捕らえていった。

 反重力弾の効果が発動するタイミングに合わせて偏差射撃をする必要や、遺跡の天井に被害を出してしまうような心配をする必要がなかったので、効率よく、そして素早く化け物の大群を処理することができた。


 網に捕まって落下した化け物は、トゥエルブとイレブンが火炎放射で焼き払っていった。その所為で森の一部では火災が発生してしまったが、その炎も我々が見ている前で瞬く間に鎮火していった。

 遺跡内で起きている変化が顕著にあらわれている。混沌の侵食によって遺跡が異界と結びついてしまう前に問題を解決しなければ、我々も地上に帰れなくなってしまう可能性がある。


 ハチの化け物を処理すると、何処からともなく集まってきたジュジュたちに案内されながら我々は薄暗い森を進んだ。数体のジュジュはハクの背に乗ると、新しい遊びを見つけた子供のように興奮して、しきりに触角と前肢を動かしていた。

 深い森のあちこちにも〈白蛆の祝福〉があるのか、回収作業を行っていたジュジュの集団も我々の姿を見つけると、白い粉で詰まったカゴを運びながら行列に加わった。


「私たちと一緒に行動すれば、安全に森を抜けられるって分かったからだよ」

 ペパーミントと手をつないで歩いていた少女が言うと、カグヤは疑問を口にした。

『死ぬことを恐れないのに、身の危険は感じるの?』

「生物である以上、ある種の防衛本能は持ち合わせているのかもしれない。あるいは、これもジュジュたちの遊びの一部で、この行動を通して何かを得ようとしているのかも」

『何かを得る?』

「私たちと一緒にいるジュジュたちは、例えるなら生物の脳を構成する神経細胞みたいなものなんだ。ジュジュは自由に行動できるニューロンの群れを使って、外部から知識や刺激を得ているんだよ」


 ペパーミントは唇に指を当てながらじっと何かを考えて、それから少女に訊いた。

「どこかにジュジュの本体がいて、まるで情報端末が電波を受信するように、情報だけを得ているってこと?」

「うん。電波じゃなくて、ほとんど魔法と変わらないような超知覚能力のようなモノだけどね」

「不思議な生物ね」

「だから言ったでしょ、ジュジュは複雑で特殊な生命形態を持ってるんだよ。まぁインシの民も似たようなものなんだけどね」


 遠足気分のジュジュたちを連れて森を抜けると、樹木や植物に埋もれた神殿が見えてくる。最初に見たときから数時間も経っていないのに、森に呑み込まれた古代遺跡のような姿に変わり果てていた。


『レイ、気をつけて』と、カグヤの偵察ドローンが姿をみせる。『化け物の死骸があちこちに放置されているのが確認できた。ここでも激しい戦闘が起きていた』

「兵隊アリたちと戦っていたみたいだな……」

 神殿内に続く石段に放置されていたグロテスクな死骸は、鈍器で頭部を叩き潰されていた。おそらくコケアリたちが使う武器で頭を潰されたのだろう。


「ジュ! ジュジュ、ジュージュッジュ!」

 小さな昆虫種族の群れは樹木が根を張る広場まで向かうと、ガヤガヤと騒がしかったのが嘘みたいに、急に静かになって動かなくなった。

「あの子たちは、なんて言ったの?」とペパーミントが少女に訊ねる。

「私たちが戻るまで待っていてくれるって」

「ここで待つ必要はないわ」と、ペパーミントは慌てた様子で言う。「この神殿は危険だから、せめて私たちが野営していた場所まで避難させて」

 少女はそれについて考えたあと、小さくうなずく。

「そうだね。野営地で待っていてくれるように伝えるよ」

 少女がペパーミントを連れてジュジュたちのもとに向かったのを確認すると、私は戦いに備えてライフルの弾倉を装填して、トゥエルブとイレブンの装備を素早く点検した。

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